所用で防衛省に行った。
前を通ることはあったが、中に入るのは初めてだ。正門で担当者と待ち合わせをして、厳重な警戒の中、敷地内に足を踏み入れる。
悪いことはしていないけれども、いかつい警備員たちの視線に緊張が走る。善良な一般人には、少々荷が重い。
「こちらでお待ち下さい」
案内された場所は、マイクロバスだった。どうやら、バスで案内してくれるらしい。省内はかなり広いのだと察した。
バスが動き始めると、陸上のカーキ、海上の黒の制服に身を包んだ自衛官が目に入る。
スゴッ! カッコいい~!!
制服フェチの私には、目の保養を通り越して、目の毒になりそうな光景である。どこに行っても制服だらけなのだから、うれしさのあまり、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべないようにしなくては。お腹に力を入れて平常心を装い、澄ました顔でやり過ごした。
本音としては、「一緒に写真を撮ってください!」と叫びたかったのだが。
途中、道路の標識を見て仰天した。「慰霊碑 →」となっているではないか。
「はい、右に行くと、殉職した隊員の慰霊碑があるんです」
担当者の説明に、盛り上がった気分がしぼむ。国を守る仕事は、やはり命がけなのだ。
目的地に着くまでに、ジョギングをしたり、懸垂をしたりしている男性を何人も見た。文部科学省ならば少数派のタイプだろう。加えて、坊主率も高い。
「第302保安警務中隊などは、月2回床屋に行くことが義務づけられているんです。散髪手当も出るんですよ」
私は、「うーん」としか答えられなかった……。
「本日の時程です」
渡された資料に自衛隊らしさを感じた。時間の書き方が4桁表示なのだ。たとえば午後2時ならば、普通は「14:00」と表記するところを、コロンのない「1400」で表す。「私も今度から、こうやってスケジュールを書こうかしら♪」と真似っこしたくなる。
防衛省で一番の見どころは、「市ヶ谷記念館」という建物である。
ここは、昭和21年から昭和23年まで、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の法廷となった場所だ。時代の証人ともいえる、館内の重々しさに、ひんやりとした空気を感じた。
また、2階の「旧陸軍大臣室」には、作家の三島由紀夫が割腹自殺を図ったときの、刀傷が残っている。もみ合った際、ドアに3箇所ついたそうだ。
しかし、私のカメラには、2箇所しか写っていない……。あれれ?
もうひとつは、どこに消えたのだろう。
この記念館には、当時の軍服なども多数展示されている。
「キャーッ」と私が萌えたことはいうまでもない。
「自衛官という仕事は、誰かのために命をかける誇りがあります」と、担当の男性は胸を張って断言する。私は「うんうん」と真面目な顔でうなずいた。
もし、運動神経がよかったら、私も自衛官になっていたかもしれない。
動機は不純だが……。
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
前を通ることはあったが、中に入るのは初めてだ。正門で担当者と待ち合わせをして、厳重な警戒の中、敷地内に足を踏み入れる。
悪いことはしていないけれども、いかつい警備員たちの視線に緊張が走る。善良な一般人には、少々荷が重い。
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案内された場所は、マイクロバスだった。どうやら、バスで案内してくれるらしい。省内はかなり広いのだと察した。
バスが動き始めると、陸上のカーキ、海上の黒の制服に身を包んだ自衛官が目に入る。
スゴッ! カッコいい~!!
制服フェチの私には、目の保養を通り越して、目の毒になりそうな光景である。どこに行っても制服だらけなのだから、うれしさのあまり、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべないようにしなくては。お腹に力を入れて平常心を装い、澄ました顔でやり過ごした。
本音としては、「一緒に写真を撮ってください!」と叫びたかったのだが。
途中、道路の標識を見て仰天した。「慰霊碑 →」となっているではないか。
「はい、右に行くと、殉職した隊員の慰霊碑があるんです」
担当者の説明に、盛り上がった気分がしぼむ。国を守る仕事は、やはり命がけなのだ。
目的地に着くまでに、ジョギングをしたり、懸垂をしたりしている男性を何人も見た。文部科学省ならば少数派のタイプだろう。加えて、坊主率も高い。
「第302保安警務中隊などは、月2回床屋に行くことが義務づけられているんです。散髪手当も出るんですよ」
私は、「うーん」としか答えられなかった……。
「本日の時程です」
渡された資料に自衛隊らしさを感じた。時間の書き方が4桁表示なのだ。たとえば午後2時ならば、普通は「14:00」と表記するところを、コロンのない「1400」で表す。「私も今度から、こうやってスケジュールを書こうかしら♪」と真似っこしたくなる。
防衛省で一番の見どころは、「市ヶ谷記念館」という建物である。
ここは、昭和21年から昭和23年まで、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の法廷となった場所だ。時代の証人ともいえる、館内の重々しさに、ひんやりとした空気を感じた。
また、2階の「旧陸軍大臣室」には、作家の三島由紀夫が割腹自殺を図ったときの、刀傷が残っている。もみ合った際、ドアに3箇所ついたそうだ。
しかし、私のカメラには、2箇所しか写っていない……。あれれ?
もうひとつは、どこに消えたのだろう。
この記念館には、当時の軍服なども多数展示されている。
「キャーッ」と私が萌えたことはいうまでもない。
「自衛官という仕事は、誰かのために命をかける誇りがあります」と、担当の男性は胸を張って断言する。私は「うんうん」と真面目な顔でうなずいた。
もし、運動神経がよかったら、私も自衛官になっていたかもしれない。
動機は不純だが……。
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