「平井天神宮」と「平井神社」二つの鳥居、
そしてお出迎えのサツキ(珍しい八重っぽいのも咲いています)。
その鳥居と鳥居の間に可愛い花がいっぱいの嬉しい「花手水」
心洗われる手水舎です
(今回は寄るところが多く🚙で行きましたので、
駐車場は平井神社の裏手、「ひかり保育園」横の駐車場に止めさせていただく、
そこから、ちょこちょこッと歩くと神社の横に出ます、
神社の案内もありますので、ぜひどうぞ…)
一旦、表に回って鳥居から進んで上の写真、
そして、石段を上るその途中左側に
【避水徒民の碑】(ヒスイシミンノヒ)はあります。
彫られた文字は読めないので、この碑の横に解説碑がたっています、
そちらを読むと、水に悩まされ続けた人々の歴史が刻まれています…
『わが小田地区は、伊賀の北西部で長田川と柘植 服部川が
合流する位置にあるため、古くから水による被害に
悩まされ続けてきた。
安政地震により地盤沈下してからは、さらに河川の氾濫
による水害が度重なり、ついに明治三年(一八七〇)の
午年の水害で多くの田畑が流失、水死者五人、潰家八五戸
という大被害を受けた。
この時 居住地をそっくり高台に移す計画がなされ
移居世話係となった村田順造氏の卓越した指導のもと
地区民は一致協力して同六年四月より工事をはじめ、
同十年十月に完了した。
この遊水移居(ヒスイイキョ)事業を成し遂げることに努力した人々の
功績を後世に残すため、同十二年二月にこの碑が建てられた。』 表碑
『明治十二年二月馬苦労町※地内に建立
大正十年五月 平井神社境内に移築
平成十年十二月現在地に修復移築
小田町自治会
施工 株式会社石の中原』 裏側
※馬苦労町(バクロウチョウ)=現在の鍵屋の辻辺りといわれる
※参考資料(リンクしています)
その「鍵屋の辻」にある浸水の記録
撮ってきました…
昭和時代の記録ですが、地震による地盤沈下を起こした所に、
度重なる浸水、、、
現在は「遊水池」もでき、来年度には「川上ダム」もできます、
二度と怖い目に合わないことを願うばかりです
「芭蕉野分して 盥に雨を 聞く夜かな」 芭蕉
※台風の風が激しく庭の芭蕉の葉を吹き荒らしている夜、雨が打ちつけている。
家の中では雨漏りがしていて盥(たらい)に落ちる雨の音を聞く、そんな夜であるなあ※
芭蕉は風流を詠んでいますが、
伊賀では野分(=台風)はとても恐ろしいものです、
それを忘れないための「自然災害伝承碑」かもしれません。