稲の穂に花が咲き始めていました。黄色く出ているのが雄蕊。雌蕊は穂の中にあるようです。まだ緑の稲穂も直に黄色く色づいていきます。季節は進んでいるようです。夜には虫の声も聞こえるようになりました。
稲子(イナゴ)もたくさんいました。
幼い頃、我が家の北側には田んぼが広がり、イナゴもたくさんいました。腰に袋を付けて、畦道を歩きながら捕まえたイナゴを母親が佃煮にしていました。高校生活でも学校の周囲は田んぼ。体育教官室の前にはザルに乗って乾燥されている何百というイナゴが。なんとも長閑な学校だったことか。高校生活で今ふと思い出した光景は、捕まえた蛇を、嬉しそうに頭の上で振り回しながら、廊下を駆け抜けていった同級生H・・・
春に白い花を咲かせ、今は実ができています。赤い部分は種のダミーで紫の実とのコントラストが鮮やかです。なんとなくシャクヤクに似ているのでこの名前がついたようです。準絶滅危惧種。東京や千葉では絶滅しているようです。
レンゲショウマが咲いていました。花はお辞儀しているので撮影が難しいです。
コオニユリ。
何年ぶりかでタイコウチを見ました。モリアオガエルのオタマジャクシが泳ぐ池。餌はたくさんありそうです。
池の端でクモがアブ(たぶん)を捉えていました。巣を張らない種のようです。
トンボ。アキアカネでしょうか。
群馬の渋川市にある赤城自然園で、見たことのない虫を見つけました。帰ってきてインターネットで調べたところ「アシグロツユムシ」の幼虫のようです。やたらと長い触手にマダラ模様の体。なかなかインパクトのある姿です。
ザトウムシがいました。
セミの抜け殻。
赤城自然園は多種の草木が移植されており、池や川があり、昆虫たちの楽園という体を成しています。
オタマジャクシから変態して陸上に上がってきてから間もないモリアオガエル。
まだアオガエルというよりも色がくすんでいて金色にも見えます。尾の名残も確認できます。尾は少しづつ体内に取り込まれて栄養になるようです。大きさは1cmほど。
大きくなると顔も偉そうになります。
オブジェのような古木。
一本の樹なのか二本がこんがらがっているのか、どこが根でどこから幹なのか。見方によっては妖怪の顔。
ブナの森は比較的明るく地面まで光が届くので、地面には草や低木が生えます。
森の入り口には森林の生態が崩れた時、真っ先に生えてくるカンバの林があります。「わくさ」(カメムシのこと)も森の住人。
カヤノ平総合案内所前のミズナラの樹。キャンプ場、ロッジもここにあります。きっと朝夕の景色はもっとずっと美しいものだと思います。10月中旬には紅葉も盛りになることでしょう。ここから森に分け入ると(遊歩道が整備されています。)ブナの原生林があります。きっとまっ黄っきになります。その頃にまた訪れようと思います。
ロッジは渋い造りになっています。標高1,500m。
カンバの林もあります。
自分の通った小学校近くにある珍しい円筒分水工。長野堰を流れてきた水をここで4つの堰に分配します。長野堰は1000年の歴史を刻む用水路です。高崎市のこの辺りは台地形状のために昔から水に困っていた様です。それで作られたのが長野堰。水利を争っていざこざが頻繁に起こっていたものが、この円筒分水工ができて治りました。見づらいですが写真の一番左の水路は「地獄堰」と言います。もしかしたら水を奪い合う熾烈な争いがあったのかもしれません。
分配された水路。左側の石積みが残っている小さな水路(水は見えませんが)が「地獄堰」。
長野堰は我が家の近くを流れています。昔は石積みでしたので魚も(鮎やウナギもいまた。)たくさん泳いでいましたし、夏にはホタルも飛んでいました。今では3面コンクリート護岸。生き物は見かけません(鴨やセキレイはよく見かけます。)。その代わりと言ってはなんですが、用水が溢れることもなくなりました。3面護岸される以前は大雨が降ると我が家の前の道は川になり、そこに流れている境の分からなくなった小さな用水(長野堰に入る)に落ちる人もありました。水が引くとそこここにフナやコイがピチピチ跳ねておりました。
昔と今とどちらがいいのか難しいところですが、現在の長野堰脇に立てられている看板には「生き物の棲む美しい川にしよう。」と書かれています。
近くの川ということで、自分の幼少期には大きく関わりを持った流れです。魚とりはもちろん蛍狩りやコウモリの捕獲(一度も捕まりませんでしたが)暗渠への冒険など思い出はたくさんあります。弟がいるのですが兄弟揃ってこの堰で大怪我をしています。