ニャンはにゃんなりに工夫して過ごすコもいれば、
熱い舗装道には出ないで待ってるコもいたり、
なんとか元気にやり過ごしています。
そして、一緒に住んでいないハハ(S5年生まれ)ですが、大してへこたれもせず元気です。
歩く姿を見ていると若干心もとない気もしますが、そこは「転ばぬ先の杖」を頼りに、
「天神さんへのお参り」を日課とし、おしゃれ心も忘れず出かけており、
安心と言えばまぁ安心(笑)。
そんなハハですが「食べ物」に対する執着は忘却の彼方には行かず、
季節それぞれに「あれを食べたい、これがほしい」と要望は絶えません。
今の時季なら「幸水梨より『豊水』が好き」だからもう少し待つわ、と。(個人の好みです)
お中元に『葡萄』を送りたい、ついでに私も食べたいから…
連れてって🚙と、声がかかります。
頂きものがあれば、お礼の電話だけではダメで、
必ず送り返す習慣のある年代の人ですので致し方ありません。
ワタシもお相伴に預かれるので連れていきますよ、もちろん。
そんなこんなで長田三軒家に夏季限定出店中の『宮崎農園ブドウ直売所』へ。
(過去ログ/夏の買い出しツアー)
久々のハハ連れドライブなので、
少しだけ遠回りをして「やぶっちゃ/野良じまんの草餅」買って、
そのまま「市道西山/島ヶ原線」を通って西山の棚田方面へ。
ハハに「ここは、昭和28年の8月14日の『二八災害』とよばれる
集中豪雨による『山津波』に襲われた棚田だよ」と伝えましたが…
「お父さん(土木技師だったワタシのチチのこと)は島ヶ原の方に行っていったので、
ここのことはわからない」と言う。
「えっ?同じ山つながりだよ、『高旗山』のあるこの山並みが崩れちゃってね…」
同じ時、同じような場所で起こった災害が繋がらないらしい。
思えば、何か事があるといつも一人で留守番していたハハなので、
「自分の家は、『私』が守る」ことで精一杯だったのかもしれないな、と
当時お腹にいたワタシは思いを馳せる。
「西山二八災害」のことは過去ログにて
※「西山棚田米」は、
≪西山地区は伊賀盆地の中でも標高が高く、昼夜の寒暖差が大きい高原性の気候に加え、
高旗山から湧き出た清水と古琵琶湖層の肥沃な土壌のおかげで、
おいしいお米が作られています≫(西山の棚田散策マップより)
帰り道「新居遊水地」を跨ぐ道路網を抜け、
反対側の「上野台地と奥の風車群」を見て
帰路に着きました。
8/11に行った「西蓮寺」の帰り道の写真ですが、
書くタイミングが丁度今日になってしまいました。
1953年、昭和28年8月14日未明の出来事を振り返る日となりました。
くしくも2023年、台風が伊賀をかすめるかもしれないとか、
「備えあれば憂いなし」を考える日になりそうです。
ではまた
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