「忍者ツアー」勉強会 その1、「徳永寺」(再び)訪問。

2023-05-28 00:56:01 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
時期が時期、ブームと言えばそうなんですが(NHK大河ドラマ「どうする?家康」放送中)、
伊賀を訪れる観光目的の方は徐々に増えてるらしく、
某バス会社では「忍者ツアー」を企画しているとのこと。
そこで、特別に案内ができる人を増やそう、スキルアップを目指そう!
というお勉強会があり、先ず「ルートを覚えよう!」…

今回の「忍者ツアー」のルートは、
①「徳永寺」→ ②「壬生野中世城館群散策」
③「春日神社」→ ④「敢国神社」になります。
  
幾度となく訪れているとはいえ“ワタシも初めて“という時がありました。
その時の記憶を思い起こしました
2021/1/21訪問「徳永寺」編。(まさかの同級生との遭遇話)
成田山椎老木の由来」編。(徳永寺の裏山を歩いて「都美恵神社」まで)

因みに、行き先が多いので、あまり深く突っ込んだ話ではなく、
興味を持って、楽しく「伊賀の旅」をしてもらいたい、
そしていずれドラマで出てくるであろう「神君!伊賀越え」。
諸説あるルートのことを掘り下げるのではなく、
幕府公文書である徳川実記」に書かれている「御斎峠越え」ルートを案内します。
  
駐車場にて、山門くぐり、正面の「本堂」。

  
「神君!伊賀越え」ルート、「立ち葵紋鬼瓦」、
宝篋印塔」(ホウキョウイントウ)と六地蔵、背景は「霊山」。

 
市文化財「梵鐘・鐘楼」、「十王堂(閻魔堂)」の閻魔さま。
「徳永寺」HPより「諸堂解説

※参考「日本遺産ポータルサイトリアル忍者を求めて」より抜粋。
忍者の実像は「伊賀衆」「甲賀衆」と呼ばれた「地侍」たちだった。
戦国時代、この地域からは大きな力を持った大名が現れず、
自らの地を自らの力で治める必要から自治が発達し、
お互いに連携をして地域を守っていた。

地侍たちは一国、一郡規模で連合し合い、そうした自治組織を「伊賀惣国一揆」
そして「甲賀郡中惣」と呼び、互いに同盟し合って仲が良かった。
一族の結束は強く、「一味同心」に団結し、「諸事談合」して、
時には多数決さえ用いて物事を決めており、「みんなで集まり、話し合いで決める」こと、
これが忍者の里の「掟」だった。

封建制が強まり、下克上の嵐が吹き荒れる戦国時代にあって、
一人の領主による力の支配ではなく、皆で力を合わせて地域の平和を守ってきた姿は、
テレビやアニメで描かれる非情な世界とはまったく異なる。

それが城館の分布に現れている。
ここでは突出した権力がないため特別に大きな城はなく
また同種の地侍たちが集まっていたため、同じ形、同じ大きさの城館が
狭い地域にひしめき合う世界が出現した。
しかし天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉などの強大な権力の出現とともに、
こうした地侍の自治組織も終焉を迎える。

一方、戦国時代を通じて忍びの技術は重宝され、各地の大名に仕え活躍していた。
中でも天正10年(1582)の本能寺の変後、堺にいた徳川家康が本国三河に帰る最短ルートとして
この地を駆け抜けた際、伊賀者、甲賀者が家康を護衛し、
その活躍が今日まで「神君伊賀越え」として語り継がれている


では次に、「壬生野中世城館群」へ行きましょう~~
 

つづく
コメント (8)
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