昨日の夕方、ひめちゃんはタバサねーちゃん&獅子丸と、堀之内の南の無量寺界隈をお散歩しました。
獅子丸家のおとうさんの話だと、このあたりは昔は宿(しゅく)といって、町中の道路の両端に水路が流れていたそうです。
あずま道の六道の辻から伸びた山上道との関連がありそうな地名です
むこうから赤柴のケンくんがやって来ました。
「あ、ひめちゃんだ」
「ケンくーん」
ひめちゃんはケンくんが大好きなのです。
最近は朝夕獅子丸と一緒なので、ケンくんちに寄れないのです
歩み寄ってご挨拶しようとしたとき、「ワンワン、俺の妹に手を出すな」
獅子丸が邪魔をしました
獅子丸はケンくんをライバルだと思っているようです。
「そのうち、ひめちゃんだけで寄るからね」
復元竜骨伝記・現代語訳、後半です。
今、このように効能すばらしい竜骨を発見できたことは、深い因縁があるのだろう。
お釈迦様は八歳の迷える龍女を救い、役行者や弘法大師は大蛇を助け、源空はさくらが池の大蛇を助け、日蓮聖人は七面大蛇を七面大明神と鎮守なさった。
私はそのような偉大な先達におよぶべくもない。
けれども、今この竜骨を発見した縁で、あまたの人々にこれを見せ、その導きの力によって、この山の古い縁のある所をすべて訪ね終え、来世への名誉を残す事ができた。
宝永七年(1710)寅正月三日 木食屡睡(もくじきろうすい)
この通りのほかに、言い伝わる因縁はない。
(来世への準備を終えた私にはもう必要がないので)貴殿の働きで、この頭の加力を頼みとする者に納めよ。
田中藤左衛門殿(たなかとうざえもんどの) 屡睡(ろうすい)
田中藤左衛門は木食屡睡から、この竜骨伝記(由来書)付きで竜骨を譲られたのです。
そして、竜骨と竜骨伝記と、田中藤左衛門のサインのある證書寫を持って、焼けて堂宇のなかった常廣寺にやって来たのです。
当時の常廣寺はまさに、「この頭の加力を頼みとする者」だったのです
近江商人田中藤左衛門は、偶然に常廣寺にやって来たのではなく、しっかりと計算してやって来たのです
「この頭の加力」で竜骨ビジネス大成功でした
けれども、いつしか竜骨も忘れられ、現在はどうしているのでしょうか?
近年八雲大竜神を祀る龍神堂が建てられました。
竜骨は八雲大竜神という解釈なのでしょうか?
八雲大竜神の御朱印もあります
次は、竜骨伝記に添えられていた田中藤左衛門の證書寫を確認します