自分の通った小学校近くにある珍しい円筒分水工。長野堰を流れてきた水をここで4つの堰に分配します。長野堰は1000年の歴史を刻む用水路です。高崎市のこの辺りは台地形状のために昔から水に困っていた様です。それで作られたのが長野堰。水利を争っていざこざが頻繁に起こっていたものが、この円筒分水工ができて治りました。見づらいですが写真の一番左の水路は「地獄堰」と言います。もしかしたら水を奪い合う熾烈な争いがあったのかもしれません。
分配された水路。左側の石積みが残っている小さな水路(水は見えませんが)が「地獄堰」。
長野堰は我が家の近くを流れています。昔は石積みでしたので魚も(鮎やウナギもいまた。)たくさん泳いでいましたし、夏にはホタルも飛んでいました。今では3面コンクリート護岸。生き物は見かけません(鴨やセキレイはよく見かけます。)。その代わりと言ってはなんですが、用水が溢れることもなくなりました。3面護岸される以前は大雨が降ると我が家の前の道は川になり、そこに流れている境の分からなくなった小さな用水(長野堰に入る)に落ちる人もありました。水が引くとそこここにフナやコイがピチピチ跳ねておりました。
昔と今とどちらがいいのか難しいところですが、現在の長野堰脇に立てられている看板には「生き物の棲む美しい川にしよう。」と書かれています。
近くの川ということで、自分の幼少期には大きく関わりを持った流れです。魚とりはもちろん蛍狩りやコウモリの捕獲(一度も捕まりませんでしたが)暗渠への冒険など思い出はたくさんあります。弟がいるのですが兄弟揃ってこの堰で大怪我をしています。