ここでひとつお約束事。
「忍者の里」といっても普通に生活の場であるのです。
田んぼもあれば畑もあって、そこにある民家では生きた暮らしがあります。
いわゆる「土足で踏み荒らす」ような行為はしないように!
土塁のある屋敷=「城館や山城」などはほとんどが個人所有のもの、
観光スポットではないので、長くは立ち止まらず、勝手に入らず、
地域の皆さんの迷惑になる行動をしないこと!これ鉄則です。
今回の散策先は『壬生野中世城館群』。
伊賀市山畑・川東川西を総称して壬生野(ミブノ)と言います。
中心地は川東集落、12世紀初めに「奈良春日神社の若宮の荘園地」となり、
北側 に春日神社があり、鎮座する春日山に、
織田信長の伊賀攻め(=天正伊賀の乱)に備えて春日山城が築かれました。
「春日神社と春日山」
※参考「川東地区中世城館図」(伊賀中世城館調査会編より)

集落の東側の丘陵地に壬生野城・丸山城など詰城が築かれ、

平地には土塁や空堀等が部分的に現存する「中世城館群」が七か所現存し、
現在も居住されています。
(再掲)
2020年2月には「ブラタモリ/『伊賀忍者~なぜ伊賀は”NINJA” の里 になったのか?~』」が放送され、
その折にも紹介された界隈を歩きます。
歩いているとこんもりした森のような場所に出会います。
そこには「山城」があったのか?とつい見入ってしまいます。
その見晴らしの良い丘陵の端っこや谷の入り口には「城跡」があり、
丘陵の裾野には張り付くように民家が点在しています。
「城」といっても高い石垣はなく、
土を盛り上げた「土塁」で四方囲まれた「館タイプの城館」が多いのです。
土塁の高さは5mを越えるところも残っていたりして、
立派な城館密集地帯になっています。
また、中世城館が寄り添って共存する全国でも極めてまれな地域となっています。
🚙で通り過ぎただけでは見えてこない「忍者の里」らしい風景がそこここに見えてきます。
大きな声で話さず、静かに歩きます。
ある「館」に居住されている方に案内していただきました。
ずっと一緒に歩いていただけたので安心感があったし、
生活している中での出来事など教えていただけてよかったです。
丁度「麦の季節」、まだ緑色濃い麦畑と歴史残る「城館」、

「土塁」に囲まれ、「濠跡」も残っています。

そうそう、ここは「伊賀牛発祥の地」。

「伊賀地域で古くから農耕用として飼育されていた和牛が昭和30年代に入り
戦後の復旧が整い、所得の向上と農業の機械化が相まって、
牛肉需要の飛躍的伸びから専業的な和牛肥育が芽生えてきた。
当時、伊賀町壬生野農協で66名の農家グループが16頭の素牛を
肉牛預託制度を利用して協同購入し、技術の研鑽、肉牛販売の統一等、
共同実践した事が生産者組織での伊賀牛発祥とされている。
以後、町全体さらに大山田、阿山町、伊賀全体へと波及的な広がりをみせた。
又、各市町村、各農協、経済連の推進努力により『肉の横綱伊賀牛』に
ふさわしい銘柄牛作りが現在も行われている。」
話を戻して「忍者ツアーお勉強会」でした…
「O氏館」、道路沿いにはある門は「昔、馬の出入り口」で

田んぼ側に「正面入り口跡」があったとか、「濠跡」も…
歩いて行くとこんもりした「森」のような場所が見える…
これが「壬生野城跡」、城跡から見えた「集落」。(撮影:2020年6月)

では「春日神社」に向かいます。

春日山=ご神体でもあり、「春日山城」が築かれた山です。

「伊賀の春日神社拝殿、昔の姿取り戻す~7年かけ解体修理」(web中日より)
徒歩で行く「壬生野中世城館群」、いい旅でした。
ルートを覚える旅ですが、あと何回かは歩きたいですね、
ゆっくりと、自分自身のためにも…
※参考「伊賀へいらっしゃい/川東地区中世城館群ほか」
次は「敢国神社」へ
「忍者の里」といっても普通に生活の場であるのです。
田んぼもあれば畑もあって、そこにある民家では生きた暮らしがあります。
いわゆる「土足で踏み荒らす」ような行為はしないように!
土塁のある屋敷=「城館や山城」などはほとんどが個人所有のもの、
観光スポットではないので、長くは立ち止まらず、勝手に入らず、
地域の皆さんの迷惑になる行動をしないこと!これ鉄則です。
今回の散策先は『壬生野中世城館群』。
伊賀市山畑・川東川西を総称して壬生野(ミブノ)と言います。
中心地は川東集落、12世紀初めに「奈良春日神社の若宮の荘園地」となり、
北側 に春日神社があり、鎮座する春日山に、
織田信長の伊賀攻め(=天正伊賀の乱)に備えて春日山城が築かれました。

※参考「川東地区中世城館図」(伊賀中世城館調査会編より)

集落の東側の丘陵地に壬生野城・丸山城など詰城が築かれ、

平地には土塁や空堀等が部分的に現存する「中世城館群」が七か所現存し、
現在も居住されています。


2020年2月には「ブラタモリ/『伊賀忍者~なぜ伊賀は”NINJA” の里 になったのか?~』」が放送され、
その折にも紹介された界隈を歩きます。
歩いているとこんもりした森のような場所に出会います。
そこには「山城」があったのか?とつい見入ってしまいます。
その見晴らしの良い丘陵の端っこや谷の入り口には「城跡」があり、
丘陵の裾野には張り付くように民家が点在しています。
「城」といっても高い石垣はなく、
土を盛り上げた「土塁」で四方囲まれた「館タイプの城館」が多いのです。
土塁の高さは5mを越えるところも残っていたりして、
立派な城館密集地帯になっています。
また、中世城館が寄り添って共存する全国でも極めてまれな地域となっています。
🚙で通り過ぎただけでは見えてこない「忍者の里」らしい風景がそこここに見えてきます。
大きな声で話さず、静かに歩きます。
ある「館」に居住されている方に案内していただきました。
ずっと一緒に歩いていただけたので安心感があったし、
生活している中での出来事など教えていただけてよかったです。
丁度「麦の季節」、まだ緑色濃い麦畑と歴史残る「城館」、



「土塁」に囲まれ、「濠跡」も残っています。


そうそう、ここは「伊賀牛発祥の地」。

「伊賀地域で古くから農耕用として飼育されていた和牛が昭和30年代に入り
戦後の復旧が整い、所得の向上と農業の機械化が相まって、
牛肉需要の飛躍的伸びから専業的な和牛肥育が芽生えてきた。
当時、伊賀町壬生野農協で66名の農家グループが16頭の素牛を
肉牛預託制度を利用して協同購入し、技術の研鑽、肉牛販売の統一等、
共同実践した事が生産者組織での伊賀牛発祥とされている。
以後、町全体さらに大山田、阿山町、伊賀全体へと波及的な広がりをみせた。
又、各市町村、各農協、経済連の推進努力により『肉の横綱伊賀牛』に
ふさわしい銘柄牛作りが現在も行われている。」
話を戻して「忍者ツアーお勉強会」でした…


「O氏館」、道路沿いにはある門は「昔、馬の出入り口」で


田んぼ側に「正面入り口跡」があったとか、「濠跡」も…
歩いて行くとこんもりした「森」のような場所が見える…
これが「壬生野城跡」、城跡から見えた「集落」。(撮影:2020年6月)


では「春日神社」に向かいます。





春日山=ご神体でもあり、「春日山城」が築かれた山です。





「伊賀の春日神社拝殿、昔の姿取り戻す~7年かけ解体修理」(web中日より)
徒歩で行く「壬生野中世城館群」、いい旅でした。
ルートを覚える旅ですが、あと何回かは歩きたいですね、
ゆっくりと、自分自身のためにも…
※参考「伊賀へいらっしゃい/川東地区中世城館群ほか」
次は「敢国神社」へ