~禅と禅問答~
ここ最近の私が嵌っていた事は、
「倶胝竪指 (ぐていじゅし)
......<無門関・第3則>」を考える事である。
第3則/倶胝竪指 (asahi-net.or.jp)
この公案での「倶胝和尚のように、“一指”を立てる事」とは、
禅修行の結果体得・会得した「倶胝和尚」の禅的悟りの境地であり、
それは 、他の誰かが「一指を立てたら悟れる」…といったモノでない…
倶胝和尚の過去からの必死に苦しみながらの「禅問答との対峙」・取り組みの結果であろう。
それは、哲学的・学問的に言い換えるなら
「全ては一つ」・「世界は一つ」・「世界の全ては一つ」・「全て・世界は一指」…となろう…
「禅問答」とは、答えが分かる・分からないに関係なく、
己の禅師を納得させる答えを見つけ出すまで続ける「自分との問答」であろう。
独りでやるなら…それが正解か否かの判断・判定が少々難しくなり得るだろうが…
この時、禅の悟りとは、
禅師を納得させられる解答を見つけ出す過程とその結果を態度・言葉…で表現し得た…
その「初め・過程・結果の一連・一纏め認識」なのだろう。
小学校では、
「子供達が面倒臭い!」と言っていると…
先生達は
「その言葉は止めましょう!」とか、
「そんな言葉は聞きたくない!とか、
「……無言で無視……」とか、
「文句を言わずやりましょう!」とか、
「先生も子供の頃…」(自分の経験談)とか、であるが…
私は考えた~
何故に 子供達・大人・私は「面倒臭い!」と思うのか?
そして、何故 それを言葉に出しているのか?
心の底から『面倒臭い!』と思っている子供は、口に出さず全くやろうとしないモノである。
口に出して言っている子供は「好きじゃない!やりたくない!面倒だ!」でも…「やらねば?」と言った矛盾・葛藤…
頭・理性的には「やらねば!やるべきだ!」でも…
心・感情的には「好きじゃない…やりたくない!面倒だから…」といった矛盾・葛藤が発生している…のだろう…
そんな子供達と関わり続けて、最近やっと以下のような言葉が自然に出せるようになった…
と言っても、この言葉を言える相手は、私の言葉を比較的素直に受け入れてくれる児童であるが…
その言葉とは、
児童―「こんなの…面倒臭い!」
私――「面倒臭い事でも、やろう!と頑張るのが勉強だ!」
私――「だから頑張ってやって下さい!」
先生に対して「面倒くさい!」と公言できる児童は、殆どいない…
補助員の私だから、私とその児童の関係性であっての私への「面倒臭い!」発言だから…
この言葉に至った経緯は「勉強とは、勉めて強いる」だから、
「面倒臭い!とは、ココロとアタマの葛藤・矛盾だから…
学校とは、勉強する場所であり、勉強とは、やりたくなくても、やるべき事はやろうと強いて勉める事(その結果・面倒でなくなる)だから…
「面倒臭い!」と言葉で発せられる児童なら、このような言葉を分かって貰えるだろう…から…。
だから…当然に、何も言わずにやろうとしない児童には…使わない・使えない言葉である。
それでも…私の言葉「面倒くさい!事をやろう…とするのが勉強」とは、
私にとって、完成された認識・言葉・「「倶胝和尚のように、“一指”を立てる事」こと同様である。
この私の言葉を素直に受け入れられる児童とは、禅師と弟子…的信頼関係が必要であろう…
完成された「「倶胝和尚のように、“一指”を立てる事」と…
その禅的な悟りへの過程である「禅問答」とは、別物であろう…
誰かが書いていた…
「禅問答」は、必死に考えても・考えても…禅師の納得は得られず…
最後の最後に…「え~い!糞!」・「もう~どうとでもなれ!」…
と…ヤケクソに出した答え・認識が正解となり得る事も多々ある…そうである。
その点「隻手音声(せきしゅおんじょう)」とは、
ヤケクソのようでいて…とても合理的な解答だと思えてしまうのだが…
間髪入れずに、「これを聞いてみよ!」と「片手で眼前の禅師の耳を叩いた」
現代・社会は、何事も対しても 安易に苦労なく簡単に模範解答を入手可能な良き時代?なのだろう…
<1> 公案
倶胝(ぐてい)和尚は、誰が何を問うても、ただ一指を立てた。
彼に若い有髪の侍者が仕えていた。訪問者が、「あなたの師匠は、どんな禅を説か
れますか」と問うと、侍者もまた一指を立てた。これを聞いた倶胝は、刃で侍者の指を
断ち切ってしまった。侍者が苦痛に号泣しながら走り去ろうとした時、倶胝は彼を呼ん
だ。彼が頭をめぐらすと、倶胝は一指を立てた。侍者は忽然(こつぜん)として領悟した。
倶胝はその臨終にあたって、集まった僧たちに言った。
「わたしは“天竜の一指頭の禅”を得て生涯これを使ったが、使い尽くせなかった。」
こう言い終わって遷化(せんげ)した。
この公案は、話の内容としては、分かりやすい考案だと思います。しかし、この内
容の真髄を説明するとなると、非常に難しいものがあります。結局、その全てを説明
するには、倶胝和尚のように、“一指”を立てる事に尽きるのかもしれません。
それにしても、この倶胝和尚は、どんな禅問答を仕掛けられても、ただ指を1本立
てるだけだったと言います。また、一生涯、この一指を立てること以外、何の説法も
しなかったと言います。そして、彼は臨終の際、
「わたしは、“天竜の一指頭の禅”を得て生涯これを使ったが、使い尽くせな
かった」
...と言っています。つまり、“一指”を立てることの中に、汲めども尽きない禅の
全てが満ちていたという事です。何とも徹底した、痛快な禅的生涯だったでしょうか。
彼は、まさにその指先で、
ほら、ココに!...今まさ、ココに!...無門の関が開いているではないか!
仏性もココにある!趙州の無字もココにあるではないか!
峰の色から入れ、谷の響きから入れ、空の雲の流れから入れ! この指先か
ら入れ!
...と、教えているわけです。その倶胝の指し示しているのは、まさに、則、眼前
に展開しているリアリティーの世界のことです。この、あまりにも身近にありすぎる、
切れ目のない、眼前の風景のことです。
この、二元的対立を超えたリアリティーの風景を指し示すのに...“一指”
を立てること以外に...どのような方法があると言うのか...
...まさに、時を越えて、倶胝和尚のつぶやきが聞こえてきます。さて...この
公案の第二段で、倶胝和尚は侍者の童子の立てた一指を、“似て非なるもの”とし
て断ち切ってしまいました。しかし、実はその童子の指先にも、
今まさに...ココ...である無門の関...
...は大きく開いていたのです。ただ、童子はそれに気づきません。もう、あと一
歩の所まで来ているのに、実に惜しいことです。そこで、倶胝和尚は、指を断ち切る
という非常手段に出たわけです。現代風に考えれば、ひどい事をすると思うかもし
れません。しかし、確証も無しに侍者の指を断ち切ったわけではありません。ここは
まさに、倶胝和尚の禅的力量が発揮されたところです。
それにしても、昔は道を求めるということは、命がけでした。釈尊自身も、何度も、
死を覚悟の苦行を繰り返しています。また、禅宗の初祖・菩提達磨に教えを請うた
二祖・慧可は、その真を示すために、菩提達磨の目の前で片腕を切り落としていま
す。
<無門関第41則/達磨安心>
<関連 > / 私の “心” は、いったい何処にあるのか?
禅宗の初祖・菩提達磨(ぼだいだるま)と2祖・慧可(えか)の話です。
<2> “一指頭の禅”の成立
この“無門関・第3則”となる倶胝禅師には、こんなエピソードがあります。
彼は若い頃、山中の庵で一人座禅をしていました。そうしたある日、実際尼という
尼僧の訪問を受けました。ところがこの尼さん、あろうことか笠を付けたまま庵室に
入って来ました。しかも、無礼にも錫杖をジャランジャランと鳴らしながら、倶胝の周
りを三週したといいます。それから、彼の正面に立って、こう言いました。
「もしあなたが、私を満足させる一語を言い得るならば、笠を取りましょう...」
尼僧は、三度問うたが、倶胝は何とも答えられなかった。彼はまだ、心眼が開け
てはいなかったのです。すると、尼僧はさっさと出て行こうとしました。そこで、ようや
く倶胝はこう言いました。
「もう、日もだいぶ傾いてきました。今夜は、ここに泊まっていってはどうですか」
(倶胝は、見事に一語を言い得ています...しかし、自分ではそれに気がつきません)
すると、尼僧は折りたたむように、こう言いました。
「もし、あなたが、一語を言い得たらば、泊まりましょう...」
しかし、やはり倶胝は何も答えられなかった。ここで倶胝は大いに反省し、一念発
起しました。このまま、一人ここで座禅をしていてはダメだと思ったのです。すぐさま、
諸国に名僧を訪ね、修行の旅に出る事を決意したのです。ところが、倶胝はこの夜、
夢を見ました。そして、その夢の中で、こうお告げを受けたのです。
「近くこの草案に、そなたの師となる優れた禅匠が訪れるであろう...」
そこで倶胝は、しばらく山に留まることにしました。すると十日ほどたった頃、一人
の老僧が庵にやってきました。大梅法常禅師の法嗣・天竜禅師でした。倶胝は、礼
を尽して迎え入れ、尼僧との事、夢のお告げの事、などを話し、
“禅の根源的な一句”
...とは何かと問いました。この時、天竜禅師は、黙ってただ“一指”を立てまし
た。するとこの瞬間、倶胝は忽然と心中の暗雲が晴れました。彼は心眼が開け、
大悟したのです。以来、倶胝はこの“天竜の一指頭の禅”を確立し、一生涯使い続
けました。しかし、臨終の際、これを使いきる事が出来なかったと言っています。
そこには、何とも広大で明快な、禅的な世界が広がっていたのです。そしてこの
“無門の関”を通れば、向こうには趙州も南泉も馬祖もいます。五祖・弘忍、初祖・菩
提達磨の姿も透けて見えます。彼らはみな同じ心で、二元的対立を超えた、この世
界の真理を見つめています。
倶胝禅師の“一指頭の禅”とは、まさに痛快きわまる禅の境涯です。私の説明な
どは、全て蛇足になります。が、未熟者ゆえ、あえてその蛇足を述べておきます。
ここで重要なのは、一指を立てる事ではありません。重要なのは、まさに倶胝の
激しい草案での修行が、機を熟していたということです。しかも、ここで尼僧に何も
答えることが出来ず、倶胝は“大地黒漫々”の状況に叩き込まれていました。諸国
行脚の修行に出るなどとうろたえたのも、まさにその狼狽振りを示しています。そし
て、そこに...
天竜禅師の一指!
...です。ここはもはや、理屈ではありません。この“一指”によって倶胝は、主体
とか客体とかの二元的世界を超越し、内外打成一片(ないげだじょういっぺん)<ジャンプ> の
風景を見たのです。
(1999.8.2)
<3> 無門の評語/...口語訳
倶胝の悟りも、また若い侍者の悟りも指の上にはない。このところを真に見通し得
るならば、天竜も倶胝も侍者も、そして君自身も、皆一串(ひとくし)に貫き通されてしまう
であろう。
無門禅師は、倶胝の“悟り”も、若い侍者の“悟り”も、指の上にはないといいま
す。では、何処にあるのか... <KK>
それは、自己を“無”にした時に見えてきます。では、自己を“無”にするとは、どう
いうことでしょうか...それは、主観と客観という二元論的な対立を超越し、自己が
“内外打成一片(ないげだじょういっぺん)” <ジャンプ> となることです。
では、この“内外打成一片”とは、どのようなものでしょうか。これは、この眼前する
リアリティーの世界を観じる時、世界という自己が、世界という自己自身を見つめてい
る関係になります。私は目の前の風景であり、雲であり山であり川であり...その私
が、風景そのものを見ています。雲が、山が、川が、それ自体を見つめています。こ
の時、自己が“無”なっています。二元的自己を超越し、“内外打成一片”が実現して
います。
( 例えば、静かな水辺で、水を見つめてください。そして、自分自身の“自己”の境界線
を、水辺の風景にまで押し広げて行ってください。そして、拡大した自己で、自己自身を
見つめてください...ここは、とりあえず自己の拡大になります.....本来は“無”であ
り、“無我”になるための道程です...)
( このような、日常的な言語感覚の世界を越えるところに、悟りの世界の不可解さ、奇
妙さがあります。しかし、本来、この悟りの世界の方が真実の姿です。私たちは、二元
対立的な幻想から生まれた言語的意味世界から、より深いリアリティーの世界に立ち帰
ろうとしているのです。しかし、だからといって、“悟り”とは日常からかけ離れた、恐ろし
いものではありません。道元禅師も正法眼蔵の中で、それは“水に宿る月のようなもの”
と言っておられます。つまり、水に月が映るように、ごく自然なものだということです。
人が悟りを得るのは、ちょうど水に月が宿るようなものである。月は濡れ
ず、水は破れない。広く大きな光ではあるが、寸尺の水にも宿る。月全体が
草の露にも宿り、一滴の水にも宿る。
悟りが人を破らないのは、月が水に穴をあけないようなものである。人が
悟りを妨げないのは、一滴の露が天の月を妨げないようなものである。一滴
の水の深さは、天の月の高さを宿している。
月影が宿る時の長短にかかわらず、それが大水にも小水にも宿ることを
学び、天の月の大きさを知りなさい。
( 正法眼蔵/現成公案より /ジャンプ )
最初は、この“内外打成一片”という感覚は、ほんのかすかかもしれません。しか
し、世界が世界自身を見つめているという感覚は、比較的簡単に体験できます。この
時の感覚は...
この時、彼はすばらしい夢を見た唖子(おし)のようなもので、ただ自分が身をもって
知っているだけである。
( 無門関・第1則/無門の評語より/ジャンプ )
つまり、この感覚です...これが、“内外打成一片”の風景の片鱗です。そして、こ
こが、“悟り”の入り口、“無門の関”です。
大道無門
千差路あり
この関を透得( とうとく )せば
乾坤( けんこん/宇宙 )に独歩せん
( 無門禅師の自序/ジャンプ )
峰の色 谷の響きも みなながら
我が釈迦牟尼の 声と姿と
( 道元禅師の短歌/ジャンプ )
さあ、ようやく“無門の関”に着きました...後は、この“関”を通り抜けることです。
そして、“悟り”の世界に入って行かなければなりません。
<第3則/倶胝竪指>...終わり
公案は、ひとつを通れば、全てを通ると言います。また、内容も“悟り”という同じ一つ
のものを探求しています。したがって、同じ概念や似たような説明がくり返し出てくる事に
なります。こうしたくり返しや重複の中で、禅の風景を学んでいってください。また、こうし
た中から、自分の最も気に入った公案を見つけてください。
次は、第4則/胡子無鬚 (こすむしゅ)を予定しています。
ここ最近の私が嵌っていた事は、
「倶胝竪指 (ぐていじゅし)
......<無門関・第3則>」を考える事である。
第3則/倶胝竪指 (asahi-net.or.jp)
この公案での「倶胝和尚のように、“一指”を立てる事」とは、
禅修行の結果体得・会得した「倶胝和尚」の禅的悟りの境地であり、
それは 、他の誰かが「一指を立てたら悟れる」…といったモノでない…
倶胝和尚の過去からの必死に苦しみながらの「禅問答との対峙」・取り組みの結果であろう。
それは、哲学的・学問的に言い換えるなら
「全ては一つ」・「世界は一つ」・「世界の全ては一つ」・「全て・世界は一指」…となろう…
「禅問答」とは、答えが分かる・分からないに関係なく、
己の禅師を納得させる答えを見つけ出すまで続ける「自分との問答」であろう。
独りでやるなら…それが正解か否かの判断・判定が少々難しくなり得るだろうが…
この時、禅の悟りとは、
禅師を納得させられる解答を見つけ出す過程とその結果を態度・言葉…で表現し得た…
その「初め・過程・結果の一連・一纏め認識」なのだろう。
小学校では、
「子供達が面倒臭い!」と言っていると…
先生達は
「その言葉は止めましょう!」とか、
「そんな言葉は聞きたくない!とか、
「……無言で無視……」とか、
「文句を言わずやりましょう!」とか、
「先生も子供の頃…」(自分の経験談)とか、であるが…
私は考えた~
何故に 子供達・大人・私は「面倒臭い!」と思うのか?
そして、何故 それを言葉に出しているのか?
心の底から『面倒臭い!』と思っている子供は、口に出さず全くやろうとしないモノである。
口に出して言っている子供は「好きじゃない!やりたくない!面倒だ!」でも…「やらねば?」と言った矛盾・葛藤…
頭・理性的には「やらねば!やるべきだ!」でも…
心・感情的には「好きじゃない…やりたくない!面倒だから…」といった矛盾・葛藤が発生している…のだろう…
そんな子供達と関わり続けて、最近やっと以下のような言葉が自然に出せるようになった…
と言っても、この言葉を言える相手は、私の言葉を比較的素直に受け入れてくれる児童であるが…
その言葉とは、
児童―「こんなの…面倒臭い!」
私――「面倒臭い事でも、やろう!と頑張るのが勉強だ!」
私――「だから頑張ってやって下さい!」
先生に対して「面倒くさい!」と公言できる児童は、殆どいない…
補助員の私だから、私とその児童の関係性であっての私への「面倒臭い!」発言だから…
この言葉に至った経緯は「勉強とは、勉めて強いる」だから、
「面倒臭い!とは、ココロとアタマの葛藤・矛盾だから…
学校とは、勉強する場所であり、勉強とは、やりたくなくても、やるべき事はやろうと強いて勉める事(その結果・面倒でなくなる)だから…
「面倒臭い!」と言葉で発せられる児童なら、このような言葉を分かって貰えるだろう…から…。
だから…当然に、何も言わずにやろうとしない児童には…使わない・使えない言葉である。
それでも…私の言葉「面倒くさい!事をやろう…とするのが勉強」とは、
私にとって、完成された認識・言葉・「「倶胝和尚のように、“一指”を立てる事」こと同様である。
この私の言葉を素直に受け入れられる児童とは、禅師と弟子…的信頼関係が必要であろう…
完成された「「倶胝和尚のように、“一指”を立てる事」と…
その禅的な悟りへの過程である「禅問答」とは、別物であろう…
誰かが書いていた…
「禅問答」は、必死に考えても・考えても…禅師の納得は得られず…
最後の最後に…「え~い!糞!」・「もう~どうとでもなれ!」…
と…ヤケクソに出した答え・認識が正解となり得る事も多々ある…そうである。
その点「隻手音声(せきしゅおんじょう)」とは、
ヤケクソのようでいて…とても合理的な解答だと思えてしまうのだが…
間髪入れずに、「これを聞いてみよ!」と「片手で眼前の禅師の耳を叩いた」
現代・社会は、何事も対しても 安易に苦労なく簡単に模範解答を入手可能な良き時代?なのだろう…
<1> 公案
倶胝(ぐてい)和尚は、誰が何を問うても、ただ一指を立てた。
彼に若い有髪の侍者が仕えていた。訪問者が、「あなたの師匠は、どんな禅を説か
れますか」と問うと、侍者もまた一指を立てた。これを聞いた倶胝は、刃で侍者の指を
断ち切ってしまった。侍者が苦痛に号泣しながら走り去ろうとした時、倶胝は彼を呼ん
だ。彼が頭をめぐらすと、倶胝は一指を立てた。侍者は忽然(こつぜん)として領悟した。
倶胝はその臨終にあたって、集まった僧たちに言った。
「わたしは“天竜の一指頭の禅”を得て生涯これを使ったが、使い尽くせなかった。」
こう言い終わって遷化(せんげ)した。
この公案は、話の内容としては、分かりやすい考案だと思います。しかし、この内
容の真髄を説明するとなると、非常に難しいものがあります。結局、その全てを説明
するには、倶胝和尚のように、“一指”を立てる事に尽きるのかもしれません。
それにしても、この倶胝和尚は、どんな禅問答を仕掛けられても、ただ指を1本立
てるだけだったと言います。また、一生涯、この一指を立てること以外、何の説法も
しなかったと言います。そして、彼は臨終の際、
「わたしは、“天竜の一指頭の禅”を得て生涯これを使ったが、使い尽くせな
かった」
...と言っています。つまり、“一指”を立てることの中に、汲めども尽きない禅の
全てが満ちていたという事です。何とも徹底した、痛快な禅的生涯だったでしょうか。
彼は、まさにその指先で、
ほら、ココに!...今まさ、ココに!...無門の関が開いているではないか!
仏性もココにある!趙州の無字もココにあるではないか!
峰の色から入れ、谷の響きから入れ、空の雲の流れから入れ! この指先か
ら入れ!
...と、教えているわけです。その倶胝の指し示しているのは、まさに、則、眼前
に展開しているリアリティーの世界のことです。この、あまりにも身近にありすぎる、
切れ目のない、眼前の風景のことです。
この、二元的対立を超えたリアリティーの風景を指し示すのに...“一指”
を立てること以外に...どのような方法があると言うのか...
...まさに、時を越えて、倶胝和尚のつぶやきが聞こえてきます。さて...この
公案の第二段で、倶胝和尚は侍者の童子の立てた一指を、“似て非なるもの”とし
て断ち切ってしまいました。しかし、実はその童子の指先にも、
今まさに...ココ...である無門の関...
...は大きく開いていたのです。ただ、童子はそれに気づきません。もう、あと一
歩の所まで来ているのに、実に惜しいことです。そこで、倶胝和尚は、指を断ち切る
という非常手段に出たわけです。現代風に考えれば、ひどい事をすると思うかもし
れません。しかし、確証も無しに侍者の指を断ち切ったわけではありません。ここは
まさに、倶胝和尚の禅的力量が発揮されたところです。
それにしても、昔は道を求めるということは、命がけでした。釈尊自身も、何度も、
死を覚悟の苦行を繰り返しています。また、禅宗の初祖・菩提達磨に教えを請うた
二祖・慧可は、その真を示すために、菩提達磨の目の前で片腕を切り落としていま
す。
<無門関第41則/達磨安心>
<関連 > / 私の “心” は、いったい何処にあるのか?
禅宗の初祖・菩提達磨(ぼだいだるま)と2祖・慧可(えか)の話です。
<2> “一指頭の禅”の成立
この“無門関・第3則”となる倶胝禅師には、こんなエピソードがあります。
彼は若い頃、山中の庵で一人座禅をしていました。そうしたある日、実際尼という
尼僧の訪問を受けました。ところがこの尼さん、あろうことか笠を付けたまま庵室に
入って来ました。しかも、無礼にも錫杖をジャランジャランと鳴らしながら、倶胝の周
りを三週したといいます。それから、彼の正面に立って、こう言いました。
「もしあなたが、私を満足させる一語を言い得るならば、笠を取りましょう...」
尼僧は、三度問うたが、倶胝は何とも答えられなかった。彼はまだ、心眼が開け
てはいなかったのです。すると、尼僧はさっさと出て行こうとしました。そこで、ようや
く倶胝はこう言いました。
「もう、日もだいぶ傾いてきました。今夜は、ここに泊まっていってはどうですか」
(倶胝は、見事に一語を言い得ています...しかし、自分ではそれに気がつきません)
すると、尼僧は折りたたむように、こう言いました。
「もし、あなたが、一語を言い得たらば、泊まりましょう...」
しかし、やはり倶胝は何も答えられなかった。ここで倶胝は大いに反省し、一念発
起しました。このまま、一人ここで座禅をしていてはダメだと思ったのです。すぐさま、
諸国に名僧を訪ね、修行の旅に出る事を決意したのです。ところが、倶胝はこの夜、
夢を見ました。そして、その夢の中で、こうお告げを受けたのです。
「近くこの草案に、そなたの師となる優れた禅匠が訪れるであろう...」
そこで倶胝は、しばらく山に留まることにしました。すると十日ほどたった頃、一人
の老僧が庵にやってきました。大梅法常禅師の法嗣・天竜禅師でした。倶胝は、礼
を尽して迎え入れ、尼僧との事、夢のお告げの事、などを話し、
“禅の根源的な一句”
...とは何かと問いました。この時、天竜禅師は、黙ってただ“一指”を立てまし
た。するとこの瞬間、倶胝は忽然と心中の暗雲が晴れました。彼は心眼が開け、
大悟したのです。以来、倶胝はこの“天竜の一指頭の禅”を確立し、一生涯使い続
けました。しかし、臨終の際、これを使いきる事が出来なかったと言っています。
そこには、何とも広大で明快な、禅的な世界が広がっていたのです。そしてこの
“無門の関”を通れば、向こうには趙州も南泉も馬祖もいます。五祖・弘忍、初祖・菩
提達磨の姿も透けて見えます。彼らはみな同じ心で、二元的対立を超えた、この世
界の真理を見つめています。
倶胝禅師の“一指頭の禅”とは、まさに痛快きわまる禅の境涯です。私の説明な
どは、全て蛇足になります。が、未熟者ゆえ、あえてその蛇足を述べておきます。
ここで重要なのは、一指を立てる事ではありません。重要なのは、まさに倶胝の
激しい草案での修行が、機を熟していたということです。しかも、ここで尼僧に何も
答えることが出来ず、倶胝は“大地黒漫々”の状況に叩き込まれていました。諸国
行脚の修行に出るなどとうろたえたのも、まさにその狼狽振りを示しています。そし
て、そこに...
天竜禅師の一指!
...です。ここはもはや、理屈ではありません。この“一指”によって倶胝は、主体
とか客体とかの二元的世界を超越し、内外打成一片(ないげだじょういっぺん)<ジャンプ> の
風景を見たのです。
(1999.8.2)
<3> 無門の評語/...口語訳
倶胝の悟りも、また若い侍者の悟りも指の上にはない。このところを真に見通し得
るならば、天竜も倶胝も侍者も、そして君自身も、皆一串(ひとくし)に貫き通されてしまう
であろう。
無門禅師は、倶胝の“悟り”も、若い侍者の“悟り”も、指の上にはないといいま
す。では、何処にあるのか... <KK>
それは、自己を“無”にした時に見えてきます。では、自己を“無”にするとは、どう
いうことでしょうか...それは、主観と客観という二元論的な対立を超越し、自己が
“内外打成一片(ないげだじょういっぺん)” <ジャンプ> となることです。
では、この“内外打成一片”とは、どのようなものでしょうか。これは、この眼前する
リアリティーの世界を観じる時、世界という自己が、世界という自己自身を見つめてい
る関係になります。私は目の前の風景であり、雲であり山であり川であり...その私
が、風景そのものを見ています。雲が、山が、川が、それ自体を見つめています。こ
の時、自己が“無”なっています。二元的自己を超越し、“内外打成一片”が実現して
います。
( 例えば、静かな水辺で、水を見つめてください。そして、自分自身の“自己”の境界線
を、水辺の風景にまで押し広げて行ってください。そして、拡大した自己で、自己自身を
見つめてください...ここは、とりあえず自己の拡大になります.....本来は“無”であ
り、“無我”になるための道程です...)
( このような、日常的な言語感覚の世界を越えるところに、悟りの世界の不可解さ、奇
妙さがあります。しかし、本来、この悟りの世界の方が真実の姿です。私たちは、二元
対立的な幻想から生まれた言語的意味世界から、より深いリアリティーの世界に立ち帰
ろうとしているのです。しかし、だからといって、“悟り”とは日常からかけ離れた、恐ろし
いものではありません。道元禅師も正法眼蔵の中で、それは“水に宿る月のようなもの”
と言っておられます。つまり、水に月が映るように、ごく自然なものだということです。
人が悟りを得るのは、ちょうど水に月が宿るようなものである。月は濡れ
ず、水は破れない。広く大きな光ではあるが、寸尺の水にも宿る。月全体が
草の露にも宿り、一滴の水にも宿る。
悟りが人を破らないのは、月が水に穴をあけないようなものである。人が
悟りを妨げないのは、一滴の露が天の月を妨げないようなものである。一滴
の水の深さは、天の月の高さを宿している。
月影が宿る時の長短にかかわらず、それが大水にも小水にも宿ることを
学び、天の月の大きさを知りなさい。
( 正法眼蔵/現成公案より /ジャンプ )
最初は、この“内外打成一片”という感覚は、ほんのかすかかもしれません。しか
し、世界が世界自身を見つめているという感覚は、比較的簡単に体験できます。この
時の感覚は...
この時、彼はすばらしい夢を見た唖子(おし)のようなもので、ただ自分が身をもって
知っているだけである。
( 無門関・第1則/無門の評語より/ジャンプ )
つまり、この感覚です...これが、“内外打成一片”の風景の片鱗です。そして、こ
こが、“悟り”の入り口、“無門の関”です。
大道無門
千差路あり
この関を透得( とうとく )せば
乾坤( けんこん/宇宙 )に独歩せん
( 無門禅師の自序/ジャンプ )
峰の色 谷の響きも みなながら
我が釈迦牟尼の 声と姿と
( 道元禅師の短歌/ジャンプ )
さあ、ようやく“無門の関”に着きました...後は、この“関”を通り抜けることです。
そして、“悟り”の世界に入って行かなければなりません。
<第3則/倶胝竪指>...終わり
公案は、ひとつを通れば、全てを通ると言います。また、内容も“悟り”という同じ一つ
のものを探求しています。したがって、同じ概念や似たような説明がくり返し出てくる事に
なります。こうしたくり返しや重複の中で、禅の風景を学んでいってください。また、こうし
た中から、自分の最も気に入った公案を見つけてください。
次は、第4則/胡子無鬚 (こすむしゅ)を予定しています。
人類が歴史的に獲得してきた知見・智慧は座学で知識的に頭に入れるのではなく、肉体労働を伴った試行錯誤の労苦として理解し身につけなければならない、という考えは、
現代の社会的な管理職が座学での勉学組で、自由びと氏のようないわゆる体育会系の肉体派は勉強が苦手な「使われる人」として搾取されなければならない現実は、自由びとの他者を慮る能力の欠落したところからも、感じるものがある
逆ですね。知識が無いことこそが恐ろしいのです。無知であるからこそ、お宅(否、お前)のような中身の無いのに他者の指導者・教育者の地位にいようとする阿呆を許容してしまうからです。
そういうのを私の先生は「擁護システム」と呼んだことがあります。この『無門関』の「倶胝堅指」を味読するには「仏教史の知識」が必要です。紀元前6世紀のブッダの悟りから紀元前1世紀の説一切有部、紀元後2世紀の龍樹、そして13世紀の『無門関』という1900年ぐらいの思想史が、倶胝和尚が小僧の指を切り落としたという一つの事例で示唆される「仏教論理学」に凝縮されているのでしょう。
もともとのインドのサンスクリット語の経典にある「ブッダは全てを知っている」という言語表現には「一」という意味は無かったようです。それが中国に輸入されてサンスクリット語から漢語に翻訳される過程で「全て」という言葉が「一切」という言葉に移し替えられた。
つまり「すべて、あらゆるもの」という意味が「一、ひときれ」という意味に二重化されたのはアーリヤ人から漢民族への文化移入の過程で起きた思想的な発明、コペルニクス的転回⭐︎パラダイムシフトだったわけです。
それが太古の昔に中国から文化輸入をした我々日本人の文化の中にも今でも生きていて、「一事が万事」だとか「一芸は百芸に通ず」とか言われるわけです。
そもそもが「一(いち)」と「万(よろず)」とは違う概念ですが、それを同じだと考えるパラダイムシフトが中国で生じたということは興味深いものです。
しかし、それを「すべては一つだと個人の必死の努力の果てに悟れた」のだと「仏教史という己れを超えた無我⭐︎大我」という観点の無い自己に埋没した認識では他者を指導する実力が無いのだと指摘されても致し方あるまい。
端的に述べるならば「馬鹿の癖しやがって!」となるであろう。
雲海
・コメント
>知識の恐ろしさ
逆ですね。知識が無いことこそが恐ろしいのです。無知であるからこそ、お宅(否、お前)のような中身の無いのに他者の指導者・教育者の地位にいようとする阿呆を許容してしまうからです。
そういうのを私の先生は「擁護システム」と呼んだことがあります。この『無門関』の「倶胝堅指」を味読するには「仏教史の知識」が必要です。紀元前6世紀のブッダの悟りから紀元前1世紀の説一切有部、紀元後2世紀の龍樹、そして13世紀の『無門関』という1900年ぐらいの思想史が、倶胝和尚が小僧の指を切り落としたという一つの事例で示唆される「仏教論理学」に凝縮されているのでしょう。
もともとのインドのサンスクリット語の経典にある「ブッダは全てを知っている」という言語表現には「一」という意味は無かったようです。それが中国に輸入されてサンスクリット語から漢語に翻訳される過程で「全て」という言葉が「一切」という言葉に移し替えられた。
つまり「すべて、あらゆるもの」という意味が「一、ひときれ」という意味に二重化されたのはアーリヤ人から漢民族への文化移入の過程で起きた思想的な発明、コペルニクス的転回??パラダイムシフトだったわけです。
それが太古の昔に中国から文化輸入をした我々日本人の文化の中にも今でも生きていて、「一事が万事」だとか「一芸は百芸に通ず」とか言われるわけです。
そもそもが「一(いち)」と「万(よろず)」とは違う概念ですが、それを同じだと考えるパラダイムシフトが中国で生じたということは興味深いものです。
しかし、それを「すべては一つだと個人の必死の努力の果てに悟れた」のだと「仏教史という己れを超えた無我??大我」という観点の無い自己に埋没した認識では他者を指導する実力が無いのだと指摘されても致し方あるまい。
端的に述べるならば「馬鹿の癖しやがって!」となるであろう。
↑
ヤッパリ馬鹿はお宅者ですよ!!。
日常の買い物の為には 算数は必要ですが…「数学は全く不要」です。
買い物に関係なく、数学の学習するのは 当人の自由よ。
それを「買い物の為の計算・算数」を求めている者に、
「無知者よ!数学を知れ!高等数学を知れ!」…
と普通に不要で使えない「知識」の押し売りお宅ですね♪♪♪
私もtada氏も「ブッタの思考法」が弁証法的であり、
人生の過程に役立つモノ…という発想でのコメントです。
「禅についても然り」…禅の解釈・知識が問題なのではなく、
その公案の模範解答を私が、如何に捉え、
更に 弁証法的に捉え思考・思惟・思索・思弁…できるか?の問題なのですよ!
禅の専門家・研究者・宗教家…でない私には、
上記のような知識は全く不要です。
しかし…もし?仮に!
tada氏が、上記のような知識を提示した場合は、私も考えさせられます。
その理由は、tadaさんと私は、共通の目的・意識で・求めているモノが同じなのに…
私が「違和感」を感じる知識・記述・文面を提示しているのは、何故か?そんな疑問が生じるからです。
その点~雲海お宅と自由びと 互いに相手を「馬鹿者!」と罵り合っている者同士なので…
その目的・意識・求めている物事の不一致は必然・当然なので…今回の場合は特に考えさせられる事はなし!
互いに合えない 同志だから、
互いに相手は 馬鹿者同士ですね!
tada氏の弁証法の理解は南郷先生の『哲学・論理学原論』の書評として投稿したとおり「弁証法とは論理学のことであり、それは個別・特殊・普遍の抽象度の違いなのである!」なのだから、私が「弁証法は対立物の統一だ」と自論を説いた陰からドサクサに紛れて「対応物の間の中道」などという「論理のレベル?(失笑)が弁証法」だというtada持論を等閑視したことを言い出されても困るのだよ(笑)
・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/093d3d542e1452930045590b8b2649b5
>・コメントを書いた人
>雲海
>・コメント
>この自由びとという阿呆が仮に玄和会の田熊や田島のような「玄和会の空手実践を代表する人間」だと仮定したならば、肉体的な鍛錬・苦行を成立させるために現代人が学校教育で身につける教養=コモンセンスを蔑ろにしたのだと判断できる。
↑
現代の学校教育現場では
「肉体的な鍛錬・苦行を成立させるために現代人が学校教育で身につける教養」は皆無です。
確かに、大学で体育学科を専門にしたなら…あるでしょうが…
工学部・文学部・教育学部でさえ「肉体的な鍛錬・苦行…」レベルの教育はありません。
あるのは、健康維持の為には無理はせず、
運動の強度は少しずつアップで全体的・全身的に…
局所的にな鍛錬は全体の強化を目指しながら…
お宅「教養=コモンセンス」間違っていますよ。
>人類が歴史的に獲得してきた知見・智慧は座学で知識的に頭に入れるのではなく、肉体労働を伴った試行錯誤の労苦として理解し身につけなければならない、という考えは、
↑
〇「人類が歴史的に獲得してきた知見・智慧は座学で知識的に頭に入れるのではなく、」〇
人生で使える「知見・智慧」化するには、感情を伴なえるような基本的な体験・経験が必要である…ですね。
>現代の社会的な管理職が座学での勉学組で、自由びと
氏のようないわゆる体育会系の肉体派は勉強が苦手な「使われる人」として搾取されなければならない現実は、自由びとの他者を慮る能力の欠落したところからも、感じるものがある
↑
自由びとは、どちらかと言えば「勉学に真面目でなかった勉学組み」ですかね…
「搾取されねばならない」とは、金勘定的思考ですね。
人間生活の為の収入・金は必要ですが…金・収入が全てではありません。
人間の不幸は、金が貰えない=搾取だと思い込む事ですね。
金がないなら、金のかからない生活を~
金が欲しいなら、稼げる生活を~すれば良し!
それを お宅は 金は欲しい!でも努力は嫌だ!
「搾取」とは、自己の努力・頑張りを棚上げした、怠け者の言い分ですね!
雲海お宅って、馬鹿者+怠け者=動物レベルの唯の哺乳類人猿でしたね!
>雲海
>・コメント
>話しにならんね。
tada氏の弁証法の理解は南郷先生の『哲学・論理学原論』の書評として投稿したとおり「弁証法とは論理学のことであり、それは個別・特殊・普遍の抽象度の違いなのである!」なのだから、私が「弁証法は対立物の統一だ」と自論を説いた陰からドサクサに紛れて「対応物の間の中道」などという「論理のレベル?(失笑)が弁証法」だというtada持論を等閑視したことを言い出されても困るのだよ(笑)
↑~
「話にならない」のは雲海お宅ですよ!
もっとも…私は雲海お宅と「話している」つもりはありませんが…
tada氏は、「弁証法的」であり、「中道」は古代弁証法…と書いています。
また私の記憶が正しいなら~tada氏はネット記述で、
「南郷弁証法は弁証法ではなく」、
「南郷弁証法は認識論である」と書いていたと思います。
私は、上記のtada氏の言葉を私は、
「南郷氏の弁証法は、弁証法レベルではなく」、
「認識論レベルの弁証法」だと理解しました。
それは、南郷氏以前の「弁証法」は、法則レベルのモノであり、
それは、認識的実在である人類には、弁証法的には、「使えない弁証法」であった。
しかし、南郷氏は、それを人類が使用可能な弁証法を、使える認識論レベルの弁証法化にした。
だから、南郷氏が、他人の(弁証法レベルの)「弁証法は、弁証法ではない!」批判は間違っている。
それは、論理学を理解していない南郷氏は(彼の弁証法が認識論レベルの)弁証法(だと)を知らないから…
このtada氏の指摘を初めネットで読んだ時は、「違う!」と思っていました…
とう言うより、あの時の私には、tada氏の記述の意味・理解が不能でした…
でも、その後、このコメント欄でのtada氏のコメントから…
また、私が読んだ著書で南郷氏自身が、
「…論理学が分からなかった…」と書かれていた。
それは、「分からない事が分かった」⇒
「その時点では論理学が分かって・全体像ができた」という証であり…
結局tada氏の指摘は、
あの記述が書かれた時点での事実であったと確信し得た、のです。
分かるかな?
分からないだろな!
この雲海お宅のには~ね♪♪♪
別の雲海お宅なら、分かるかも?ね♪♪♪
「弁証法の弁証法的な性質を」~
弁証法の弁証法的な性質とは、弁証法が実在・実体ではないからの弁証性なのです。
弁証法とは、人類が、森羅万象・万物の本質への命名・名称に過ぎません。
だから、人類が進化・発展するとともに弁証法も弁証法的に変化・運動を続けていくのです。
それは、太古の人類が、素朴な自然の本質に素朴な「神々」と命名としたように…
そして、その「神」が、時代の変化・運動に即して弁証法的に「神変わり」して来た、ように…