専門的な知識は一切ない、ただ骨組みのみ状態であろうことは想像できる。
危うい足場を進んで思ったこと、ヘルメットを被っていても頭は打つ!
(いくら注意喚起されても、上を見ることに慣れていないので…)
その衝撃は半端ではない!ということ、いかに大切な防具であることか!
先ず、それを学習しました
ちょっと前後しますが、
現場事務所でモロモロの説明を受け、
「文化財としての耐震工事」の重要目的として
①耐震補強材の設置
②基礎の補強
③屋根の軽量化(瓦葺替)
他に
・雨漏り修理
・外壁塗装
・建具の調整 もあるとのこと。
「いざ出陣!」みたいな気分で、あれもこれも、どれもが興味の的。
A班・B班に分かれて10人ずつが各ルートを進みます。
「明治校舎」の中央、正面玄関の一段高い門をくぐり、昇降口から入ります。
(遠い昔の)在学中には「玄関」といえども、出入りのためにあまり利用した記憶はないのです。
帰宅後、卒業アルバムを引っ張り出して見てみたら…
「半世紀前の明治校舎玄関前」
「植栽」が随分成長したね…って思いませんか(笑)。
全10クラスの中で、この「明治校舎」前での撮影はこのクラスだけ。
あとは、「お城」であったり、「俳聖殿」前であったり、滅茶苦茶懐かしいです。
話は逸れましたが、「柱」こんなにボロボロになってたのね、という現実に戻る。
左右3本ずつの柱で支えられています、初めて見上げてみて、
これは綺麗に塗り直して頂きたいと切に願う
この写真は「外壁」と右奥は通路部分と上から見た「外壁」
教室の窓枠と「外壁」を撮りました、ここは歩いた記憶があるので懐かしさいっぱいです。
「外壁」は今後「ケレン作業※」を行い、塗り替えられるはず。
※英語の「クリーン」が訛って「ケレン」になったといわれています。
つまり、キレイにすることが、ケレンだとか。
順路は、「屋根工事部分」へ
耐震工事の中でも重要な部分で、「瓦の解体」が終わり、
「杉皮」、「屋根土」が撤去され、「木舞(コマイ)」という屋根の下地部分も撤去。
専門用語ばかりなのですが、要するに屋根の「丸裸状態」。
見たことのない光景です…
↑ 真ん中辺りと「西側の梁」など
↓ 「東方面全体」と張り出した部分からも見学できます。
さて、ここで「墨書」という札があります、
これは、建設当時の覚書やらなんやらかんやらが「墨」で書かれていたという「印」。
文化財的価値があるとはいえないまでも、当初(明治時代)の貴重な「跡」です。
ここで、説明者の方が
「大体は『文字』が多いです、何らかの「目印」のような。
ただ、中には、面白い『絵』もあり、おそらく大工さんが描いたと思われる
『エロ画』(女性の裸の絵)もあります、いつどんな時に描いたものかはわかりませんが、
緊張が連続する現場での唯一の息抜きだったかもしれない…」とか。
まさか、今の世にこんな形で「見られる」とは思っていなかったでしょうねぇ…
ずっと隠されていると思って描いたんだろうと思うと、
なんだかちょっとホッとする話でした。
新旧のボルトも使い、筋交いなども施され、これもやがて「野地板」※で隠され、
瓦が葺かれていくと思われます、二度と見ることはない景色でした。
※屋根本体を保持させるための重要な建材だそうです。
では、再び下に降りますが、この隙間を覗くと微妙にコワい…
「廊下」東側を見る、長かったですよね、図面で見ると「東西間、約68m」です。
確か「走ってはいけない!廊下」でした…
この教室、現在は「文庫展示室『横光利一資料』」となっており、いよいよ潜入!
では、つづく
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