黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行総集編・紋織り弥兵衛の心意気

2019-04-26 16:35:42 | 桐生川紀行
今日は雨でうすら寒い一日でした。
お天気のよかった先日の朝散歩です。





小次郎パパは、子供達の後ろを気ままにお散歩する事が多くなりました。



パパは、この夏13歳になります。





普門寺から、桐生川沿いにさらに下ります。
カーブを曲がりきらないうちに神社があります。

今回は、選挙戦のまっただ中で、選挙カーがいて駐車できませんでした。

前回は、道の反対側の空き地にちょっと駐車て探検できました



石の鳥居ではありませんね。
何か金属のようですけど?


階段を上りきると、左手に菱カルタがあります。



ときはすぎ いろか残して機(はた)の音  [菱町全体]

西陣の織物師中村弥兵衛が伝授した高機の技術により、江戸時代の桐生は、紋織物の発展と地方活性の礎を築く。以来菱村でも、撚糸、染色、機を家業とする人々が多くなった。

下野の国・菱村でも桐生の織物を担っていたんですね。


草をかき分け、拝殿に出ます。



近年の再建でしょうか?
わりとシンプルです。
また、菱カルタがあります。



よみがえれ 紋織り弥兵衛の心意気

京都西陣の織物師中村弥兵衛が元文3年(1738)に一色に来て、周東平蔵のもとで紗綾機(高機)を組み立てて、紋織りの技術を伝授した。その偉業をたたえ弥兵衛を祀る神とした生祠機神神社を元文4年9月一色に建立した

とあります。


その後仁田山の山機神社と合祀して、拷機姫神社(たくはたひめじんじゃ)としてここに再建した
とあります。


裏に回って本殿に参拝です。




りっぱな石宮です。
幣(ぬさ)も新しそうですけど、周囲から雑草が侵入しています

戻る途中もひっつき草に悩まされました
境内から桐生川を望みます。



あれから、雨も降りました。
この紅葉ももう散ってしまっているでしょうね。
この日は11月30日でした。

桐生お召しを検索すると、
江戸時代の享保5年(1720)に当時の織物の最大産地西陣は大火で焦土と化し、多くの織工たちが各地に流れ、桐生には弥兵衛と吉兵衛の二人が流れ着いた。彼らは高機と染色技術を桐生にもたらした。その技法によって、柳条縮緬つまり桐生お召しが生産された。(「染と織」地域別辞典より)

と出てきます。


それは、生き神様として祀るでしょう
でも吉兵衛さんはどうして祀られなかったのでしょうか?



コメント
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