ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。
あちゃあ、ひめちゃんの苦手な黄色い帽子の集団がやって来ます
急遽、岩神沼の畔に避難です。
行っちゃったね。
でも、もう1名、集団に遅れた子がやって来ます
もう少し避難です。
沼は静かです。
いつもいる黒いカモさんも姿がありません。
ぼくは平気だよ
一緒に生まれたのに、ひめはどうして子どもが苦手なの?
高縄の摩崖仏の裏を通って帰ります。
おや、摩崖仏の真後ろに大きな石造物です。
草がきれいになったので、出現したのでしょう。
そのうちに、確認したいね
ひめちゃんちに、今朝咲いた花菖蒲です。
楚々として、潔さそうでいい感じです
5月23日、実家の墓参がてら、東山道公園に行こうと出かけました。
県道315号線を下ります。
国道354号線との交差点を左折してまもなく左に、江田の池(えだのいけ)があります。
新田湧水群の一番南に位置するということです。
水はあるのかな
桜の古木が、何本もあります。
桜の季節に、また来ましょう
池の南は、児童公園になってます。
池の北東方向に、お堂があります。
東側から見ても、水は見えません。
お堂の手前に説明板です。
池の南東には東西百十m、南北百九十m規模の館跡が認められ、北側は二重の堀、南北は台地の縁に近接し、自然の要害となっている。また枝の池は来た北に接し、外堀に繋がっています。これらから、新田一族江田行義の居館とする伝承があり、中江田本郷に所在するこの館跡が江田館(江田城)ではないかとする見方があります。
2018年、金山城ガイダンス施設で、「江田館跡の実像に迫る! 枝館は何処に?」という企画展がありました。
新田上江田町の江田城趾では、最近の発掘結果によると、中世の遺構はなかった。
縄文時代・古墳時代、及び戦国時代の遺構が発見された。
江田館跡は、江田城以外の可能性がある。
こんな内容だったと思います。
中江田も一つの候補地として上がっていました。
このあたりだったんですね
さて、お堂の中には、どなたがおいででしょう?
お堂の東には、馬頭観音と青面金剛です。
合掌
お堂の中には、このお二方です。
薬壺を持ってます
薬師如来です
合掌
こちらから見ても、水はありません。
薬師堂の隣には石宮があります。
何様か確認できません。
『新田町誌基礎資料第8号 村々の沿革と絵図』によると、江田の池に厳島社の文字があります。
ともかく、2礼2拍1礼です
少し下ると、旧来迎寺の墓地です。
久しぶりに寄って行きましょう
これから通るあたりの小字(こあざ)は、堀之内&本郷です
旧来迎寺跡には、応安3年(1370)の宝篋印塔があります。
応安(1368~1375)は、最近とても気になる年号です