懐かしの「明治校舎」耐震工事内部潜入!③ 「文化財」使えるものは使いつつ、残す。

2022-05-24 16:12:31 | 上野高校明治校舎改修工事編
「屋根工事現場」から降りて、一階部分へ。
長~い「廊下」、そういえば天井が高い分暗かったなぁ…という記憶。
 (再掲)
昨日ラスト3行から
「廊下」東側を見る、長かったですよね、図面で見ると「東西間、約68m」です。
確か「走ってはいけない!廊下」でした…
この教室、現在は「文庫展示室『横光利一資料』」となっており、いよいよ潜入!
(その隣だったかもしれない、ゴメンあやふや

教室内潜入!の前に、

廊下側から「窓ガラス」を見る、といっても透明だし、
撮影技術もイマイチなのでわからないと思いますが、実は「ユラユラ(してる)ガラス」。
校舎が建てられた明治後期はガラスの加工技術もそれほど進んでおらず、
バチっと平面だったわけではなく、何となくユラユラ揺れて見えるガラスも残っているわけ。
なんとなく酔いそうな気分とさすが年代モノ!って感じで見ていましたが、
皆さんに遅れてはいけないので先を急ぎます。

ここからは、第一グラウンド内に設置されている仮設倉庫?の様子も一緒に組み入れて行きます。
というのも、解体された部材取り外した「建具」の保管、
及び壁の構造などがわかるように展示されているのです。

では、
教室内「漆喰壁※」の様子
 
教室内東西方向にある「漆喰壁」ですが、両方向を一気に剥がすわけではなく、
片面ずつ作業していくらしい。
↓ 「施工されていた古い漆喰壁見本」
  
3枚目、「明治校舎」教室内の黒板
これは、黒大津』仕様と。
「白」でなく、わざわざ「黒く?」してたんかなぁ…

漆喰は、もともとは防火性の高さや明光性が評価され「お城や武家屋敷の壁」に使われてきたと言われています。
 現代では、優れた調湿機能などが着目され室内壁として広く使用される壁材となっている。
 古くから、現在に至るまで、不燃性・明光性、調湿性など、漆喰そのものが持つ高い機能性から様々な建物に使用されてきた、とのこと。

「室内壁解体」&「腰板床下土台下礎石」の様子
   
※「土台下礎石」(土の塊に見える部分)と「束石」は、既設のまま残す、とのこと。(配布資料より)

倉庫に保管されている部材など
  床の説明

 
下部には虫食いの跡であったり、腐食部分も見られますが、
傷んだ部分は取り除き極力「元の部材を使う!
それが「文化財修理修復の一番大事な所」、
新しいものを使う方が時間もコストも軽いのですが、それでは
古き良きものは残って行かない」、これぞ『遺産』なのかと感じた次第。
↓ 「床板」「大引(オオビキ)」など
 

ぼちぼち潜入ルポも終盤です、
遠い昔のこととはいえ、屋根や天井、床下のことなど知るすべもありません。
唯一残像として残っているのは「建具」といわれる「ドア」や「窓」など、
これを見て思わず「そうそう、大きくて重いこんなドアを開け閉めしてたよね…」
↓ (筆者注意書き入り)
 

そして、これは記念写真よりトリミングした「窓部分」ですが、
知ってた??回転窓」と「上げ下げ式窓」だったんだよ~~
  
上部の回転窓は「換気用」だったそうです。

最後に、「天井の様子」と「玄関上部の飾り窓?」
 

外に出て、「瓦」「雨どい類」
   
「鬼瓦」はかなり傷んでおり、使えないかもしれないけれど、
「屋根瓦」は既設のものと新しい三州瓦とのmixで、
「雨どい類」はステンレス製になるとのこと。

約1時間、みっちり説明していただき、各部署見て回り、
気の遠くなるような緻密な作業をしていることがわかりました。
壊して建て直すほうがきっと楽、でもねそれをしてはいけない大切なもの。
そんな存在の明治校舎です。
三重県内の旧制中学校の建築物では唯一伊賀にしか残っていない「たからもの」です。
見学に行けて良かったし、同窓生のみなさんの目に触れることがあれば幸いかなぁ。
拙いレポートにお付き合いいただきありがとうございました。

では、「校訓『自彊不息」でお別れ…
 
また。

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