6月22日、午前の部。
まさに、「忍者」の生まれ出ずる里、伊賀流忍者の頭領(=上忍)百地三太夫の影を追います、、、
所は、伊賀市喰代(ほおじろ)にある百地砦(ももじとりで)界隈
そして、上野の東南の端、大山田地区と接する場所でもあります。(比自岐~大山田に続くコリドール道路が通っています)
先ずは、喰代バス停近くに駐車場とおぼしき場所があるので車を止め(周囲に迷惑のかからぬように気をつけ…)、
目の前に案内板見っけ
「忍者回廊」ののぼりと共に「百地砦」と書いてありますが(ずっと昔行った時と何かが違うなぁ…ちょっと心細い
)、
でもれっつごー
まぁ、せっかくのぼりで案内してくれてるんだから行きましょう~~ということです。
実はここは【永保寺】
百地氏ゆかりの寺院で百地砦と隣接するお寺です。(実は、隣接するお寺が二つあるという、ややこしいとこです)

石段を登ると、そこには広い境内。
昔(50年ほど前でしょうか?)、まだ子どもが多かった頃、このお寺は分校だったそうで境内はグラウンドのように整えられ、
開けた感じがします。
きっと、子どもたちはここでのびのびと勉強に遊びに励んでいたんだろうなと思わずにはいられません。

大きな釣鐘があり、六角堂もあります。
この六角堂は、「本四国霊場」全てのお寺の砂と「高野山奥山の院」の砂が納められているとのことです。
この日、誰もいませんでしたが、今も子どもたちはここで遊ぶんだろうか?
それとも、じいちゃんばあちゃんたちが何かしらのスポーツをしているんだろうか?
六角堂から奥に続く道を進むと、なぜか石仏が多い。

ここは、お寺の裏山。
「四国八十八カ所」と「西国三十三カ所」の石仏がおられるのだそう、ちゃんとした「お参りの道」です…と、言われても
だんだん薄暗い中を進んでいくとやっぱり不安、、、
「百地砦」はどこ??
道は続いているのだけれど、怖いと思った時は戻る! これはワタシの鉄則!
元来た道を戻り、永保寺石段を下り、しばらく東に(田んぼの景色を左に見ながら)進むと

百地砦周辺案内図がありました、ずいぶん古くなってますが、位置関係はよくわかります。
でも、案内板は親切すぎるくらいあって、ちょっと悩ましい、、、
ワタシは、この案内をスルーしてしまった 
(後で思うに、この道を上った方がお寺には近く分かりやすかったかもしれない、、、)
その先に、また案内
なんとなく、上の方を見ると建物が見えるので、それを目指すことにしました…
急坂ですけど、すぐ着きます(笑)。
その坂を上る前に見た喰代の田園風景

坂の先、なんと次なる目的地【龍王山・青雲禅寺】です。
≪百地氏の菩提寺で代々の墓があり百地砦と隣接≫しており、また
≪戦国時代には、忍者の集会所として使われていた≫のでは、、、ということです。
(おぉっ、いよいよ百地砦も間近、、、)
青雲禅寺本堂
この時期、庭には紫陽花、地域の人たちの手入れのおかげかとても綺麗でしたよ。
丁度見ごろだったように思います。
寺を降りたところに「池」

忍者が修行したと言われる「丸形池」の一部だと思います。
その池の横を通ると、紫陽花の乱舞!

いよいよ、ですよ。

つづく
まさに、「忍者」の生まれ出ずる里、伊賀流忍者の頭領(=上忍)百地三太夫の影を追います、、、
所は、伊賀市喰代(ほおじろ)にある百地砦(ももじとりで)界隈
そして、上野の東南の端、大山田地区と接する場所でもあります。(比自岐~大山田に続くコリドール道路が通っています)
先ずは、喰代バス停近くに駐車場とおぼしき場所があるので車を止め(周囲に迷惑のかからぬように気をつけ…)、
目の前に案内板見っけ

「忍者回廊」ののぼりと共に「百地砦」と書いてありますが(ずっと昔行った時と何かが違うなぁ…ちょっと心細い

でもれっつごー
まぁ、せっかくのぼりで案内してくれてるんだから行きましょう~~ということです。
実はここは【永保寺】
百地氏ゆかりの寺院で百地砦と隣接するお寺です。(実は、隣接するお寺が二つあるという、ややこしいとこです)

石段を登ると、そこには広い境内。
昔(50年ほど前でしょうか?)、まだ子どもが多かった頃、このお寺は分校だったそうで境内はグラウンドのように整えられ、
開けた感じがします。
きっと、子どもたちはここでのびのびと勉強に遊びに励んでいたんだろうなと思わずにはいられません。



大きな釣鐘があり、六角堂もあります。
この六角堂は、「本四国霊場」全てのお寺の砂と「高野山奥山の院」の砂が納められているとのことです。
この日、誰もいませんでしたが、今も子どもたちはここで遊ぶんだろうか?
それとも、じいちゃんばあちゃんたちが何かしらのスポーツをしているんだろうか?
六角堂から奥に続く道を進むと、なぜか石仏が多い。




ここは、お寺の裏山。
「四国八十八カ所」と「西国三十三カ所」の石仏がおられるのだそう、ちゃんとした「お参りの道」です…と、言われても
だんだん薄暗い中を進んでいくとやっぱり不安、、、

「百地砦」はどこ??
道は続いているのだけれど、怖いと思った時は戻る! これはワタシの鉄則!
元来た道を戻り、永保寺石段を下り、しばらく東に(田んぼの景色を左に見ながら)進むと

百地砦周辺案内図がありました、ずいぶん古くなってますが、位置関係はよくわかります。
でも、案内板は親切すぎるくらいあって、ちょっと悩ましい、、、


(後で思うに、この道を上った方がお寺には近く分かりやすかったかもしれない、、、)
その先に、また案内

急坂ですけど、すぐ着きます(笑)。
その坂を上る前に見た喰代の田園風景

坂の先、なんと次なる目的地【龍王山・青雲禅寺】です。
≪百地氏の菩提寺で代々の墓があり百地砦と隣接≫しており、また
≪戦国時代には、忍者の集会所として使われていた≫のでは、、、ということです。
(おぉっ、いよいよ百地砦も間近、、、)

この時期、庭には紫陽花、地域の人たちの手入れのおかげかとても綺麗でしたよ。


寺を降りたところに「池」

忍者が修行したと言われる「丸形池」の一部だと思います。
その池の横を通ると、紫陽花の乱舞!

いよいよ、ですよ。

つづく