10年前に今日は、矢島中で卒業式の前日の準備をしていた時にあの大地震が起こった。その年の3月のブログは、地震後しばらく書かれていません。携帯が繋がらなくブログどころではなかったのだ。
当時セリカのコンバーチブルに乗っていて猛吹雪の中仙台にかみさんを救出しに行ったのを思い出す。
何重に聞こえるサイレンととんでもない揺れの余震と仙台港のあちらこちらで起こっている火災は、恐怖感と諦めが入りマジっていた。
それからの復興は素晴らしい!自然の中ではいくらあがいてもどうにもならない事が分かりましたが、人はまたこの地球で生かされています。まだ満足できない状況が続きますが、頑張らなければなりません。
以下3月24日にブログ再開の記事です。
3月11日の大地震の時妻は仙台にいた。地震直後から電話がつながらない。
100回以上電話をしてやっとつながり生きていることを確認。帰宅予定のバスはストップして、帰宅難民となった。
予定していた卒業式は延期になったので秋田から夕方仙台に向かう。
完全に停電で電気は全くついておらず、緊急車両がひっきりなしに動いている。
尾花沢にはいると20台以上の装甲車が追い越していった。
事の重大さがカーラジオから流れている。
仙台駅前に9時30分到着した。途中雪が降り続き、道路は凍結していた。とんでもなく寒い。
バスターミナルにいくと非常灯の中、数百人がごった返している。
やっとの見付けた妻は憔悴しきっていた。
帰りは国道4号線が凍結のため時速10km以下で走行した。
ガソリンの消費が気になる。
自宅に着いたのは2時55分であった。
たくさんの被害者が出ている。
本当に大変だ。
連日ガソリンが無くてスタンドには長蛇の列だ
ガソリンを買い求めている場合ではないのに!
私と妻はマイカー通勤をやめ電車に切り替えた。
10日以上経っても震度5の余震が続く
早く春が来ないかな。
今朝も秋田は真っ白になっている。
で終わっています。