行き始めたら、止まらない!
それもお天気のおかげ、6/21(日)も6/22(月)もご朱印蒐集にはもってこい。
そんなわけで、行くところが多すぎてリアルタイム報告ができません、あしからず
城下町内の忍者回廊巡りは午前中で一旦終わり、午後改めて車でのお出かけとなります。
目指すは、旧伊賀町川東・春日神社~旧阿山町東湯舟・手力神社、正覚寺へ。
伊賀市内からなので、名阪国道壬生野IC降りて右折、名阪くぐって道なりにほぼ真っ直ぐ、途中にこの案内
【川東・春日神社】
実は、行ってビックリ
拝殿大修理中!!
解体して、一から組み直すほどの大がかりな修理のようです。
工期は、平成29年9月21日~平成35年3月31日(ということは令和5年・2023年に出来上がります)とのこと。
拝殿を見ることができなくても、めげずにご朱印は確かに頂戴いたしました。
生きてる木も建物を支える一部です
龍さんの後ろには鹿さんもいます、和みます…
さて、クイズに挑戦!!
答:
この近くには、こんな所も…「壬生野城跡」案内板
一人では不安だったので、目的地までは行きませんでしたが、
途中見えた風景は、のどかな田園風景
でも、遠い昔「戦」があって…このての話について、ワタシは苦手なので触れずにしておきますが、
伊賀の寺社仏閣巡りしていると必ずどこかで織田軍との戦いで焼き払われたという歴史が出てくるんです、
一体、何をしてくれたんや!!と思わずにいられないのは事実です……
さて、次なる「忍者回廊」行く先は東湯舟です。
最近は、車のナビゲーターをちょっと使えるようになったのと、
いざという時、スマホのGoogle naviを使ってほぼ迷うことなく行けるようになった!
これがワタシの成長 (但し、道が狭いこと多々 )
ここから、やや北に向かって10数分進むと…
伊賀忍者の大家「藤林長門守」ゆかりの手力神社に着きますが、
車を止めたところのすぐ傍に小さい祠 見っけ!
可愛い仏様が寄り添っている風に見えて可愛い
入口です
おっ、神様にお参りする前に案内看板
詳しい内容とクイズは後程にします、、、
【手力神社】
≪祭神は天手力雄命(あめのてじからおうのみこと)を祀り、天の岩戸を開き給うた力もちで剛勇な神様として尊び、
暗い世の中を明るくし、平和で五穀豊穣と郷の繁栄をお守りくださる鎮守様≫で
≪忍者の里とも関係深く、戸隠の忍法、山本勘助の流儀を秘伝した忍術の達人藤林長門守、忍者藤井、藤崎、藤森、藤沢氏と
火術、火筒、忍者と狼煙(のろし)は奉納煙火(花火)と結びついており、古くは忍者の守護神としての歴史も語り継がれています≫とのこと。
鳥居から御神木?と拝殿と大きなおおきな鐘の「緒」(見えるかな?)
周り4m、高さ3m、重さ2tって、、、皆さんの願いが重なって、だんだん重くなっていったそうです。
ここの手水は、いつも誰かが綺麗にお掃除してくれているんですね、たわし付き龍さんです。
さて、
クイズ
答:
ここから、2・3分のところに
「藤林長門守墓所(菩提寺)」である【浄土宗本誓山・正覚寺】
≪創設は確かではありませんが、永久3年(1115)東大寺解案に『興福寺末寺正覚寺領七丁……』の文章が残っており、
古い歴史のある寺院です。御本尊は、阿弥陀如来坐像で、他に観音菩薩立像、大勢至菩薩立像が安置されています。
本堂西側の墓地に藤林長門守一族の墓所があります≫
「長門守」の三代目藤林保武は、あの有名な(ブラタモリでもタモリさんが説明を受けていた)忍者の秘伝書「萬川蒐海」)の著者でもあります。
さぁ、これで家に帰ろう・・・と思っての帰り道、
丁度、通り道沿いにもひとつ「忍者回廊」に因む神社があった。
服部町にある【小宮神社(おみやじんじゃ)】
≪伊賀国二之宮。服部氏の氏神。服部氏の祖呉服比売命(くれはとりひめのみこと)が主祭神≫
(※一之宮は敢国神社)
地元では「こみや」と呼ばれているそうで、≪養蚕・機織の技術を持った呉服部を服部氏が監督する立場から
この地に住み着き、服部氏の祖先神「秦酒公」(はたの さけ の きみ)を祀ったと伝わっている≫そうです。
(※服部(はとりべ)は、大化の改新以前に機織の技術をもって朝廷に仕えた組織。「機織部」(はたおりべ)がなまったもの。)
なかなかに、由緒ある神社なのです。
遥拝所もあります
橿原神宮
皇大神宮
もう少し角度を変えて撮れば、伊賀の小富士「南宮山」が撮れたのに…残念
※南宮山(伊賀小富士)は敢国神社の御神体山です
お家に着いたのは夕刻になりました…
本日のご朱印 8枚ゲット
忍者回廊、もう少しつづく、、、
追記
2021/7/28付 中日記事より
それもお天気のおかげ、6/21(日)も6/22(月)もご朱印蒐集にはもってこい。
そんなわけで、行くところが多すぎてリアルタイム報告ができません、あしからず
城下町内の忍者回廊巡りは午前中で一旦終わり、午後改めて車でのお出かけとなります。
目指すは、旧伊賀町川東・春日神社~旧阿山町東湯舟・手力神社、正覚寺へ。
伊賀市内からなので、名阪国道壬生野IC降りて右折、名阪くぐって道なりにほぼ真っ直ぐ、途中にこの案内
【川東・春日神社】
実は、行ってビックリ
拝殿大修理中!!
解体して、一から組み直すほどの大がかりな修理のようです。
工期は、平成29年9月21日~平成35年3月31日(ということは令和5年・2023年に出来上がります)とのこと。
拝殿を見ることができなくても、めげずにご朱印は確かに頂戴いたしました。
生きてる木も建物を支える一部です
龍さんの後ろには鹿さんもいます、和みます…
さて、クイズに挑戦!!
答:
この近くには、こんな所も…「壬生野城跡」案内板
一人では不安だったので、目的地までは行きませんでしたが、
途中見えた風景は、のどかな田園風景
でも、遠い昔「戦」があって…このての話について、ワタシは苦手なので触れずにしておきますが、
伊賀の寺社仏閣巡りしていると必ずどこかで織田軍との戦いで焼き払われたという歴史が出てくるんです、
一体、何をしてくれたんや!!と思わずにいられないのは事実です……
さて、次なる「忍者回廊」行く先は東湯舟です。
最近は、車のナビゲーターをちょっと使えるようになったのと、
いざという時、スマホのGoogle naviを使ってほぼ迷うことなく行けるようになった!
これがワタシの成長 (但し、道が狭いこと多々 )
ここから、やや北に向かって10数分進むと…
伊賀忍者の大家「藤林長門守」ゆかりの手力神社に着きますが、
車を止めたところのすぐ傍に小さい祠 見っけ!
可愛い仏様が寄り添っている風に見えて可愛い
入口です
おっ、神様にお参りする前に案内看板
詳しい内容とクイズは後程にします、、、
【手力神社】
≪祭神は天手力雄命(あめのてじからおうのみこと)を祀り、天の岩戸を開き給うた力もちで剛勇な神様として尊び、
暗い世の中を明るくし、平和で五穀豊穣と郷の繁栄をお守りくださる鎮守様≫で
≪忍者の里とも関係深く、戸隠の忍法、山本勘助の流儀を秘伝した忍術の達人藤林長門守、忍者藤井、藤崎、藤森、藤沢氏と
火術、火筒、忍者と狼煙(のろし)は奉納煙火(花火)と結びついており、古くは忍者の守護神としての歴史も語り継がれています≫とのこと。
鳥居から御神木?と拝殿と大きなおおきな鐘の「緒」(見えるかな?)
周り4m、高さ3m、重さ2tって、、、皆さんの願いが重なって、だんだん重くなっていったそうです。
ここの手水は、いつも誰かが綺麗にお掃除してくれているんですね、たわし付き龍さんです。
さて、
クイズ
答:
ここから、2・3分のところに
「藤林長門守墓所(菩提寺)」である【浄土宗本誓山・正覚寺】
≪創設は確かではありませんが、永久3年(1115)東大寺解案に『興福寺末寺正覚寺領七丁……』の文章が残っており、
古い歴史のある寺院です。御本尊は、阿弥陀如来坐像で、他に観音菩薩立像、大勢至菩薩立像が安置されています。
本堂西側の墓地に藤林長門守一族の墓所があります≫
「長門守」の三代目藤林保武は、あの有名な(ブラタモリでもタモリさんが説明を受けていた)忍者の秘伝書「萬川蒐海」)の著者でもあります。
さぁ、これで家に帰ろう・・・と思っての帰り道、
丁度、通り道沿いにもひとつ「忍者回廊」に因む神社があった。
服部町にある【小宮神社(おみやじんじゃ)】
≪伊賀国二之宮。服部氏の氏神。服部氏の祖呉服比売命(くれはとりひめのみこと)が主祭神≫
(※一之宮は敢国神社)
地元では「こみや」と呼ばれているそうで、≪養蚕・機織の技術を持った呉服部を服部氏が監督する立場から
この地に住み着き、服部氏の祖先神「秦酒公」(はたの さけ の きみ)を祀ったと伝わっている≫そうです。
(※服部(はとりべ)は、大化の改新以前に機織の技術をもって朝廷に仕えた組織。「機織部」(はたおりべ)がなまったもの。)
なかなかに、由緒ある神社なのです。
遥拝所もあります
橿原神宮
皇大神宮
もう少し角度を変えて撮れば、伊賀の小富士「南宮山」が撮れたのに…残念
※南宮山(伊賀小富士)は敢国神社の御神体山です
お家に着いたのは夕刻になりました…
本日のご朱印 8枚ゲット
忍者回廊、もう少しつづく、、、
追記
2021/7/28付 中日記事より