三田市議会議員 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

あの日も空は青かった~JR脱線事故~

2015年04月26日 | 防災・減災
 昨日25日は、高平ふるさと交流センターで議会報告会を開催しました。好天に恵まれた中で参加者が少ないのではないかと心配していましたが、40人ほどの方が参加しました。今日も14時~ウッディタウン市民センターで2班の議員の方々の報告会があります。


 さて、午前中は、ゆりのき台中学校に緑化ボランティアの方が集まり校内の植え込み間の除草作業をしました。
 透き通るような青空を見てJR脱線事故から10年目の朝を迎えましたが、あの日も同じような青空だったことを改めて思い出します。
 昨年の同じ日には、「私達には、愛する人がいた!4・25を忘れない!」の看板を立てて新三田駅で立礼をし利用者の皆さんへ事故を風化させないことを訴えました。
 そして昨日の10年目を目前にして事故に遭われた方、事故で家族を亡くされた方々の思いがマスコミを通じて伝わって来ます。
 今朝も2両目に乗り合わせ方が、2両目の様子を描いた絵を展示しているとの報道がNHKニュースで流れていました。
 「遺族の方は、家族の方が最後に立っていた場所、座っていた場所がどこだったのかを未だに知りたがっている。絵を展示するのをためらったが、自分自身も現場近くを通る時に寝ている時さえある。人間て忘れてはけないことも忘れてしまう。」これに気が付き「事故を風化させないためには、生き残った人がしなければならないことがある。」と番組で語りかけていました。
 
 私が尼崎市の職員だったあの日の流れは、昨年の同じ日のブログに書かせていただきました。私の今の存在もあの日の出来事と無縁ではありません。
 偶然に事故車両に乗り合わせなかった私に出来ることは、今こうして議員と言う仕事をさせていただいていることを最大限に生かすことだと思います。 安全な社会・地域そしてこれからも人々が安心して生活して行く上で欠かせない支え合いの仕組みを造って行きたいと思います。
コメント
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