新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

不自由論から始める自由論(その二)

2024-04-17 16:36:35 | 自由論
不自由論から始める自由論(その二)

「自由」とは~
例解新国語辞典[第二版]三省堂
自由―他から制限されたり邪魔されたりしないで、自分の思い通りにできること。

「自由」が上記のような意味であるなら、
「不自由」とは、他から制限されたり邪魔されたりして、自分の思い通りにできない事。



さて…では、「思いのない赤子」が、泣き続けるのは、「自由」or「不自由?
赤子が泣き続けるのは、何か「不快感」があり、その「不快感」を解消したいから…
でも…赤子自身に、『不快感を解消したい』という思いはまだない。
そもそも…その「不快感」の正体も不明なのが…赤子であろう…

では、乳幼児が、尿意・便意を感じて、そく排出は、自由 or不自由?
「尿意・便意そく排出」の場合、そこには『排尿・排便したい』という思いがない…
言うなれば、「本能的・直観的」…ヘーゲル流には「即自的」反応と言えよう。
従って、自由ね不自由もなく、即自的「問題の発生そく解決」~終了!


人間の大人、不快感を自覚可能な者なら不快感の解消の努力をするだろう~
その時、赤子のように、自身の不快感の原因・正体が分かり得ないなら…
その者は、不快感を解消したい思いがあるのに…
その原因・正体そして解消の方法が不明で、思い通りにならない「不自由」を味わる事になろう。


人が「自由を求める」時、そこには、「不快感・問題意識」…
「何か上手くいかない…」、「いつもは『〇』!なのに…何故か、今日は『×』」…といった思いがあろう。

いつもは「思い通りなのに」…「今日は思い通りにいかない」…そのような『思い』があろう。
そこで、その「思い通りにならない、「制限・邪魔モノ」が見つかれば、
その排除によって、「不自由から自由への道」が開かれる、のだろう…

例えば、ここ数日の私は、右股関節の痛みで、思い通りに歩けていない(非常に不自由に感じる)
その理由は、数年前も同じように不自由だったが…
昨年の夏あたりから「痛みが解消」されて、自由に歩けて、
更に、ここ数年不可能だった「全力走」のできるようになっていた。
そんな自由・快感の後…の「右関節痛」での不自由さ…それは強烈な不快感。
そこで、整骨院と整体院と二か所へ通っていたがヤッパリだめ…

原因は、空手時代怪我…それに加齢による生活の変化…あり過ぎて特定し難い…
でも…過去の私的な体験から、こんな時は「プールで治療・回復・運動」…
その理由は、整体院・整骨院の先生が口御揃えて「左右差」が原因と言い切っている。


「左右差」解消・軽減には、「プール」水中での全身運動!
その結果、まだまだ完全解消には至っていないが…
今日の「右股関節」は、ここ数日の中で、一番痛みが少なくなっている…

師範曰く、達人への道は、人間体から脱却(武道体へ)、そして「再び人間体への収斂・復帰」…

現代の私の身体の中では、空手修練を通じて、目的意識的に鍛えた骨・筋肉・神経…と
今までの日頃の生活の中で無自覚的に使っていた骨・筋肉・神経…等が、混じり・合い重なりあっている。


加齢による老化では、
「自然的+空手的骨・筋肉・神経」と
「ただの自然的なモノ」では、
老化によう衰退のスピードが違ってくる。

その事による「左右差」・「部分差」の結果…全身のバランスに崩れが生じて…
その現象部位が、今でも故障中の「右足小指関節の亜脱臼」…
その結果が「右股関節」の強烈な痛み…

では、何故に、昨年から一時期、全力走が可能になる程の解消回復があったのだろうか?

今回は、ここまで、それなりの反響があれば…つ・づ・く・かも?









コメント (4)
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