昨日は午後雨でしたけど、夕方遅くにちょっと晴れました
ひめちゃんたちは、貧乏カッパを着ないでお散歩になりました
シャンプーやさんに行ってきて、ふさふさの毛皮のひめちゃんです
赤城山は、雲の上に顔を出しています。
雲の様子も不思議な感じです。
道ばたの南無阿弥陀仏の名号石仏とコラボしてもらいたいけど、なかなかいいポーズしてくれません。
おや、何かを発見
タバサねーちゃんと獅子丸です。
タバサねーちゃんも、シャンプーやさんに行ってきました
すっかり色白美人になりました
獅子くんは、あとでおうちでシャンプーです。
柴犬は、赤ちゃんの時から来ていない子はお断りだそうです。
養子に行く前、一回だけ行ってあるのですけど、7年間のブランクでダメだそうです。
今朝のひめちゃんです。
獅子丸と堀之内を北に出ました。
蕨沢川にかかる2番目の橋・巧橋のたもとの石造物とコラボです。
文字塔のようですけど、仏の姿が見えるときがあります。
下部に奉納者の名前かな?
半分埋まっていそうだけど、文字があります。
蕨沢川を渡って南に下り、諏訪神社に寄ります。
社殿の東側に、無造作に古い石造物のパーツが転がってます。
社殿の西には、改築記念碑がありました
いつもは何の事やらという感じですけど、今日はよく見えます
昭和三十七年十二月十九日
本社社殿焼失し 信州諏訪本社より ご神体を拝受し 昭和三十八年十月 改築竣工す 之を永遠に記念する為 此の碑を建立し 御神徳の宣揚を祈る
昭和四十年一月吉日之建
昭和38年に焼けたのですか
そうすると、東に転がっていたパーツは東日本大震災の時に壊れたパーツだけでなく、焼けた時のパーツもあるかも知れませんね。
わざわざ信州の諏訪神社にまで行って分霊をもらってきたんですね
拝殿前で、参拝です
ひめちゃんと獅子丸は、上手に階段を降ります。
鳥居を出て、帰ります。
あれ、なんだか変です
諏訪神社の上の文字が変です
村社の文字が抹消されようとしています
村社諏訪神社で別に問題はないと思いますけど、どうして村社を消そうとするのか
もしかして、新里村が桐生市に合併したから?
この村社の村は、山上村でしょう。
諏訪神社は、明治の初めに、山上村の村社になったのでしょう。
以来、諏訪神社が村社であったことは、別に問題ではなかったと思います。
どうも最近の仕業のようです
桐生市になったんだから、村社はおかしいと考える人がいたのでしょう
善意でやったのかも知れませんね。
でも、村社であったことは、この神社の大切な記憶です
許される事ではないでしょう。
「村社」を抹消しようとした神社、初めてです
神社の境内に、かろうじて咲いた紫陽花です
多くが遅霜の被害に遭ったようです
ひめちゃんちの紫陽花をみると、遅霜に弱いというより、早くに花芽を付けた品種が被害に遭ったようです。
七海ママのお墓も落ち着いて、マリーゴールドの寄せ植えに植え替えました
先住柴のご夫婦・三四郎&サマンサ墓標のお地蔵様にも、同じくマリーゴールドの寄せ植えです
早く大きくなってね
村社の石碑銘が消されていることについて、少しだけコメントさせていただきます。明治以降の寺社政策で神仏分離と共に神社の社各制度が定められ、地方に於いても、郷社や県社、村社といった仕訳がされました。村に一つの神社しか残せない事に反発があって、合祀政策に抗い無各社というのも残りました。おらが村の神社をとられたくないという時代だったようです。
敗戦後GHQの神道指令によって、国家神道は廃絶され、神社はすべて公共の立場を離れることとなり、大きく混乱します。その過程で、村社は国家との関係が深かったため、取り壊されると思い込んだ(噂がたった)ため、慌てて村社の記名を消した神社が多くあったそうです。流言飛語になると思いますが、それだけ社会が混乱し、神社を守りたいと思った人が多かったと言えます。私も田舎の小さな神社の神主をしております。私の神社も参道入口に立つ社名の石碑は村社が消されています。埼玉県行田市、熊谷市など私が見る限り、相当数同じような事例が見られます。
どうぞこれからも愛犬との素晴らしい旅をお続けくださいませ。
ご指摘ありがとうございます。
実は、最近ある人が公的機関から依頼を受けて、この社名の石碑の拓本を取りました。
村社の文字の上に塗られていたのは、質の悪そうなセメントで、払うとパラパラと落ちたそうです。
文字を出現させてから、拓本取りとなったそうです。
今までまったく気にしていない石碑だったので、いつからそうなのか全く分かりません。
今まで訪問したところは、村社の文字はごく普通にのこっていたような気がしていたので、特異に感じてしまいました。
これからは、村社の文字にも気を付けて、神社巡りを続けます。
ご指摘ありがとうございました。