今年の夏休みは、8月9日から6日間。
初日の9日は仕事半分、遊び半分で渋谷に行く。目当ての一つに渋谷マークシティの絵があった。
岡本太郎氏の『明日の神話』である。
ちょうど、この日は長崎原爆の日である。原爆炸裂の瞬間と、そこから立ち上がる人々の力強さを描いたという力作が見たかった。
「柱が邪魔だけど、すごい迫力。来てよかった」
とはいえ、通勤経路に飾られていると、絵の価値を感じない人が多いかもしれない。立ち止まって写真を撮る私は、ごくごく少数派に属していた。もったいないことだ。
その足で道玄坂に出て、与謝野晶子の歌碑に到着する。
「母遠うて瞳したしき西の山 相模が知らず雨雲かゝる」
与謝野晶子は道玄坂付近に住み、新婚生活を送っていたが、楽な生活ではなかったという。この碑に刻まれているのは、生家のある大阪の方向を向き、母を懐かしんで詠んだ歌らしい。自由奔放な歌人というイメージだったが、やはり人の子。母親を恋しく思う気持ちが伝わって、一気に親近感がわいた。
終戦記念日の8月15日には、晶子さんのこの歌も思い出したい。
「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」
非国民と罵られても、自分の率直な感情を発信できる女性であったことに敬意を持つ。
この日はとても暑かった。涼を求めて、道玄坂から北に進み、東急百貨店を目指す。
「あれ、10:30開店だって」
3階の丸福珈琲店では、戸栗美術館とのコラボメニューとして「古伊万里焼でのチーズケーキセット」なるものがいただけると知り来たのだが、早過ぎたらしい。まだ10:15であった。
ネットにアップされた写真がうらめしい。
「じゃあ、Bunkamuraに行こう」
ロビーラウンジでケーキセットを頼んだ。隣接するこちらは10時開店なのがありがたい。古伊万里でなくて残念だが、盛り付けがなかなかオシャレ。
要は、涼しくて飲み食いできれば、どこだっていいということであろう。
食後、ちょこちょこっと用事をすませ、代官山でランチをする。
以前から、シェ・リュイが気になっていた。
予想よりもカジュアルな店だったので、気軽に来られることに安心する。お料理よりも、グラスシャンパーニュ、グラススパークリングワインがお手軽価格で飲める点を、高く評価したい。
帰りは池袋で下車し、西武に寄って服を見た。先日、4階のイッセイミヤケが8月21日をもって終了とのハガキをもらっていた。最後に何か買いたいと思ったのだが、期待通りの品がなく、手ぶらで帰る破目になってしまい残念だ。
しかも、帰りの電車でスマホを開くと、「三宅一生氏死去」というショッキングなニュースも飛び込んできて、二重に衝撃を受けた。
「嘘でしょ、何てこと……」
この日、私が着ていた服は、2016年あたりに買った、イッセイミヤケのワンピースであった。
着心地がよく、家で洗濯できるため、かなり活躍している服といえよう。安い買い物ではないけれど、好きな服を着られる喜びを教えてくれたのは三宅氏であった。御礼と伝えるとともに御冥福を祈りたい。
そんなこんなで終わった8月9日。
この夏で一番、心に残っている。
↑
クリックしてくださるとウレシイです♪
※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
初日の9日は仕事半分、遊び半分で渋谷に行く。目当ての一つに渋谷マークシティの絵があった。
岡本太郎氏の『明日の神話』である。
ちょうど、この日は長崎原爆の日である。原爆炸裂の瞬間と、そこから立ち上がる人々の力強さを描いたという力作が見たかった。
「柱が邪魔だけど、すごい迫力。来てよかった」
とはいえ、通勤経路に飾られていると、絵の価値を感じない人が多いかもしれない。立ち止まって写真を撮る私は、ごくごく少数派に属していた。もったいないことだ。
その足で道玄坂に出て、与謝野晶子の歌碑に到着する。
「母遠うて瞳したしき西の山 相模が知らず雨雲かゝる」
与謝野晶子は道玄坂付近に住み、新婚生活を送っていたが、楽な生活ではなかったという。この碑に刻まれているのは、生家のある大阪の方向を向き、母を懐かしんで詠んだ歌らしい。自由奔放な歌人というイメージだったが、やはり人の子。母親を恋しく思う気持ちが伝わって、一気に親近感がわいた。
終戦記念日の8月15日には、晶子さんのこの歌も思い出したい。
「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」
非国民と罵られても、自分の率直な感情を発信できる女性であったことに敬意を持つ。
この日はとても暑かった。涼を求めて、道玄坂から北に進み、東急百貨店を目指す。
「あれ、10:30開店だって」
3階の丸福珈琲店では、戸栗美術館とのコラボメニューとして「古伊万里焼でのチーズケーキセット」なるものがいただけると知り来たのだが、早過ぎたらしい。まだ10:15であった。
ネットにアップされた写真がうらめしい。
「じゃあ、Bunkamuraに行こう」
ロビーラウンジでケーキセットを頼んだ。隣接するこちらは10時開店なのがありがたい。古伊万里でなくて残念だが、盛り付けがなかなかオシャレ。
要は、涼しくて飲み食いできれば、どこだっていいということであろう。
食後、ちょこちょこっと用事をすませ、代官山でランチをする。
以前から、シェ・リュイが気になっていた。
予想よりもカジュアルな店だったので、気軽に来られることに安心する。お料理よりも、グラスシャンパーニュ、グラススパークリングワインがお手軽価格で飲める点を、高く評価したい。
帰りは池袋で下車し、西武に寄って服を見た。先日、4階のイッセイミヤケが8月21日をもって終了とのハガキをもらっていた。最後に何か買いたいと思ったのだが、期待通りの品がなく、手ぶらで帰る破目になってしまい残念だ。
しかも、帰りの電車でスマホを開くと、「三宅一生氏死去」というショッキングなニュースも飛び込んできて、二重に衝撃を受けた。
「嘘でしょ、何てこと……」
この日、私が着ていた服は、2016年あたりに買った、イッセイミヤケのワンピースであった。
着心地がよく、家で洗濯できるため、かなり活躍している服といえよう。安い買い物ではないけれど、好きな服を着られる喜びを教えてくれたのは三宅氏であった。御礼と伝えるとともに御冥福を祈りたい。
そんなこんなで終わった8月9日。
この夏で一番、心に残っている。
↑
クリックしてくださるとウレシイです♪
※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
与謝野晶子さんが渋谷に住んでいたとは元渋谷区民でしたが全く知りませんでしたよ(笑)しかし、暑いのに活発に活動されていますね。毎年思うのは知らない人は先生って稼業は休みが長くて羨ましいと思う人が大半だと思いますが、いざ蓋を開けたら僅か6日間だけとか・・・。お疲れさまです(笑)
貴重な、そして大事なことでありますが、どんどんと薄れて行くことは寂しいことですね。そして人々は同じ過ちを繰り返す...(ん?ガンダムであったようなセリフ)
本文中、意外だったのが、
“え!?目的を持って行かれたのに、15分待たずにあっさり違う店へ~”
まぁ暑い最中だったからだと推察しますが
もう少しで暑さが弱まりそう、頑張りましょう~
三宅一生氏が亡くなりました。残念です。ご冥福をお祈りいたします。
連続して休める期間が限られているので、あとは飛び飛びに休みます。
民間の厳しい会社よりは休めていると思うのですが……。
イッセイさんの訃報にはホントにガッカリしました。
晶子さんが住んでいた頃の渋谷はド田舎だったみたいですよ。
何かと不便だったのではないかしら。
どうしても古伊万里の器でお茶したければ、15分なんぞ何のそので待ちますが、暑さと食欲に負けました(笑)
この次でいーや、なんて思ったりして。
戦争の話は両親からも聞きました。
母は空襲のサイレンを聞いているんですよ。
世田谷に住んでいたのでよかったけれど、空襲の激しい場所だと怖いですよね。
夏ぐらいは戦争を思い出さなくては。
この時期に思い出されるのは、アニメ「火垂るの墓」です。
戦争さえなければ、あの兄妹は死なずに済んだのにと泣きながら見ました。
若い世代にも見ていただきたいですね。
イッセイミヤケブランドはこの先も続きますので、ファンでい続けます。
数日前まで不通にお仕事されてたとは、素晴らしいです。
日本の美を世界に認めさせてくれた方々、ご冥福をお祈りいたします。
戦争は、目を背けてはいけないと思いつつ、今年もいろんな特番を録画。
なかなか見る勇気が・・・
森さんは、今年の読売新聞『時代の証言者』に寄稿されていたような覚えがあります。
去年だったかなぁ。
デザイナーとして認められるまでの長い道のりが興味深かったです。
まさか、そんなにご高齢とは知りませんでしたよ。
お孫さんと写った写真が素敵でした。
三宅さんとの共通点も多く、惜しい方がまた一人亡くなったことに落胆します。
特番の録画は息抜きに必要ですよ。
若者が多すぎて渋谷の街からは足が遠のいている私ですが、文化村(と漢字で書いてしまう)にはたまに行きます。でも戸栗美術館のことは知りませんでした。涼しくなったら行ってみたいです。丸福珈琲店のケーキセットも美味しそうだし(笑)
猛暑を理由に、クーラーの部屋に閉じこもりがちですが、砂希さんのバイタリティーを見習わなくては、と思いました。
ケーキセットには未練があります。
近いうちに行かなくては~。
いつでもバイタリティーがあるわけではないのですよ。
半分仕事みたいなところがあって、義務でしょうかね。
涼しくなったら、一気に冬が来ちゃうかも。
外出はお早めに!