先にお断り、表題の仏様たちは「伊賀市の文化財」であるとともに、
「国の重要文化財」だそうです。
実際にはどうしたら拝観させていただけるのか??
いろいろ調べてみたけれど「本尊薬師如来」様は、60年に一度の御開帳だそうです。
さて、その60年目はいつ訪れるのでしょう、どなたかに聞いてみなくては…
ふと、通りかかった「湯屋谷(ユヤダニ 又は ヤンタン)」(伊賀市古山地区になります)。
某ホームセンター、新岡波総合病院建設現場、花垣神社経由、蔵縄手の🚥へ、
地元の人にしかわからないような行程を走っていた時のこと
です。
オォッ!!と気になりました、新しい石段と六地蔵様と…
新しさに不似合いなほどの古い「國寶」石碑が目に留まったのです。
新しい分、登り易い石段をトントン上って境内へ
手水舎の龍さん
センサー付きの手水で前に立つとお水が出ます、
綺麗に管理されていますし、どこか新しい…
「蓮徳寺本堂」
「本尊薬師如来」さまの説明
『伊賀四国第八十三番 蓮徳寺 本尊 薬師如来
梅母山医王院(バイボウザンイオウイン)蓮徳寺は、延暦年間(800年頃)行基菩薩によって創建された。
本尊薬師如来は、諸願成就、万病平癒の霊験あらたかな仏像として、
古くより伊賀一円の多くの衆の信仰を集めていたといわれる。
特に脇仏の日光、月光両菩薩は、藤原時代の有名な調刻家定朝の作ともいわれ、
その一木作りの均整のとれた優美で、しかも荘厳なる調刻は見事なもので、
大正四年 国宝に指定され、昭和四十一年四月に建立されたその収宝庫に安置され、
現在も大阪、京都等近畿一円からも参詣者があり、多くの信仰を集めている。』
白石敷きつめられた境内には立派な「十三重塔」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/23/10a5145c47aa02927b58631d841d2603_s.jpg)
何も予習せずに突如訪れてしまったので、帰って勉強せねば…と思った次第。
境内横の池の木
はて、何の木かな?
そして、入り口で「説明版」、ワタシハ スゴイトコロニ 来テルノネ…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/80/e0b48323e63f633a40831d8e7e84b1ba_s.jpg)
『国指定 重要文化財(彫刻)
木造日光・月光菩薩立像(蓮徳寺)
像高 両像とも103.5㎝
本尊薬師如来坐像(秘仏六十年ごとに開帳)の脇侍として造られた像である。
両像とも頭部に宝髻(ホウケイ)、天冠台(テンカンダイ)をつけ、額に水晶嵌入(カンニュウ)の白毫(ビャクゴウ)をつける。
日光菩薩は左手が屈臂(クッピ)、右手が下伸し、月光菩薩は右手が屈臂、左手が下伸する。
腰のひねりは日光菩薩の方が意識的で、月光菩薩は穏やかにほぼ直立する。
檜の寄木造りで、当初は彩色像であったと思われるが、今は剥落して素地をあらわし、
木目がみえる。伏せ目がちで優しい少女のような顔や明朗な姿は藤原時代の好みをそのまま表現している。
なお、当寺の歴史を語るものに治承元年(1177年)に当寺において筆写した大般若経が他所で現存する。
境内には、鎌倉時代の石造十三塔があり、市の指定文化財となっている。
(指定年月日 大正四年八月十日)
伊賀市教育委員会 』
突然思い付きで訪問してしまい、自分自身の不勉強さに呆れ、
帰宅して、母から譲り受けた「定本 伊賀百寺=その歴史と文化=」を読んだ次第。
「伊賀百寺」より「蓮徳寺」
この本が発行されたのは1996年なので、当時のやはり古いままのようです。
概略
『延暦年間(782~806)に行基によって創建されたと伝えられているが、
嘉吉元年 (1441)の『興福寺官務牒疏』によると、聖武天皇の発願(ホツガン)により、
温泉の出ていたこの地に行基が薬師仏を安置して創建したと記されていることから、
行基創建の信憑性は高いと考えら れる。
「治承元年(1177)12月22日、於 古山蓮徳寺書」と上野市の沖森氏蔵の大般若経に記されるなど、
悠久の歴史を持つ寺院であり、当初は奈良の興福寺末であった。』
「日光・月光菩薩」の写真は、
「伊賀市の文化財」冊子より
「石造十三重塔」は、南北朝時代制作、 昭和46年2月23日伊賀市文化財に指定されています。
「伊賀市の文化財」冊子より
『高さ380cm、花崗岩製のもので、相輪部の上部は破損部分も見られます。
軸部は40cm 角の大きさであり、各面に金剛界四仏を示した種子の薬研彫が見られます。』
次に訪問する時は、地元の方にいろいろ聞いてから出直そうと思っています…
ではまた
「国の重要文化財」だそうです。
実際にはどうしたら拝観させていただけるのか??
いろいろ調べてみたけれど「本尊薬師如来」様は、60年に一度の御開帳だそうです。
さて、その60年目はいつ訪れるのでしょう、どなたかに聞いてみなくては…
ふと、通りかかった「湯屋谷(ユヤダニ 又は ヤンタン)」(伊賀市古山地区になります)。
某ホームセンター、新岡波総合病院建設現場、花垣神社経由、蔵縄手の🚥へ、
地元の人にしかわからないような行程を走っていた時のこと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
オォッ!!と気になりました、新しい石段と六地蔵様と…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/38/bf/17e218f6a2fba47e9c42db495694c43b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5c/5e/039b492ce51977a6551f6c24885c163a_s.jpg)
新しさに不似合いなほどの古い「國寶」石碑が目に留まったのです。
新しい分、登り易い石段をトントン上って境内へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/40/2e/5f46c007a98e721690cf25259bab0027_s.jpg)
センサー付きの手水で前に立つとお水が出ます、
綺麗に管理されていますし、どこか新しい…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/5d/4e5f79f1c40c1ff33915f12583374277_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/f9/c66be923ac962a9952417943db1ec57c_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/f8/8943c9c9a6c51836100718185d2482a3_s.jpg)
『伊賀四国第八十三番 蓮徳寺 本尊 薬師如来
梅母山医王院(バイボウザンイオウイン)蓮徳寺は、延暦年間(800年頃)行基菩薩によって創建された。
本尊薬師如来は、諸願成就、万病平癒の霊験あらたかな仏像として、
古くより伊賀一円の多くの衆の信仰を集めていたといわれる。
特に脇仏の日光、月光両菩薩は、藤原時代の有名な調刻家定朝の作ともいわれ、
その一木作りの均整のとれた優美で、しかも荘厳なる調刻は見事なもので、
大正四年 国宝に指定され、昭和四十一年四月に建立されたその収宝庫に安置され、
現在も大阪、京都等近畿一円からも参詣者があり、多くの信仰を集めている。』
白石敷きつめられた境内には立派な「十三重塔」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/0e/2b4f0750554b98936fa63eff486299fe_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/23/10a5145c47aa02927b58631d841d2603_s.jpg)
何も予習せずに突如訪れてしまったので、帰って勉強せねば…と思った次第。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7f/5a/41a92e0e54ef2dc9f7b875e9c5a5b083_s.jpg)
はて、何の木かな?
そして、入り口で「説明版」、ワタシハ スゴイトコロニ 来テルノネ…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/80/e0b48323e63f633a40831d8e7e84b1ba_s.jpg)
『国指定 重要文化財(彫刻)
木造日光・月光菩薩立像(蓮徳寺)
像高 両像とも103.5㎝
本尊薬師如来坐像(秘仏六十年ごとに開帳)の脇侍として造られた像である。
両像とも頭部に宝髻(ホウケイ)、天冠台(テンカンダイ)をつけ、額に水晶嵌入(カンニュウ)の白毫(ビャクゴウ)をつける。
日光菩薩は左手が屈臂(クッピ)、右手が下伸し、月光菩薩は右手が屈臂、左手が下伸する。
腰のひねりは日光菩薩の方が意識的で、月光菩薩は穏やかにほぼ直立する。
檜の寄木造りで、当初は彩色像であったと思われるが、今は剥落して素地をあらわし、
木目がみえる。伏せ目がちで優しい少女のような顔や明朗な姿は藤原時代の好みをそのまま表現している。
なお、当寺の歴史を語るものに治承元年(1177年)に当寺において筆写した大般若経が他所で現存する。
境内には、鎌倉時代の石造十三塔があり、市の指定文化財となっている。
(指定年月日 大正四年八月十日)
伊賀市教育委員会 』
突然思い付きで訪問してしまい、自分自身の不勉強さに呆れ、
帰宅して、母から譲り受けた「定本 伊賀百寺=その歴史と文化=」を読んだ次第。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3c/2d/059e3b6e77235ee65825e116e4c22824_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/e8/d810935e70c08585f8f77ed2d1fe78c3_s.jpg)
この本が発行されたのは1996年なので、当時のやはり古いままのようです。
概略
『延暦年間(782~806)に行基によって創建されたと伝えられているが、
嘉吉元年 (1441)の『興福寺官務牒疏』によると、聖武天皇の発願(ホツガン)により、
温泉の出ていたこの地に行基が薬師仏を安置して創建したと記されていることから、
行基創建の信憑性は高いと考えら れる。
「治承元年(1177)12月22日、於 古山蓮徳寺書」と上野市の沖森氏蔵の大般若経に記されるなど、
悠久の歴史を持つ寺院であり、当初は奈良の興福寺末であった。』
「日光・月光菩薩」の写真は、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/3a/ce52ff4539d1fcec1bd330bca46147b3_s.jpg)
「石造十三重塔」は、南北朝時代制作、 昭和46年2月23日伊賀市文化財に指定されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/11/61334a42f46a2723f03622c164f4ab8a_s.jpg)
『高さ380cm、花崗岩製のもので、相輪部の上部は破損部分も見られます。
軸部は40cm 角の大きさであり、各面に金剛界四仏を示した種子の薬研彫が見られます。』
次に訪問する時は、地元の方にいろいろ聞いてから出直そうと思っています…
ではまた
私はまだ蓮徳寺を訪れたことはないのですが、絵画では何度か拝見しています。
榊莫山氏が伊賀八景のひとつ「湯屋谷ノ寺」として描いているのがこの蓮徳寺で、その絵画を三重県立美術館と奈良県立美術館で鑑賞しました。三重県立美術館所蔵の絵画なので、また展示されるときに見に行かれてはいかがでしょう。
2020年9月、「没後10年 榊莫山展」(三重県立美術館)へ行ったこと。
「湯屋谷の寺(多分、蓮徳寺)、行ったことないなぁ…近々行ってみようっと。」と書いてから、今になってしまいました
莫山さんが描いていた風景は、今とはぜんぜん違う、「湯屋谷」という名前に惹かれたことも思い出しました。
dawnさん、ワタシの記憶に火を点けていただき感謝します…(笑)。