4月11日(土)に父の故郷である指宿市のお墓参りと合併後南さつま市となった坊津町の両親の知人のお墓参りへ行ってきました。
79歳と78歳を迎える両親を連れ、弟夫婦のいる宮崎市内から車での行動とあって体力的に大丈夫か?と心配しながらの旅でしたが、好天にも恵まれ、何より指宿市の親戚の方とのお話しや坊津町に住んでいた頃の知人の方とも出合うことができ、少しは親孝行ができたのかなと思っています。
宮崎へ誘ってくれた弟夫婦のお陰です。
写真は、幼少の頃住んでいた坊津町泊の海岸の様子です。昔、住んでいた家(家といってもプレハブ小屋でしたが)は、尼崎市へ引越した後の台風で高波にさらわれたとかで、跡形もありませんでした。
写真の大きな岩場では、月夜にイカ釣りを楽しんでいました。また海岸線の磯では貝やカニ探し、魚釣りなど子どもの頃の遊び場でした。
15年ほど前に妻や両親、子どもを連れて坊津町へ行った頃は下水道整備の遅れで美しい海が汚れておりショックを受けましたが、先日訪れた時は子どもの頃の海の色が復活していて、訪れてよかった!という気持ちで帰路につきました。
わがまち三田も大型の開発は一定の落ち着きを見ていますが、川や山の環境を守ることは、子どもたちの心の故郷を守ることにもなると感じています。
79歳と78歳を迎える両親を連れ、弟夫婦のいる宮崎市内から車での行動とあって体力的に大丈夫か?と心配しながらの旅でしたが、好天にも恵まれ、何より指宿市の親戚の方とのお話しや坊津町に住んでいた頃の知人の方とも出合うことができ、少しは親孝行ができたのかなと思っています。
宮崎へ誘ってくれた弟夫婦のお陰です。
写真は、幼少の頃住んでいた坊津町泊の海岸の様子です。昔、住んでいた家(家といってもプレハブ小屋でしたが)は、尼崎市へ引越した後の台風で高波にさらわれたとかで、跡形もありませんでした。
写真の大きな岩場では、月夜にイカ釣りを楽しんでいました。また海岸線の磯では貝やカニ探し、魚釣りなど子どもの頃の遊び場でした。
15年ほど前に妻や両親、子どもを連れて坊津町へ行った頃は下水道整備の遅れで美しい海が汚れておりショックを受けましたが、先日訪れた時は子どもの頃の海の色が復活していて、訪れてよかった!という気持ちで帰路につきました。
わがまち三田も大型の開発は一定の落ち着きを見ていますが、川や山の環境を守ることは、子どもたちの心の故郷を守ることにもなると感じています。