新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

過去の想い出

2023-04-02 16:13:06 | 神戸だいすきブログ
46. 自由びと 2023年03月30日 08:02
そもそも普通人なら、他人に「誰・誰をボアしろ!」と言われてしまか?
私は信じていませんが、仮に「神を信心」したとしても、
ある教祖の言葉は、「神の言葉」ではありません。
それは、教祖の信心した神、彼の中の神の言葉なのです。
それは、他の人の神ではありません。


そもそも…神でない人間に神の言葉を話すのでしょうか?
神が、人間の言葉を発したならば、それは人間なのです。
人間に何もしてくれない神が、
人間に合わせて・人間の言葉で話しかけますか?

人類の歴史上の過去は多神教であり、ギリシャの神々は人間の言葉を話します。
それは、全ての人に自分の中に「自分の神」を創れる可能性のある時代だったのでしょう。

そこから、一神教⇒キリスト教は、イエスは神の子…

私には、私の中に私の神がいます。
それは、私と己・自己と自分…との会話・独り言の結果が神の言葉です。
私は、どうやら非常に異質・変わっている存在のようです。
昔から今の自分一人の時には「独り言」の連発です。大勢の前ではないですが…

家では、家内・息子がいてもやっています。
だから話しかけても時々…「え?独り言だと思った!」と言われます。



47. いえ!いえ!自由びと 2023年03月30日 09:28

私の反省・材料になりました。
その事があって、上記のような事が考えられました。
結果的には、感謝・感激です。

でも…私が「貴女が気分を害し無返事…」かな?思いました。
そこで「気分の害したなら」、「何故?」と考えて、再度読み直したら、誤解・誤読に気付いてたのです。

このように、「貴方は私が…」、「私は貴方が…」と~
互いに相手を人を思いやれる自身の心と相手との信頼関係貴重ですね。

私と家内の関係では、私の家内への思いやりは、皆無ではなくても、とても少なかった、ようです。
また、ここ数年は、息子も大きくなり、
また彼女の趣味のオーケストラ活動に忙しく、以前に程、私への思いやりは減っていたょうに感じます。

でも…それって、私の思いやりが減ったから、彼女も減った。
それとも、減った自分を正当化する為に「家内も減った」と自己弁護。

本当は、私がもっと思いやりある言葉かけをすれば、
家内もその思いやりある言葉を返してくれた。

相手に分りやすい「思いやり」とは、言葉かけです。
でも、「思いやり」は観念であり、言葉ではありません。
思いやりある言葉かけがなかったとしても…
「思いやり」は、誰もが持っている筈です。
それは、相手を想う心なのす。

ただし…でも…癌になって
私が「癌ってストレスからなるから、…俺ってストレス与えた?」と尋ねたら…
「いつも私の自由してくれて…全然なかったよ」と言っていました。
夫婦関係では、互いに相手を思いやっていても、言葉・態度で表現する事はあまりないのでしょうね…

そんな強い信頼関係が、互いにあった、ようですね。
何しろ…家内と付き合い始めて去年で31年目、結婚して24年目…
家内とは生前に「来年で25年・銀婚式やろうね…」と話していました。





48. 神戸だいすき 2023年03月30日 21:20
24年か・・・短いわ。私なんか52年よ。まだ、修行が足りないから、長く暮らさないといけないのでしょう。

私は、弁証法って「自然現象」のようなものだと思っています。
あたりまえの出来事に、理屈を与えた感じかな?

でも、これは、地上の物語です。宇宙空間に持って行くべきではない。ニュートン物理学のように。地球上で役立てたらいいんですよ。

あなたの話を聞いていると、南郷氏は、別に悪い人ではなさそうだけど、私の目から見れば、青雲さんが、あんなけったいな思想を操るようになったのは、南郷氏のせいだと思う。

牛の父で、牛の頭なんて、弁証法とは、全く違います。
彼は「情緒に流された」

それなら、優しければ、問題はないのに、玄和会関係者の、ストーカーのようなことをして、激しく憎まれたり。人として、どうかと思うことも、やったみたいでした。
どういうわけか、彼と、天寿堂氏を毛嫌いして、弾劾するブログに出会いました。

師範が直接命じたとは思わないけど、忠誠心が勝って、他人を傷つけるのは、カルトですよ。




49. 自由びと 2023年03月31日 09:13
>彼と、天寿堂氏を毛嫌いして、弾劾するブログに出会いました。

私も読んでみたいです。教えて下さい!


50. 自由びと 2023年03月31日 09:23

子供・児童は、大人・教師の言葉・真意…理解できず誤解します。
例えば、「出て行け!」と先生に怒鳴られて、出て行く児童は、教員のロボットです。
人間なら自分がその教室にいる想い・目的を考えます。
それは昔なら「学びたい」・「勉強したい」。
または、両親の想いを考えます「学校で勉強しろ」。

平気で出て行く者はロボットです。
人間なら「出て行きません」。
師範はまともな人間を創りたいのです。
それは、自分の意志で師範から、自分の求めるモノを学び取る態度です。
人間としての自己の目的を常に忘れずに意識続ける者です。





51. 自由びと 2023年03月31日 09:35


師範が御著書で書いていました。

「三浦つとむから直接学ばず、『弁証法はどういう科学か』学んでよかった」と
生身の人間なら感情的になりえます。
著書の中では感情的にはなり得ません。

例えば、師範が「〇〇〇空手を倒せ!と言ったとします。
それは、「〇〇空手を越える実力を付けろ」という師範の思いの感情的表現なのです。
私みたいな弱虫は、絶対に倒しにはいきません。
しかし、実力がある…とうぬぼれて者から、実際に闘いに行きます。

弾圧ブログでのブログ主が、もし師範の弟子であれば、師範の真意を誤解している自惚れ屋・実力者です。

52. 自由びと 2023年03月31日 09:43
「「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」ですね…む



53. 神戸だいすき 2023年03月31日 10:32
あきらかに、精神病の人でしたよ、青雲さんが生きている頃のパソコンのお気に入りに入れてたけど、今は、もう、わからない。心に青雲で、検索しまくったら出てくるかもよ。まあ、探してみてあげる。
さすがに、この件は、青雲さんには質問しなかった。



54. 自由びと 2023年04月01日 18:10
ありがとうございます。

彼は、師範になりたかったくせに、「師範の言葉」新聞は七社読んでいる」なのに…彼は、「信じられないマスゴミ・新聞など…読まない!」と公言していました。

彼は、彼の真似したいは師範の真似はするが、したくない所はしない」でした。
そんな、彼が師範になれる訳ないしょ!

彼は、彼のなりたい師範になりたかったのでしょうね…む


55. 神戸だいすき 2023年04月01日 20:07
どうでもいいけど、彼らが、あなたが中国人だという理由だけで、いじめたのは、私は、納得できない。
だから、自分達では、玄和会を、信奉しているつもりでも、実は、それをかさに着て、他人を阻害していたんじゃないかと、私は、心配でした。

それじゃあ、ろくな死に方はしないもの。でも、他人と過去は変えられない。



56. 自由びと 2023年04月02日 16:07
え?!
私って苛められていたのですか?
では、私の弁証法ゼミ追放は、彼の誤解ではなく、意図的だったのですか?
ならば…彼は、全く無能者・非弁証法的ですね。
自分達とは、違っている逸材・異質な存在を追放して…何が弁証法講座ですか?
そんな認識・態度で、何で弁証法ゼミなのでしょうか?
そう言えば…彼はゼミ員で空手でも弟子である者の名前を間違って呼んでいる事に全く気付いていませんでした。

私にとっての「苛め」とは、大勢が一人を責める事です。
なので、私に彼らからの苛めの認識はありません。
師範は、私が参加した「夏の師範合宿」の御講義で、
「…国家間の互いの悪口・言い合い…は、双方にプライドがあるから…」のような事を言っていました。

でも…彼らの言動には、差別・区別のようなモノを感じていたのも事実ですが…

結局は、組織の問題ではなく、彼らの資質の問題ですね。
私の記憶が正しいなら、聞いた話ですが…
天寿堂氏は、会から委員の仕事から突然に逃げ出し・また突然戻ってきた、そうです。

また、彼が支部長の時、支部員から借りた「会の忘年会費」を返さず帰省しようとして、貸手の弟子に催促されて…なんかトラブった問題を弁証法セミの課題にして…していた記憶があります。

57. 自由びと 2023年04月02日 16:09
そもそも仮にも過去に、師範と認めた人を、自分の掲示板で批判するのは…どうなのでしょうか?
やるなら、直接対決をすれば、いいだけです。
その直接対決が不能なら、「男は黙って…」が誇りある漢の態度でと思いますが…

再度、書きますが、青雲さん青雲さんで、「師範になりたい」のに「師範の表面的個人的な行動・癖」は真似しても、意味ある言葉「七社の新聞を読んでいる」とか「新聞の社説を読もう」のような、弁証法習得に役立つ事は、「マスコミはマスゴミ」・彼の感性から信用する事無く、読みませんでした。
また、歴史上実在が認められている「宮本武蔵」の存在しなかった証明・言説を弁証法的に展開していました。

しかし、現実・事実の否定の為の弁証法の使い方で何の役に立つのでしょうか?
児童が自分勝手な屁理屈で先生の存在を無視・(観念的)消すようなモノなのです。

しかし…私は、神戸だいすきさんのフル・オープン的な言動・態度を尊敬しないではいられません。

何しろ、高校時代のスキー学校で、各自の滑る姿をビデオ撮りして、みんなで見て先生のアドバイス貰えたのに、、私の滑る姿が、私だと誰も認識でず、「自分からも、それは僕!」と言えずに…大損し記憶があります。

まあ~何しろ表面的には普通でも、心の底には強烈な劣等感だったようです。
でも、幸か不幸か、他人を攻撃して、自己の劣等感を解消する事はなかった、ようです。






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「合宿生活での闘論」

2023-04-02 12:04:04 | ♬~我が悟りへの道程~♬
以下のコメントは、ネット界の一般常識を遺脱した、
非常識な行為を含むモノである。

もっとも…お宅的・特殊な雲海お宅の個人的常識は遺脱していない、ようですね。
だから、ネットのコメント欄に投稿できるのでしょうが…

この雲海お宅のように、特殊な個人的・雲海お宅の常識が、
ここネット界の一般常識と一致している…という思い込みが、
ここでの雲海お宅くの根本・根源的な矛盾なのでしょう。

以下↓が、その矛盾コメント。



・コメントが届いた記事
家内と私

・コメントを書いた人
雲海

・コメント
>>その内容の通りの生き様が、できたなら、人生を楽しめるものです。

>私はそれは御免こうむりますので、自由びとさんがご自分でなさることを願います


↑南郷氏は言葉は、「大志ある人間達へのモノ」なのに…
お宅のように、大志でなく、ただの自己満足を目的として、
ネットで「大志ある人々」を叩いて喜び楽しんでいる者達にとっては、
読む事自体が無意味なのに…

そんな仲間・お宅自身の無味乾燥・無意味な感情を、
「大志・悟りを求めている」自由びと記述を分かる筈ない…のに…

なのに、その言葉をお宅自身の人生に当て嵌めて
「…御免こうむります…」とは、全くの場違いの言葉・認識です。

そんな言葉は、⒉チャンネル玄和会スレッドで書いて下さい。
ある者が、「自分的に正しい常識・思考(非一般社会的)」を社会で実践した結果、犯罪者の烙印を押されてしまう、ような行為です。
自由びとも南郷氏も、お宅に、そんなモノ求めていません。
私へのお宅のコメント内容が、自由びとブログの目的・認識と相違しているからの私コメントです。

実社会で、赤の他人が、窓から聞こえた家の中の言動が気に食わないからといって、その家にわざわざ訪問して、自分の感想・考えを伝えようとしますか?
「訪問」なら確かに法律違反にはなり得ませんが…
非常に変な御仁・不審者には、なり得ます。



>この本で南郷先生は「合宿生活での闘論」を必須のものと説いていますから、自由びとさんは志願してそこに参加されるべきでしょう。

お宅には、事実と論理の区別と連関には、全く無知で分ってもいません。
家族達の家庭内での生活が「合宿生活での闘論」ともなり得まい。
例えば、息子・娘達が、一人前の成人になって、彼・彼女達の将来設計を親に話した時、その方向性に両親が納得できなかった場合…そこに話し合いが発生し得ます。
そこで、母と父の意見が一致しない。息子と母は一致、息子と父は不一致…とう状況があり得ます。
これを互いが納得できるように徹底的に話しあったなら、それは論理的には「合宿生活での闘論」になり得ます。





>もっとも、むかし私が在籍していた頃も「年寄りは来なくていい」と若者の足手まといになるような老害は排除する傾向がありましたから自由びとさんが志願しても受け入れてもらえる保証は有りませんけどね。

対象の本質を全く「分かっていない」のに、「分かっているつもり」の馬鹿お宅です。
玄和会の求める「若さ・若者」とは、肉体的な若さ・若者でなく、認識・精神的な若さ、精神的な若者です。

それは、頭脳の柔軟性を維持し続けられた者達、
若き心を持ち続けられている者達、
または、老いた心・体でも、若き心だけでも…求める者達…
そんな者たちです。

お宅の肉体年齢は知り得ませんが…
精神が、とても老い果てています。
だから、「自由学藝」の直接購入を拒否され、
あのとても勉強になり得る「オマケ」の入手不能なのですよ。



>私は自分はやらないのに他人にやらせようとする「口先だけ人間」が好きではありません。

分かっていないね!
真摯な教員達が、教師として、
教え子達に、偉そうな事を言える自分を創る為に、どれ程の学び・実践があるか?
お宅は、その「口先だけ人間」の人生・24時間の生活を、どれだけ知っていますか?

私からすれば、「口先だけの人間」って、
言語不一致の矛盾お宅、
雲海お宅その者のように思えて仕方ないのですが…




>ちなみに膵臓ガンは生活習慣病の可能性が高いとされています。「ストレス」よりも「何を食べてきたのか?」という食生活への反省が先にくるのが南郷流であり玄◯流だと思いますが、自由びとさんにはそうした観点がありません。

家庭が一緒でも、とても忙しかった家内と私の食生活・現実の仕事・活動は大きく異なっいました。
彼女は、お酒が大好きで毎晩ビールは必ず飲んでいました。
また、お酒を飲んで、太るから「白米・胚芽押し麦・五分付き米・玄米・雑穀」をミックスし特製ご飯は、食べませんでした。



>奥さまが膵臓ガンになったなら、同じ食生活をしてきた自由びとさんもなる可能性があるかも知れません。

確かに、可能性は零ではありません。
しかし、努力に努力を重ねて結果が違っていた時には、父の口癖「運命」と納得するでしょう。
だから、私は絶対に「抗がん剤治療」は受けません。
運命に任せて、「どうぞ・そのまま、どうぞ・そもままに…」ですね。

>苦しむことを楽しむという言葉遊びが好きな自由びとさんには馬の耳に念仏なんでしょうけどね。

分かっていないね!
「苦しむ事を楽しめる」までに至る過程の努力・苦痛を…
貧しかった時代の人々は、生きる為のどれだけ大変で苦痛の連続だったか?
彼らにとっては、生きる・生活できるのが喜び、だから、
その為の苦痛は当たり前のモノ、その当たり前を日々楽しむ姿勢…
それは、生きる喜びの為に、苦痛を楽しむ、努力なのです。

そもそも…「苦痛だからやらない・逃げる…だったら」彼らは、餓死への人生ですよ。
また、逃れられない苦痛を耐えきれない・ダメだ…と感じ続けやり続けたら「精神病への道」ですよ。


>自由びとさんは〇〇〇という〇〇〇だと聞かされましたけど、それは本当ですか?私が青空塾にいたとき〇〇〇という会員に会ったことはありませんけど。

この○○○記述が、ネット界で、当人との信頼関係もなく、顔も生活の知り得ない・当人の承認・確認もせず、他人の名前を掲載してしまう行為。
そして、それを間違っている・場違い…と認識不能の能力?
または、ある他人の批判・否定に、別の他人の実名・虚名を掲載し続ける恥知らずな破廉恥行為の数々…全く持って…非常識な糞怪お宅ですね♪♪♪

因みに、過去の「ドラGON拳ちゃん」の私には、お宅のコメントが苦痛で苦痛でたまりませんでした。
一時期、家内から「そんな相手は無視して、ネットへの書き込みもやめたら…」と言われました。
しかし、私にとっては、その苦痛に耐えて書き続ける事が苦行・修行でした。
だから、今は、あ宅の糞怪コメントには、結構な楽しさを感じているし…
とても、矛盾・弁証法の修行にもなり、
また「悟りへの道程」とも、位置付けられていて…

かなりの勉強になっています。
そして、りっかりと大きく目を開けて読んで下さい!

確かに「合宿」ではありません。
でも、「ネット界」で数年・数十年…の間、
互いに相手を否定し続けてのコメントの応酬を
「同じ世界で逃げずに闘論し続ける」が、
お宅の指摘、>この本で南郷先生は「合宿生活での闘論」を必須のものと説いていますから、自由びとさんは志願してそこに参加されるべきでしょう。<

事実的「合宿生活での討論」はなくても、
「ネット界での日々の書き込み生活での闘論」になり得ています。



だから、私が「口先だけ人間」でないのてす。
私は、「論理的」に「合宿生活での闘論」を主体性をもって主体的に実践し続けています。

論理的事実を分からずに、現実的な判断だけで、他人「口先だけの人間」と罵っている、
この事を言動不一致の矛盾の雲海お宅こそ、客観的には「口先だけの嘘つき人間」となりえます。

まあ~「お宅の観念的事実=現実的事実」と確信・認識している雲海お宅自身にとってのお宅は「口先だけの人間」とは、認識不能でしょうが…




コメント (2)
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