これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

30年後

2014年11月13日 21時11分42秒 | エッセイ
 高校時代、授業中に友達の美智代が手紙を回してきた。運悪く、黒板に向かっていた先生が急に振り返り、「はい、それちょうだい」と取り上げられた。ガサガサと音を立てて手紙を開き、「今日は〇〇で××……」などと読み上げるというパターンがお決まりだった。
 他にも、こっそり読んでいた漫画、小説などを先生に取り上げられた友達がいたけれど、私はそんなドジは踏まない。借りた漫画は放課後までに返し、他教科の宿題までさり気なく終わらせる技術があった。 
 あれから30年、今の高校生は、取り上げられるものが違う。一番多いのが携帯電話。LINEにツイッターなど、友達と何かをやり取りするところは同じだけれど、紙ではなくデジタルなのだ。ゲームやipodを預かることもある。充電器を、ちゃっかりコンセントに差し込む者もいる。何に使うのかわからない機械まであって、もはや時代の流れにはついていけない。
 そういえば、教室のゴミ箱に捨てられるものも様変わりした。私たちの時代には、紙ゴミが多かったのに、今はコンビニ弁当の残骸やペットボトルが一番だ。ゴミの量も増えたと感じる。世の中がゴミだらけになって、この国は大丈夫なのだろうか。
 ところで、昨日、家の中で蜘蛛を見つけた。



 先月、授業中に登場した蜘蛛と同じだ。
 東京には虫の嫌いな子が多く、小さな蜘蛛でも「キャーッ」と騒いでパニックになる。その日も同じだった。
 だが、康平という男子は虫が平気だったようで、ひょいと手を伸ばして蜘蛛をつかみ取る。そのまま、廊下にでも出してくれれば問題なかったのだが、彼は蜘蛛と遊び始めてしまった。手のひらを歩かせて、指先まで上ったところでつまみ上げるという動作を繰り返していたようだ。
 もしかしたら、蜘蛛の苦手な女の子の、注目を浴びたかったのかもしれない。しびれを切らし、私は康平に近づいて行った。
「さあ、その蜘蛛を出しなさい」
 教員生活25年のうちで、蜘蛛を取り上げるのは初めてである。康平も、周りの子たちも「えっ」という顔をしていたが、私は蜘蛛に触れるのだ。手を出したら、彼は試すような表情で蜘蛛を引き渡した。あとは、つぶさないように蜘蛛を捕獲し、窓から逃がして授業に戻る。どうってことない作業だが、振り返ったら半分くらいの生徒が、イヤなものを見た顔をして固まっていた。まったく、ひ弱な子どもたちである。
 蜘蛛の色は、念のためにしっかり確認した。今話題の、セアカゴケグモだったら大変である。こんな毒蜘蛛は、30年前にはいなかったはずだ。
 私は長生きするつもりでいる。
 さらに30年後、うまくいけば60年後の日本がどうなっているか、比べたエッセイを書きたい。


    ↑
クリックしてくださるとウレシイです♪

※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
 「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
 「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする