上野国山上も秋の気配になってきました。
ひめちゃんは堀之内を北に出て、高縄の集会所を廻ってきました。
集会所のハナミズキ、赤い実をつけてます。
5年前、2019年10月のムーハウスのみんなです
ぬいぐるみを大事にする獅子丸とタバサねーちゃんです
タバサねーちゃんの外のサークルで、今もこの熊さんは存命です
小次郎パパもののこねーちゃんも元気です
七海ママも、レインコートでしっかりお散歩できました
もちろん、ひめちゃんも元気いっぱいでした
5年前は、賑やかな黒柴家族でした
膳の桐生取り合いの事、付けたり、両家縁談の事・その5(広沢茶臼山の番頭金井田左衛門という者)
其の隙に大谷が難儀、味方の後陣に知らせければ、大将里見上野介大いに驚き、
「抜け駆けして味方のおくれしでかしたり。さりとも大谷を討たせては味方の名折れとなるぞや、討たすなものども続け」と下知なせば、
金子、岩崎、畠山、小宮山、奥布木、村岡、桑原、稲鍋、森下を初めとして、我先にと進みける。
中にも森下作弥と申すは、大谷が腹違いの兄弟なりしが、森下の家名を継ぐというとも、他名を名乗れども、「弟を討たせてははづかしや」と、人より先に進みけり。
心のほどぞ頼もしく、かかる所に広沢茶臼山の番頭金井田左衛門という者、三十騎にて天沼方面より「桐生の加勢後詰めなり」と呼ばわって、短兵急に取りかけ入り乱れたる其の中へ、
杉野平馬という者は細川内膳の家人なりしが、四五年以前細川をそむいて、金井田の家に仕えて、今陣に向かって寄せ手の大将膳因幡守、古主の親類なれば敵の方へ猶予を致されけり。
難解語句です。
加勢・・・・・・力を貸してたすけること
後詰め・・・・・・先陣の後方に待機する軍勢、予備軍
短兵急(たんぺいきゅう)・・・・・・ひどく急であること、刀剣などを持って急に攻めること
あらすじです。
板倉尾張が大谷を救っている間に、板倉の従者によって大谷の危機が知らされた。
大将の里見上野介はたいそう驚いて、
「大谷は抜け駆けして味方に迷惑をかけた。けれども、大谷を討たせては味方の名折れだ。討たせてなるものか 続けやものども。」と命じたので、金子、岩崎、畠山、小宮山、奥布木、村岡、桑原、稲鍋、森下を初めとして、味方(桐生勢)は、我先にと進んだ。
中でも、森下作弥というのは、大谷の腹違いの兄弟だったが、養子に行って森下の家名を継いだけれど、「弟を討たせてははづかしいことだ」と、人より先に進んだ。
その心は頼もしいことだ
そうしている所に広沢茶臼山の番頭金井田左衛門という者が、三十騎で天沼方面より「桐生の加勢後詰めなり」と叫んで、急に攻め入った。
入り乱れた其の中に杉野平馬がいた。
杉野は、4、5年前に細川内膳家を裏切って金井田に仕えたのだった。
寄手の大将は、元の主人の親戚なので、攻撃の手を緩めてしまった。
「抜け駆けした大谷を討たせては味方の名折れだ」という発想が、よく分かりません
軍は集団行動ですから、抜け駆けはダメです
でも、大谷は単独行動ではなく、手勢14人引き連れて追いかけたのです
大将の里見上野介は追いかけるなとか指示していません
作者は、森下作弥の「弟を討たせてははづかしや」という気持ちに対して、「心のほどぞ頼もしく」とコメントしています
広沢茶臼山の番頭金井田左衛門、気になる名前です
『新田老談記』によれば、由良信濃守成繁公家来のなかに、「金井田左衛門」がいます
さて、謙信公は下野国にお通りになる途中、佐野・桐生の道筋の山々を、御見物のため、鹿田山の峰でお弁当をおとりになり、広沢・境野の原を通って足利八幡へ向かった。~中略~その折り茶臼山寄居の物見の番頭として金井太左衛門という者が在番しており、この者が、謙信公がお通りになると聞いて雨沼のあたりに出て遠見していた。(芝蘭堂『新田老談記』)
金井・田左衛門ですね。
由良氏と桐生氏は渡良瀬川の水をめぐって、争っていたはずですね
金井田左衛門が「桐生の加勢後詰めなり」という行動をとる事はあり得ないのですけど
初稿 2019.10.14 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.10.14
(つづく)
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