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「論理的」にコメントするなら…

2022-05-08 11:47:08 | 悟得びと弁証法

「論理的」にコメントするなら…

・コメントが届いた記事
「勝ち」と「負け」について…

・コメントを書いた人
一村隆滝

・コメント
>自由びとさんの「勝ち負け」の考えは「貯金と借金のプラスとマイナス」と同じだったんですか。それは少し具体性が進んで来ましたね(笑)。


「(笑)」している場合ではないと思いますが…

以下の私の記述の、
お宅の理解が、私の認識とは異なっているのに気付いていないのに…



「算数では「+」とは、足し算で、「-」とは引き算である。
でも、数学では、「+」と「-」には、加法・減法記号と、正・負の記号となる。

まず貯金なら~
貯金の増加(加法)は快感で「プラス感情」。
貯金の減少(減法)は不快で「マイナス感情」。

でも…借金なら
借金の増加は不快「マイナス感情」。
借金の減少は快感「プラス感情」。

それでも、
事業での借金の結果が利益拡大なら、「マイナス感情」と「プラス感情」となり得るだろう。

私の「勝ち・負け」の概念も「プラス・マイナス」と同様である。」





「勝ち・負け」の概念を「算数・数学」的に表現するなら…
という条件付きで書くなら~という事なのに…

「ここは、数学では「+・-」に二重の意味がある。」
「勝ちなのに負け」・「負けなのに勝ち」という場合もあり得る、という事です。」


>もう少し言えば「自由びとさんの平板な形而上学的な思考の有り様」が詳細に理解できてきたように思います。



平板を論理的・重層的に積み重ねて立体的なモノになり得るのです。
逆から説くなら、立体的・重層的な事物の積み重ねられたモノ一枚一枚の平板として捉える事。
存在している完成している立体的な事物の重層的な過程を一枚一枚剥がして説いている事。




>私、このことは玄◯会の教科書の「6、怠け心と空手」の考え方と同じだと思うんですよ。「怠けは正常であり、怠けている者は何かを怠けているのであって全てを怠けているわけではない。そんなことは不可能である。」という辺りのね。


↑~

そのような理解もありますが…
私なら以下の言葉を更に追加しますよ。

「怠ける事を頑張る」にもなり得ます。


例えば、
怪我をしているのに無理して「練習を頑張る」のではなく、
怪我の回復の為に、無理して「頑張って怠ける」事もあり…


>これって何も難しいことはなくて具体的に事実で考える習慣のある人間なら当然のことでしょう。小学生の頃のコマネチだとかイチローだとかは学校の勉強は怠けてるわけですけど体操だとか野球は人一倍努力していたわけで。
だから、そういう思考が習慣化=技化=量質転化してる人間は「イチローは怠けか?努力か?」みたいな発想をしないし、言わないと思うんです。


一つの問いとして~「イチローは怠けか?努力か?」はありですね。

答えはイチローは以下です。
勉強する事が、嫌でしなかったなら「怠け者」です。
でも、勉強する時間を惜しんでスポーツの為に費やしたなら「努力者」です。

ヤッパリ私の思考・言いたい事とは異なっていますね。



>それと同じで「貯金はプラスで借金はマイナス」なんて単純というか皮層というか、そういう考え方も弁証法的な思考をする人間はしないと思うんですよね。



記事には以下のように書かれていますよ。


「でも…借金なら
借金の増加は不快「マイナス感情」。
借金の減少は快感「プラス感情」。

それでも、
事業での借金の結果が利益拡大なら、「マイナス感情」と「プラス感情」となり得るだろう。」


お宅は、私の「それでも…」記述を読み飛ばしていますね。
「借金=マイナス感情でありプラス感情」と書かれていますよ!


>「借金」って要するに「お金を借りること」ですけど、「借りて何に使うのか?」ということが問題だと思うんです。「車を買う」だとか「家を買う」とか色々とあるでしょうけれど、結局、その自分が欲しいと思った、買おうと決意した「何か」を購入できる貯金ができるまで買わないでいるのか?それともローン(融資を受けるということで、借金ですけどね)で総額が用意できる前に手に入れてしまって、分割で少しずつ返していくのか?という。



何を偉そうに…
私は、そんな事はとっくに記事に書いていますよ。
他人の記述は確り・チャンと読み取ってからコメント批判しましょうね。
さもないと…
『そんな事とは常識だよ!今更バカじゃない?!』…なんて思われますよ。




>例えば20歳のときに家を30年ローンで購入して20歳から住み始めるのと、30年後にお金が貯まって50歳から住み始めるのとの違い、みたいな。

>融資を受けて車なり家なり欲しいものを手に入れた時の気分・感情や、仕事が終わって買った家に帰って来たときの気分・感情、買った車で彼女とドライブ・デートに行くときの気分・感情など考えたなら「借金はマイナス感情」と単細胞的に言えるかどうか?

↑~
だから…他人の書かれた記述を読み込みなさい!
デートの時・デートを思い出した時には「プラス感情」でも…
銀行通帳からの月々の預金額減少を見たら「マイナス感情」でしょうね。
ここまで、書けないなら、偉そうな事は書かない方が無難ですよ!




>『空手道綱要』に書いてある「怠けているだけの人間はいない」ように「金を借りているだけの人間はいない」わけですから、やはり馬場指導教官の指示を守らずに「論理を事実で考える訓練」をしていない自由びとさんは玄◯会の上達システムから育成されていない人間だと判断できます。

え!

「金を借りているだけの人間」は、いるでしょう。
現実に借金で首が回らなくなって倒産…自己破産なんて…

確かに、借金以外にも預金・現金を持っていても、
借金額が、預金・現金の合計を上回れば…「(総計で)借金だけの人間」でょうが…。


>敢えて言うなら「世の中は借金、融資で出来ている」と言って過言でないと思いますね。自由びとさんのように小学校の義務教育の教員ですと収入というのは決まっていて、大卒の初任給が21万円だとして20年後に40万円を超えるみたいですけど、そうした公立の被雇用者なら融資を受けて事業を展開するなんて考える必要もないから「借金は一律マイナス感情」なんて思うんでしょう。


お宅くの使っている「世の中」には、過去の「お金がなかった世の中」は含まれていないようですね。

世の中=借金、融資で出来ている現代。
世の中=物々交換で成り立っている時代。

これこそ…
現代社会・現代の世の中=お宅の「世の中」であり、
過去社会・過去の世の中=お宅にはない「世の中」でしょう。


こそが、お宅の書いている以下の文面がピッタリしょうね♪♪♪

>単純というか皮層というか、そういう考え方も弁証法的な思考をする人間はしないと思うんですよね。





>その形而上学的な具体性のない発想が「勝ち負け」に関する考えにも現れているように思います。


お宅の認識が>「単純というか皮層というか、そういう考え方…」だから~
私の記述を「平板な形而上学的な思考の有り様」としか理解できない…のでしょうね。





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