今、再度、以下の記述を読み直したら…
<【イラストで解説】耳の仕組みと聞こえの仕組みって?わかりやすく解説します | Oh!みみなび (ohmiminavi.co.jp)>
音がどんなふうに耳から入り音として聞こえるのか
耳がどのようにして音を聞き取っているのかについて考える前に、
そもそも「音」とは何なのでしょうか。
その正体は、音がするスピーカーや声を出しているときの喉に触れてみるよく分かります。
ビリビリとした振動を感じると思いますが、その振動こそが「音」の正体です。
何かを叩いたり擦ったりしたときに空気中に振動が発生し、
これが耳に入り込むことで音として認識されています。
>これが耳に入り込むことで音として認識されています。<
上記の言葉に違和感が生じた。
私の中の「認識」とは、(南郷氏が定義している)「五感覚・感情像」(南郷氏の定義)。
人間の認識とは、視覚を中心に他の四感覚を統合・総合(ここが正確に思い出せない)した像・映像のようなモノ。
ならば、「音として認識」ではなく、「音としての感覚」だろうか?。
例えば、テレビに夢中のなっている時、母親から話しかけられても聞こえない。
でも、肩を叩かれて気付くと、そう言えば何か聞こえていたかも…と思う時がある。
この「聞こえていた」と思うのは、
頭脳内では、鼓膜から電気信号を受け取っていた。
それでも、他の事に夢中で聞こえていない、という事。
ならば、夢中になっている時、
「現実界に音はあっても、内界には音がない」
テレビに夢中だから、
「現実・隣に母親の音声もあった」でも…
「私の内界には前からのテレビからの音声だけ…」が…
テレビに夢中になっている時、私の認識している音は、テレビからの音だけである。
という事は、空気中の振動で鼓膜が振動させられて、
その刺激信号が頭脳に到着しても、感覚しない・認識しない限り、「音」ではない。
>これが耳に入り込むことで音として認識されています。<
外界の空気振動が、外耳内の空気に伝わり、鼓膜・小鼻骨を振動させ…
神経信号に変換され、それが頭脳に到着して感覚して、認識したモノが音。
耳に入り込んでも、まだ音ではない。
鼓膜を振動でも、まだ音ではない。
頭脳に到着でも、まだ音ではない。
信号・刺激を感覚しても、まだ音ではない。
その感覚が耳からのモノと認識して初めて「音」。
因みに、テレビに夢中の時の像とは、
テレビの映像と音を中心に描かれたモノ。
この時、認識は、テレビの映像と音声を中心でも以外の感覚もある。
しかし、当人は、テレビ以外のモノには、気付いていない・無自覚である。
人間にとって、外界の全ての音を自覚・認識する事は至難である。
本能は、全ての刺激を一瞬に感覚して、外界像を描く。
人間は、外界の全ての刺激を感覚していても、その時々の思い・感情で、自覚できない感覚もあり得る。
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