9月14日(土)午後2時からの上映に間に合うように県立尼崎工業高校時代の友人2人と新長田駅で待ち合わせをした。
切っ掛けは、息子さんからの電話である。
3年ほど前に認知症が進行し、新長田駅に近い「はっぴーの家ろっけん」に入所している父「三上 裕」氏の知人や友人、教え子を招いて、映画「かば」の上映会を開催したい。とのことであった。
4年前の三田市議会議員選挙告示日にも高校の恩師であった三上先生は、出発式にマイクを握り、「肥後の高校時代の思い出」などを語り、集まった地域の方々に肥後の人間性を訴えて下さっていたのが、昨日のように蘇る。
なぜ、ハッピーの家で映画?なの。とブログを読まれている方は、不思議に思うかもしれない。
息子さんの話では、この映画を観た時に父の姿が重なり、父も現役時代に確か「熱血先生」だった。
認知症がさらに進行してきている「今」関係者の皆さんとこの映画を鑑賞し、父と関係者と同じ時間を過ごさせてあげたい。との思いから、映画監督である川本監督に相談して実現したとのこと。
映画の内容は、大阪西成区の中学校で起こった実話を題材として教師の蒲先生を中心とした子供たちと教員の物語であった。1980年代の実話。
この映画の内容と私たち県立尼崎工業高校に通っていた3年間(1973年4月~1976年3月)が重なって見える。あの頃の私たちの時代も高度経済成長期に突入していた時代ではあったが、差別、貧困は当たり前の時代であり、当時の尼崎工業高校も「ごんたくれ」が集まった学校であった。
そんな中、3年間私たちのクラス担任の先生は、中田先生と三上(当時深見)先生であった。
クラスメイトには、在日朝鮮、非差別部落出身、沖縄県出身、貧困家庭の生徒もおり、3年間の先生の姿は、生徒の家族とのお付き合いが中心だったと奥様が言っておられた。
大工の父は、毎日焼酎をあおり、飲んだくれの父と息子(私)はいつも口喧嘩の日々を過ごしていた。そんな、我が家にもことある毎に家庭訪問してくださっていた。
高校の授業料の奨学金も申請手続き奨めてくれたのも先生方である。
3年間を思い出せば切りがない。今、ここに私が存在するのも、先生のお陰だと思う。
上映会終了後は、先生を囲んで参加者全員の記念撮影。そして県立小田高校卒業の生徒さんや同僚の方々と記念撮影した後、尼工卒業生3人は先生の手を握りしめ「先生〇〇だよ!」と・・・。私も何も語ることができない先生の目を見つめ、「肥後です!先生まだまだ、肥後は頑張っているよ!」と報告。
そう言えば、先生はいつも「〇〇頑張れ!」が口癖だったよな!と友人。
施設の職員さんも、まだ言葉が出ていた3年前は、入所していた方々に「頑張れ!」が口癖で有名だったと・・・。
先生の椅子には、道理で「がんばれ!」のカードが置いてあったんだと納得。
息子さん2人と奥様と先生を囲み、高校時代の思い出話に花を咲かせ帰路につきました。
長いようで短い半日でした。
先生に合わせて下さった息子さんらに感謝します。
それにしてもハッピーの家の職員さんも素敵な方々ばかりでした。このような雰囲気の中で暮らせるのは、利用者さんも幸せです。