日射しの強い一日でした
夕方になっても、まだはっきり影がでてます。
ひめちゃんは、小次郎パパとお散歩に出ます。
パパ、早くしてよ。
パパと、南の方にお散歩してきました。
ちょうどよい時間と思いましたけど、お散歩の人は少なかったです。
ひめちゃんちの紫陽花も、きれいに色づいてきました。
遅霜で花芽が痛んで咲かない木がありますけど、多くは開花しています。
今年も紫陽花コレクション出来るかな?
5月23日帰り道、(太田市新田上中町)上中(かみなか)稲荷神社の真っ赤な鳥居と幟(のぼり)に誘われて、寄り道です。
社殿は、少し落ち着いた赤です
もちろん、狛犬ではなく、狛狐です
あれ、向拝に龍だ
ちょっとやさしそうな一面もありそうかな?
彩色がないのがかえっていいのかも
木鼻の獅子も彩色がありません。
向拝の彫刻に彩色がないことで、かえって落ち着ついて、いい雰囲気です
社殿脇には、不思議な境内社です。
八海山とか御嶽山の文字が見えます
由緒不詳と、由緒があります。
伝説に寄れば、当社信仰の起源は、後鳥羽上皇の御代、源頼朝治承・文治年間に鎌倉幕府を創立、源氏益々隆盛の折、頼朝と意を異にした源義経が上野国大原野に回避した時、当稲荷大明神を深く尊敬したと伝う。
由緒不詳といいながらも、しっかり石に刻んだ由緒です
義経は奥州に墜ちていくときに、ここを通ったんですか
後に岡登治郎兵衞この地を開拓し、当地に小村落を設立したのが上中である。寛文拾庚亥年当稲荷神社の祠を改築し上中村の惣鎮守として奉祀る。
ここを開拓したのも、あの岡登景能(おかのぼりかげよし)なのですね
彼は郷土の偉人と教えられ、子供心には、ちょっと反発もありました。
今は素直に、郷土の偉人と受け入れています
『新田町誌基礎資料第8号 村々の沿革と絵図』の立地については、
ここは大間々扇状地西南端に位置する。東西0.9km余、南北2.8km余。砂礫(されき)層の軽鬆(けいしょう)土地帯で笠懸野という平地林であった。
軽くてさらさらとした土では、水持ちがよくなくて大変だったでしょう。
平地林、森が広がっていたんですね。
かなり南北に細長い村ですね。
神社の入り口には、庚申塔がいっぱいです。
ここは人々の願いがこもったパワースポットです
さあ、ひめちゃんたちが夕方のお散歩待ってます。
急いで帰りましょう