ひめちゃんは、獅子丸の準備ができるのを待ってます
2人は、いつもより西の道で堀之内を出ます。
今朝は、獅子丸がどうしても東の方に行くと譲りません。
ちょっと遠くなってしまったけど、牧場のヤギさんに逢いにいきましょう
県道を渡ってすぐ、道標のある小さな交差点があります。
まっすぐな県道が出来るまで、前方の細い道がメインストリートだったのです。
今は曲がりくねって、まもなく消滅していますけど。
ヤギさんいるかな?
子供たちも大きくなりました
大きさが違うので、男の子と女の子かな?
バイバイ、また来るね
サマンサ坂を通って帰ります。
今日も暑くなりそうだね。
8月18日、上野三碑の一つ金井沢碑(かないざわひ)に出かけました。
どうも沢の向こうのようです。
金井沢碑だから、当たり前かな。
あれ、また木の階段だ。
けっこう登ってきました。
ここからは石段です。
紫陽花が植えられています
人影があります
「こんにちは。」
「こんにちは。」
おじさんは、ここのボランティアガイドさんだそうです。
今は活動自粛中だけど、見回りに来たそうです。
覆屋の中の碑にライトをともしてくれました。
覆屋の窓に碑の文字があります。
神亀三年(726)、1300年前に書かれた文字です。
覆屋の前に説明板です。
子供用の説明板もあります。
上野国群馬郡下讃郷高田里(こうずけのくにくるまのこおりしもさぬごうたかだのさと)に住んでいる
三家子□が、先祖と父母の為に、
いま主婦の立場にある他田君目頬(ただのきみめづら)、
その子どもの加那、孫の物部君午足(もののべのきみうまたり)、
その妹のひづめ、その妹の若ひづめの
あわせて六人、また既に仏教の教えで
結ばれている三家毛人(みやけのえみし)、その弟の知麻呂(ちまろ)、
鍛冶師の磯部君身麻呂(いしべのきみみまろ)のあわせて
三人が仏の教えにより、一族の繁栄を願って
お祈り申し上げる石文である
神亀三(762)年二月二十九日
女性が対等の立場です
この時代は、女性の立場も侮れないものだったのです
ボランティアガイドのおじさんも、沢から降りて帰ります。
碑の入り口・四阿(あずまや)で休んでいる人もいます。
それなりに人が訪れているようです。
そこにも上野三碑の資料が置かれていて、ボランティアガイドは「ここにしかない資料で是非もらっていって下さい」と黄色い紙の資料をくれました。
「城山団地・寺尾町・根古屋町史跡案内図」です。
③栄福寺(新田義重墓)ですって
新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんは、ビックリです
新田義重の墓は、新田郡の徳川にあります。
①茶臼山城跡(高崎市寺尾町字茶臼)は、新田義重の居城ですって
新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんは、またまたビックリです
そのうちに是非訪問したいですね
四阿の奥に大きく「護念寺墓地」とあります。
もしかしたらお寺があったかな?
墓地は現役で活用されているそうです。
わが故郷・新田郡世良田村の偉大なる大先輩・毛呂権蔵は、山上碑についで、ここ金井沢碑も訪れています
『上野国志』(安永3年刊)に、
金井澤古碑 根古屋村の金井澤と云所にあり
銘曰と碑文を写しています。
そしてそのあと、山上碑と金井沢碑について考察しています。また上古の碑文として那須の国造碑もあげています。
栄福寺、茶臼山城跡については、記載がありません。
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