雨の降りしきる朝でした
ひめちゃんは、貧乏カッパで、小次郎パパと南の方にお散歩です。
雨にも負けず、きれいに咲いてくれた大輪のヘメロカリスです
夕方、雨止みに、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩です。
最近、ひめちゃんは恋の季節に突入したようです。
パパは、ひめちゃんのマーキングの跡に丁寧にマーキングです。
まだまだ煩悩を抱えたパパです。
また雨が降らないうちに帰ろうね
5月28日、世良田八坂神社の後、さつきの寺・永徳寺を訪ねました。
もしかしたらまだ、さつきが咲いているかな?
満徳寺歴史資料館の駐車場に駐車です。
道の反対側が永徳寺です。
境内に入ると左手に説明板があります。
寺伝によると、天台宗の開祖伝教大師最澄の弟子・宥海上人によって、大同元年(806)に創建され、関東最初の天台三道場の一つだったという。
ええツ、どこかで聞いた話です
新川(にっかわ、桐生市新里町)の善昌寺の話と同じだ
宥海上人は天台宗の東国伝道教団の先達として、鬼石の緑埜寺(みどのじ)にやって来たと言います。
そして、善昌寺縁起によれば、東北に紫雲が見えた所に善昌寺を建てたんですって
新田の永徳寺もその時に建てたんですか
先達のお仕事大丈夫だったのかな?
その後は訂正されて、一行消えています
徳川郷に居館を得ると、薬師如来を深く信仰し、当寺を祈願所とした。
誰のことかな?
少し北に、伝・新田義重の墓があります。
祈願所にしたのは、新田義重かな?
むむ、善昌寺縁起にも、似たようなことが書いてあったぞ
さつきは盛りを過ぎていますけど、まだ咲いています
さつきの花の中に古い石仏、いいですね
山号は医王山、院号は和光院ですね。
大きなお地蔵様です。
延命地蔵尊とあります。
合掌
ひめちゃんたちが天寿を全うするまで、生きられますように
もしかして比翼塔?
さっきの説明板に、
また境内には利根川に身を投じた相思相愛の心中者を共に葬った「比翼塔」が二基あるのが注目されているが、いずれも男女の寄り添う姿が浮き彫りになっている。
如意輪観音ですね。
観音様のようだけど?
りっぱな庚申塔です。
徳川の正田家の菩提寺なのでしょう。
御利益のありそうな青面金剛です。
横に奉納者の名前があります。
そばに、よく似ている青面金剛です。
不動堂です。
さっき案内板には、
明治41年徳川河岸にあって船頭たちの守本尊とされてきた不動様のお堂を移築した。
とありました。
合掌
本堂脇に、ありました
まだ、水害避難用の小舟がありました。
さっきの説明板に、
江戸時代、元禄、宝永など度々利根川の洪水にあって、寺地も何度か移転したが、文化十四年(1817)には火災によって堂宇ことごとく焼失したため、長楽寺は円雄を住職として派遣し、永徳寺の再建にあたらせた。
洪水に悩まされてきたのですね。
向こうに見えるのが不動堂です。
船頭さん達の守本尊から見えそうです。
本堂で参拝です。
医王山の山号が架かります。
合掌
さつきの花を見ながら、東の山門に向かいます。
徳川河岸跡です。
不動堂は、ここらへんにあったのかな?
山門から出ます。
山門を出て、すぐ隣を流れる早川を確認です。
上流の流れです。
この川を遡っていくと、上野国山上(こうずけのくにやまがみ)に到達できるのです