思えば2019年(令和元年)の6月ごろ、卒業生の有志20数名が集まり、
「入学(1970年)して半世紀」だね、
ぼちぼち「23回卒業生の同窓会」をしたいねぇ、と話は進み、
幹事は誰がする?と候補を募り、来年(2020年)の6月ごろにでもしよう!
結局あれから3年我慢し、その間練りに練る時間はたっぷり。
借りていた会場は3度の延期、
考える時間も長過ぎて、もうこれ以上の知恵は出てこないねぇ、、、
案内状を出したのが3月半ば、出欠の締め切りは4/10。
(同窓会の準備経過報告を始めたときのblog)
5/16まで、途中いろいろ足したり引いたりの出欠状況でしたが、
最終的には337名の案内状送付数に「116名の出席者」となりました。
ただただ驚きの数字で、おそらく自身のことや家族のことを考えれば、
この先、集まれるかどうかの約束はできない年代に達していて、
この出席数はスゴイね、嬉しいね、と幹事たちは自画自賛。
「式次第」表面
「式次第」中面
個人情報満載なのでほぼ塗りつぶし💦
※「式次第」印刷終了後のキャンセルもあって117→116名。
※QRコードで写真や席次表を読むことができる、
こんな「今ドキ!アイデア」を提供してくれた川瀬カメラマンに感謝です。
さぁ、当日、天気は最高!ほぼ風もなし!
屋根のある野外の受付に急遽変更し、みなさんを待つことに。
公共交通機関で来る人のために
「JR伊賀上野駅・上野市駅」と「伊賀神戸駅」への送迎バスも出ます。
申込のあった人が確実に乗ってくれるのかどうか、
同級生仲間に「添乗員」を頼みました。
快く引き受けてもらって嬉しかったです。
「集合写真」会場は、向かいの「伊賀市文化会館玄関」階段で。
撮影は12時30分過ぎに終了。
カメラマンの指示通りみんなが団結したおかげ。
※この人数、会場内での記念撮影はムリ!
よって、会館の方にはあらかじめお願いに行ってます。
運よく「会館貸し出し」がなかったので、叶ったことです(感謝)。
ちょっと前後しますが、出席者が三々五々集まる前に、
会場ロビーでも準備がありました。
もう一仕事残っています。
『みんなに伝えたい一言』の掲示です。
幹事長(発起人代表)の入力作業と拡大コピーのおかげで読みやすくなってます。
※「出欠」にかかわらず「書いてね」と していました。
たくさんの方が、会うのが楽しみ、会えないけどみんなによろしくね…等々
嬉しい一言が並んでいます。
「集合記念撮影」も終わり、サンピア4階会場への移動もスムーズに行き、
着席は「3年生卒業時のクラス」別。
個人の名札に「学年別のクラス」を入れました。
幹事たち、50年以上前の昔の写真を引っ張り出し、
寄ってたかって虫メガネで覗きつつ「このコは何組、あの子は何組だったよね」と。
もちろん「出欠葉書」に自主申告はしてもらったのですが、
意外と覚えていない。クラスか先生の名前、どちらかだったら覚えてる…
51年前の自分のクラスなんて大抵は忘れてます(笑)。
それでも、ほぼ98%くらいのクラスは判明しました、これって凄くない!?
と、よくぞここまでと自分たちを褒める幹事たちです(笑)。
開宴前、「司会者」が諸注意事項を話すのですが、
みんな再会の喜びでか、あっちでもこっちでもなかなか静かになりません💦
この段階でもう「おしゃべりの花」「話の輪」は開くのです。
が、時間が来て司会者の「開宴宣言」、
幹事長(発起人代表:竹森くん)の「開会のあいさつ」と進みます。
ここは粛々と、そして真剣に聞き入っています。
この姿をみて、さっきまでの喧騒はどこへいったのかという静けさ。
さすが元『上高生』、聞く時は聞く!いざという時は集中できる!
みなさんじっと耳を傾けてくれてます。
もう後は、何というかてんやわんやの2時間半、あーっという間。
*3年次のクラスでお食事をしっかりしてもらい、
極力立ち歩かず=この間に川瀬カメラマンが116名全員の顔写真を撮ってくれるから
*2年次
*1年次 とクラス替えし、その間スナップ写真も撮ってもらいました。
ここで、何故に写真をいっぱい撮ったのか…
51年前の顔写真は「卒業アルバム」から一人ずつ取り出し、
「フォトブック見本」に載ってるんです。
(これはQRコードで読めるようになってます )
その隣に「今日現在のぼくたち・わたしたち」が並びます。
これはもう楽しみに待つしかない!
時間が経つのは早いモノで、もうお開き前の「校歌斉唱」。
ここで待ってました! 東京から馳せ参じてくれた貝増くん。
カラオケ大好きだし、人前で歌うことに抵抗のない人を選びました(笑)。
彼の音頭で、神妙に 校歌斉唱
※ここでお断り、「宴もたけなわ」の様子は一切撮れてません
要するに始まりと終わりだけの報告です、ゴメン。
でもね、みんなホントに喜んでくれて、
この先のことは誰にもわからない、そんな年代になっているので
ここで会えて良かった、来てよかった、
学年ごとにコミュニケーションがとれて楽しかった…
そんなお言葉をいただいているので、心の中では「涙」流しているのです。
では、51年前に歌ったきり歌っていない人もいるかもしれない「校歌」。
山口誓子作詞、信時潔作曲、
斉唱音頭:貝増豊くんと元合唱部のメンバー
斉唱:集まってくれたみんな。
楽しく集った様子が伝わればいいのだけれど、
久しぶりの同級生の話に乗りつつ、
飲み物は足りてるのか?
司会者の言葉は聞いてる??
今から〇年〇組の写真撮るよ~、
金屏風の前に集まれ~なんてね、
滅茶苦茶充実した時を過ごしてました。
全てを書ききれず、しかも自身で写真の撮れたところだけの報告でゴメン。
前日ギリギリまで幹事たち、とくに司会者との入念な打ち合わせをしたにもかかわらず、
「文化祭の打ち上げ」みたいな状況に苦労をしてくれたであろう影武者的存在の進行がなければ
ここまで大盛況に終わったのかどうか……
51年ぶりの再会者もいたはず、
近くで同級生との交流を続けている仲間もいると思う。
人それぞれの状況で過ごした51年。
こうやって、集ってくれてありがとうね
そして「フォトブック」が届くのを待っててね。
急遽準備し、司会者の呼びかけだけの募集の「上野高校明治校舎見学」。
翌日10時20分に「上高正門前集合」。
聞いてくれた若干名の参加がありました。
来てくれてありがとう。
舌足らずな報告になってゴメン。
でも話はまだ続くかも…
ではまた
「入学(1970年)して半世紀」だね、
ぼちぼち「23回卒業生の同窓会」をしたいねぇ、と話は進み、
幹事は誰がする?と候補を募り、来年(2020年)の6月ごろにでもしよう!
結局あれから3年我慢し、その間練りに練る時間はたっぷり。
借りていた会場は3度の延期、
考える時間も長過ぎて、もうこれ以上の知恵は出てこないねぇ、、、
案内状を出したのが3月半ば、出欠の締め切りは4/10。
(同窓会の準備経過報告を始めたときのblog)
5/16まで、途中いろいろ足したり引いたりの出欠状況でしたが、
最終的には337名の案内状送付数に「116名の出席者」となりました。
ただただ驚きの数字で、おそらく自身のことや家族のことを考えれば、
この先、集まれるかどうかの約束はできない年代に達していて、
この出席数はスゴイね、嬉しいね、と幹事たちは自画自賛。
「式次第」表面
「式次第」中面
個人情報満載なのでほぼ塗りつぶし💦
※「式次第」印刷終了後のキャンセルもあって117→116名。
※QRコードで写真や席次表を読むことができる、
こんな「今ドキ!アイデア」を提供してくれた川瀬カメラマンに感謝です。
さぁ、当日、天気は最高!ほぼ風もなし!
屋根のある野外の受付に急遽変更し、みなさんを待つことに。
公共交通機関で来る人のために
「JR伊賀上野駅・上野市駅」と「伊賀神戸駅」への送迎バスも出ます。
申込のあった人が確実に乗ってくれるのかどうか、
同級生仲間に「添乗員」を頼みました。
快く引き受けてもらって嬉しかったです。
「集合写真」会場は、向かいの「伊賀市文化会館玄関」階段で。
撮影は12時30分過ぎに終了。
カメラマンの指示通りみんなが団結したおかげ。
※この人数、会場内での記念撮影はムリ!
よって、会館の方にはあらかじめお願いに行ってます。
運よく「会館貸し出し」がなかったので、叶ったことです(感謝)。
ちょっと前後しますが、出席者が三々五々集まる前に、
会場ロビーでも準備がありました。
もう一仕事残っています。
『みんなに伝えたい一言』の掲示です。
幹事長(発起人代表)の入力作業と拡大コピーのおかげで読みやすくなってます。
※「出欠」にかかわらず「書いてね」と していました。
たくさんの方が、会うのが楽しみ、会えないけどみんなによろしくね…等々
嬉しい一言が並んでいます。
「集合記念撮影」も終わり、サンピア4階会場への移動もスムーズに行き、
着席は「3年生卒業時のクラス」別。
個人の名札に「学年別のクラス」を入れました。
幹事たち、50年以上前の昔の写真を引っ張り出し、
寄ってたかって虫メガネで覗きつつ「このコは何組、あの子は何組だったよね」と。
もちろん「出欠葉書」に自主申告はしてもらったのですが、
意外と覚えていない。クラスか先生の名前、どちらかだったら覚えてる…
51年前の自分のクラスなんて大抵は忘れてます(笑)。
それでも、ほぼ98%くらいのクラスは判明しました、これって凄くない!?
と、よくぞここまでと自分たちを褒める幹事たちです(笑)。
開宴前、「司会者」が諸注意事項を話すのですが、
みんな再会の喜びでか、あっちでもこっちでもなかなか静かになりません💦
この段階でもう「おしゃべりの花」「話の輪」は開くのです。
が、時間が来て司会者の「開宴宣言」、
幹事長(発起人代表:竹森くん)の「開会のあいさつ」と進みます。
ここは粛々と、そして真剣に聞き入っています。
この姿をみて、さっきまでの喧騒はどこへいったのかという静けさ。
さすが元『上高生』、聞く時は聞く!いざという時は集中できる!
みなさんじっと耳を傾けてくれてます。
もう後は、何というかてんやわんやの2時間半、あーっという間。
*3年次のクラスでお食事をしっかりしてもらい、
極力立ち歩かず=この間に川瀬カメラマンが116名全員の顔写真を撮ってくれるから
*2年次
*1年次 とクラス替えし、その間スナップ写真も撮ってもらいました。
ここで、何故に写真をいっぱい撮ったのか…
51年前の顔写真は「卒業アルバム」から一人ずつ取り出し、
「フォトブック見本」に載ってるんです。
(これはQRコードで読めるようになってます )
その隣に「今日現在のぼくたち・わたしたち」が並びます。
これはもう楽しみに待つしかない!
時間が経つのは早いモノで、もうお開き前の「校歌斉唱」。
ここで待ってました! 東京から馳せ参じてくれた貝増くん。
カラオケ大好きだし、人前で歌うことに抵抗のない人を選びました(笑)。
彼の音頭で、神妙に 校歌斉唱
※ここでお断り、「宴もたけなわ」の様子は一切撮れてません
要するに始まりと終わりだけの報告です、ゴメン。
でもね、みんなホントに喜んでくれて、
この先のことは誰にもわからない、そんな年代になっているので
ここで会えて良かった、来てよかった、
学年ごとにコミュニケーションがとれて楽しかった…
そんなお言葉をいただいているので、心の中では「涙」流しているのです。
では、51年前に歌ったきり歌っていない人もいるかもしれない「校歌」。
山口誓子作詞、信時潔作曲、
斉唱音頭:貝増豊くんと元合唱部のメンバー
斉唱:集まってくれたみんな。
楽しく集った様子が伝わればいいのだけれど、
久しぶりの同級生の話に乗りつつ、
飲み物は足りてるのか?
司会者の言葉は聞いてる??
今から〇年〇組の写真撮るよ~、
金屏風の前に集まれ~なんてね、
滅茶苦茶充実した時を過ごしてました。
全てを書ききれず、しかも自身で写真の撮れたところだけの報告でゴメン。
前日ギリギリまで幹事たち、とくに司会者との入念な打ち合わせをしたにもかかわらず、
「文化祭の打ち上げ」みたいな状況に苦労をしてくれたであろう影武者的存在の進行がなければ
ここまで大盛況に終わったのかどうか……
51年ぶりの再会者もいたはず、
近くで同級生との交流を続けている仲間もいると思う。
人それぞれの状況で過ごした51年。
こうやって、集ってくれてありがとうね
そして「フォトブック」が届くのを待っててね。
急遽準備し、司会者の呼びかけだけの募集の「上野高校明治校舎見学」。
翌日10時20分に「上高正門前集合」。
聞いてくれた若干名の参加がありました。
来てくれてありがとう。
舌足らずな報告になってゴメン。
でも話はまだ続くかも…
ではまた