事実的と論理的…思考について~
<「卵とニワトリどちらが先?」>とういう命題に対して、以下のように類似した命題が考えられる。
「鶏卵と鶏どちらが先?」、
「卵とニワトリどちらが先?」、
「鳥類の卵とトリどちらが先?」、
「卵と鳥類どちらが先?」、
さて~「鶏卵と鶏どちらが先?」について~
眼前に「ニワトリA」を置いて、
この鶏は、卵から産まれた!
この鶏は、鶏卵から産まれた!
この鶏は、別の鶏の卵から産まれた!
ここから、以下のように言える。
ニワトリは、卵から産まれる。
ニワトリは、鶏卵から産まれる。
そのニワトリは、別の鶏のタマゴから生まれる。
今度は、眼前に「卵X」を置いて、この卵は、何が生んだ卵?
その時、
その「タマゴX」が…ニワトリ卵だと特定できたなら~「ニワトリが生んだ卵」。
「ニワトリ」とは特定できないが、鳥の卵だと特定できたなら「あるトリ(鳥類)が生んだ卵」。
全く…何の卵か特定できないが…それでも、卵だと特定できているなら「ある生物の産んだ卵から…」。
眼前の鶏に対して」「この鶏と卵は、どちらが先?」
それは、「卵が先!」
眼前の卵に対して、「この(鶏)卵とニワトリ」どちらが先?」
それは、ニワトリが先!
特定の存在している「鶏と一般的なタマゴ」なら、一般的な「タマゴが先」。
特定の存在している「卵とニワトリ一般」なら、「ニワトリが先」。
現代の鶏は、鶏卵を産む。
現代の鶏卵は、(ヒヨコから)鶏になる。
「卵とニワトリどちらが先?」の答えを~
「卵か先」だと特定したなら、「鶏は、必ず(ある)卵からが生まれる」と想定。
「ニワトリが先!」だと特定したなら、「ニワトリは、必ず鶏卵を産む」と想定。
ここから、論理的に思考するなら…
卵には、魚の卵、爬虫類の卵、両生類の卵、昆虫の卵…と色々な「卵」がある。
でも、それらの生物は、現代では、全て「卵」から産まれている。
なので、現代に特定するなら「卵が先」。
また、過去から思考するなら、ニワトリは、初めからニワトリではなく…
ある生物が進化してニワトリになった。
ならば、ニワトリに進化した生物がニワトリのタマゴを生んだ。
この場合は、「ニワトリが先!」
それでも…
ニワトリに進化(量質転化)できない非ニワトリ(生物)が、産んだ卵から、ニワトリが誕生したなら「卵が先」
そもそも…ニワトリとは、本能で生きる生物の成体。
卵とは、ある生物の成体になり得る機能を持ったモノ。
それは言うなれば「生物以前」と言えよう。
世界観として、「卵が先」と考える時…、
以下のような二通りの想定が可能であろう。
一つ~
卵には、魚の卵、爬虫類の卵、両生類の卵、昆虫の卵…と色々な「卵」がある。
でも、それらの生物は、現代では、全て「卵」から産まれている。
なので、現代に特定するなら「卵が先」。
一つ~
ニワトリに進化(量質転化)できない非ニワトリ(生物)が、産んだ卵から、ニワトリが誕生したなら「卵が先」
世界観として、「ニワトリが先」とするなら~
過去から思考するなら、ニワトリは、初めからニワトリではなく…
ある生物が進化してニワトリになった。
ならば、ニワトリに進化した生物がニワトリのタマゴを生んだ。
この場合は、「ニワトリが先!」
ニワトリとは、成体した生物・鳥類であり本能という機能を持った実態・実体。
卵とは、成体化する機能を持った・細胞・実態・実体。
殆どの「卵」は、似たような形・外形をしている。
ここに、「卵」があったとしも、その機能は、直接は見えない。
また、殆どの「卵」は、似たような形・外形をしている。
しかし、ニワトリは、直接本能は、観えなくでも、本能的な動きは見える…
また、その姿形から、ニワトリと特定し易いモノである…
ここで以下の命題!
「機能が先か?」or「実態・実体が先か?」
質的な進化が可能な機能を有したモノ実体が、
外界・環境から強いられてその機能を発揮してある実態を強いられ続けた結果、
結節点を超え、量質転化化して、その実態が実体化した結果、別モノに進化していく。
空手のある型は、ある空手家の実態・実体技であっても、
他の人には、ただの機能としての「空手の型」であり、空手技ではない。
ある機能を使って特定の動作・運動の(意識的な)繰り返しが、その機能を特定の技化(無意識化)していく。
事実を事実として思考。
事実を論理的事実として思考。
事実を論理的に思考。