ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、朝散歩をしてきました。
帰ってみると、あれ小次郎パパとタバサねーちゃんはまだ帰ってません。
ハイシニアのパパは、遠出を好まないけど、タバサねーちゃんに牽かれて遠くまで行ったかな?
まもなく、帰ってきました。
タバサねーちゃんが、先にハーネスを外してもらいます。
パパは、獅子丸のお部屋の前で待ちます
パパは、今日も尻尾が上がってます。
獅子丸は、そっぽを向いてます。
父と息子の微妙な関係です。
薄紫のムクゲが咲き始めました
けっこう切り詰めてますけど、毎年元気に花をいっぱい咲かせています。
19日、世良田八坂神社を参拝し、御朱印を頂きました
お昼近くになると、駐車場は埋まりだし、他県ナンバーの車も見られるようになりました。
そうだ、近くに源義平の墓があった。
お久しぶりに、ちょっと寄って行こう
草に埋もれてると思いきや、きれいになってます
あれ、かなり手が入ったかな?
お地蔵様は、地獄の入り口で衣を脱がし罪の重さを量るという奪衣婆(だつえば)かと、一瞬だけ思いました
こんにちは
清泉寺の説明板です。
義平山清泉寺は、東京湯島霊雲寺に属し真言律宗の祈祷寺であった。創建は詳らかで阿ないが平安末期に悪源太義平の妻がここの庵を結んだのがこの寺之起源だといわれる。時を経て江戸時代の寛保年中(1741~1744)高健教岳により中興された。
悪源太義平は義朝の長男で鎌倉幕府を開いた源頼朝の兄である。十五歳の時叔父義賢(木曽義仲の父)を武蔵大蔵館に討ち悪源太といわれた。ここで悪とは善悪の悪ではなく勇猛という意味である。
平治の乱には父義朝と共に平清盛と戦い、待賢門の戦いでは平家の嫡子重盛と一騎打ちをしたことで有名である。
戦局は源氏に利あらず父義朝は討たれた。義平は京に潜入し清盛父子の命を狙ったが捕らえられ六条瓦で斬首された(二十歳)。義平の妻は新田義重の娘であったが、夫の死を知り京に上ってその首を密かに持ち帰り此の地に埋葬し、剃髪して妙満尼と称し夫の菩提を弔ったという。
夫が20才で斬首、妻はたぶん10代でしょう。
平家の目をかいくぐり、はるばる京まで首を持ち帰りに行けるかな?
境内に入ります。
大きな白い泰山木(たいさんぼく)の花が咲いています
なんとなく、レクイエムのイメージです
泰山木のレクイエムです
芳香がすると言うことですけど、雨のせいかわかりません。
でも、白い花が似合う風景です。
こちらの紫陽花も、静かな寺にふさわしい、楚々としたガクアジサイです
本堂かな?
数年前に来た時より、しっかりした建物になってます。
確かに大きな宝篋印塔があります。
塔身の四面に梵字が彫られており、塔身の中から経筒に入った写経が発見された。この写経は鳥の子紙を使用し、湯島霊雲寺の僧法明書写になる一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経と清泉寺の僧廓照書写になる梵字宝篋印陀羅尼経で、二千四百一体の不動尊を刷った十一枚のがんぴ紙に包まれて納められていた。写経の奥書によって、徳川八代将軍の第二子で、田安家の創立者であり、国学者家人でもあった田安宗武が娘の誠姫とその婿の寿福を願って建立したことが判明した。
田安家の奉納があるくらいだから、霊験あらたかな霊場として、栄えたこともあったのでしょう
湯島霊雲寺ですか
江戸時代には関東の真言律宗の総本山ですね。
斜め松の向こうに、悪源太義平の墓が見えます。
確かに悪源太義平の墓とあります。
でも、こう表記するかな?
まあ、合掌
振り向くと、不思議な枝振りの松です。
頭をぶつけそうになります
何か意図があって、こう仕立てたのかな?
数年ぶりの清泉寺、思ったよりきれいになってました
旧国道354号線(県道142号線)に出て、早川を渡って帰ります