黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道総集編17(南勢多郡の廃寺阿弥陀寺に移転・正法院)

2023-08-24 21:29:12 | 日光裏街道総集編

今朝は、雲が重く垂れ込めていました。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

昼間はやはり酷暑の1日でした。

 

一昨年の今頃(8月)の、ムーハウスの面々のお散歩です。

タバサねーちゃんは、やんちゃな弟・獅子丸がお気に入りでした

小次郎パパも、まだまだ息子に負けないくらい元気でした

タバちゃん、毛深くてこの夏も大変だったんだね。

同じ両親から生まれても、毛質は全く違います。

タバちゃんが一番毛深くて,、夏は大変です。

 

 

 

2021年2月、日光裏街道32番・正法院(前橋市富田町)を訪問です。

山門脇の駐車場に停車です。

 

 

実は、ここには阿弥陀寺という廃寺があったのです

「南勢多郡の廃寺」(平成23 内田憲治 群馬県勢多仏教会)には

阿弥陀寺(西雲山円蔵院―天台宗世良田長楽寺末)

富田町東原甲776番地に存在したが明治初年無住になった。阿弥陀寺の南約400メートルの字宮下757番地に天台宗持地山正法院延命寺が存在したが、天明元年(1781)と天保13年(1842)の火災により堂宇を焼失、本堂が再建されないまま明治維新に至った。そこで当時無住であった阿弥陀寺と正法院を合併移転することが協議され、明治10年(1877)12月に正法院が阿弥陀寺に移転し阿弥陀寺は廃寺になった。後に上武道路建設に伴う発掘調査により正法院は室町時代頃の創建と考えられ、桁行9間、梁行6間の本堂と周囲に環濠を廻らす寺院であることが判明した。

 

山門を入って、阿弥陀寺の記憶をちょっと探索です

持地山の文字が見えます。

正法院の山号ですね。

 

かなりクラシック石造物だけど

榛名山がきれいに見えます

 

 

本堂の前には、しだれ桜でしょうか?

阿弥陀寺の記憶はありませんね。

 

 

おや、古い石造物が集められています

後ろに荒砥史談会のポールが倒れています

ちょっと動かしてみたいけれど、我慢。

この石造物は、たぶん阿弥陀寺の記憶でしょう

合掌

 

 

駐車場の南にも、堂宇があります

秘仏のようです。

 

おや、横の堂宇に金ぴかの仏像です。

杖を持って坊主頭だから、お地蔵様?

 

古い石造物もあります。

小さいけれど、赤城塔(宝塔)です。

こちらも、赤城塔(宝塔)?

これらも阿弥陀寺の記憶かな?

 

 

この時ちょうど和尚さんがお出かけのようで、「何か御用でしょうか?」

「御朱印出ますか?」

「うちはやってません。」

「失礼しました。」

ちょっと阿弥陀寺のことは、聞けませんでした

 

 

(2021 /02/ 22 初出 、2023  /08 / 24  改稿)

 

 

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