黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

奥州紀行総集編 11 ・多賀城紀行(南朝の記憶・多賀城神社)

2020-04-01 20:24:24 | 奥州紀行

冷たい雨の一日でした

でも、ひめちゃんの家族は、頑張ってお散歩しました。

もちろん、今夜も湯たんぽが入りました

明日天気になーれ

 

ひめちゃんは、夕方のお散歩は基本的に小次郎パパと一緒です。

でもまれに、都合で一人散歩になることがあります。

一昨日の夕方、ひめちゃんは一人散歩になりました。

そうだ、ケンくんちに行こう

パパや獅子丸が一緒だと、寄れないのです

 

いるかな?

いました

お散歩はこれからのようです。

ちょっと絡んで、ご挨拶です

よかったね、ひめちゃん

ひめちゃんはケンくんが大好きです

 

 

 

多賀城政庁跡の奥に、なにやら社のようなものが見えます。

ガイドさんに尋ねると、多賀城神社だと教えてくれました。

政庁跡の裏は細い路地になっていて、右奥に駐車場がありました

「政庁跡は、あのすごい階段を登ってこなければ、感動のない遺跡ですよ

「この路地に大型バスが入ってくるんですよ。お客さんへのサービスなんでしょう。」

 

いろいろな話をしながら、神社に案内してくれました。

シンプルなこじんまりとした、いい感じの空間です

 

多賀城神社縁起がありました。

目に優しいデザインのようですけど、写真では文字がよくわかりません。

 

この神社は多賀城神社と称し、後村上天皇をはじめとし、北畠親房・顕家父子、伊達行朝、結城宗廣等の南朝の諸将を奉祀する神社である。~中略~(後村上天皇は)陸奥太守として多賀城において南朝の忠臣達と共に王政復古のためにつくされたのである。

だいたいこんなことのようです。

 

異説もあるようですけど、義良親王(のりながしんのう)は、ここ多賀城で陸奥太守を勤めたということのようです。

義良親王は、後に後村上天皇になるのです。

それで、明治天皇は東北巡幸の時に、多賀城に立ち寄ったのです。

社殿後ろの緑の空き地の奥に、つい最近までこの時休息したお宅があったそうです

 

延元三年(1338)9月、南朝の勢力回復のため、義良親王と北畠親房は奥州へ、兄の宗良親王(むねながしんのう)は遠江(とおとうみ)を目指して船出し嵐に巻き込まれたことが、『歌人宗良親王物語』(H27歌人宗良親王物語編集委員)に描かれています。

 

今年(2018)の2月、宗良親王を祀る井伊谷宮(いいのやぐう、静岡県浜松市)を、参拝する機会がありました。

全く関係なさそうな多賀城と浜松が、実は関係があったのです

そして、わが生まれ故郷は上野国新田郡、南朝の忠臣新田義貞の故郷です

 

大型バスも停車するという政庁跡の狭い駐車場に戻ります。

そして、ガイドさんに陸奥総社宮への道を教えてもらいます。

 

ありがとうございました

去年よりずーっと充実した政庁跡訪問でした

 

 

 

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