服部川の「川北桜公園」で紫陽花、「新大仏寺」前の池でアサザ…

2023-06-11 11:21:10 | 花や風景など
再び広瀬へ、というのも自宅にあった資料※②を読んでいて、
「広瀬」とは、服部川沿いの「平地」という意味でついた名前だそう。
*その服部川下流と上流の様子(広瀬橋の真ん中から)
 

 ≪鎌倉~室町時代にかけて登場する「荘園」。
 源頼朝が平家から没収し、治めていたのを「東大寺再興」に加わった陳和卿(チンナケイ)に与えた。
 のちに、東大寺の荘園になり、江戸時代に伊賀上野藩領、そして津藩領になった…≫
※参考:日本歴史地名体系kotobankより『阿波庄・広瀬庄・山田有丸庄
※「陳和卿」:宋の工人で、1180年(治承4)、平重衡の南都焼討によって焼かれた奈良・東大寺の大仏鋳造と大仏殿の建設に尽力した人物。

なかなか、歴史は古く、地元の人たちは「遺跡の宝庫」であることが自慢だとか、
圃場整備前には発掘調査が行われ、整備の方は遅れたそうですが、
一度壊すと元には戻せない遺跡なので、地元にとっては有意義な発掘調査だったのでは、と思います。
そして「服部川」を渡る「広瀬橋」の袂に「石碑」があるとのこと。
それを探しに、、、
旧大山田中央公民館(川を渡ってすぐの建物)に🚙を止め、
探すことすぐ(笑)、
 
道命法師(974~1020)の歌碑』
「流れ出る 涙ばかりを 先きたてて 井せきの山を けふ越ゆるかな」
≪街道を歩いていて、九州での戦いに敗れた大江公通
 広瀬南方の井堰山(イセキヤマ)※に葬られた言い伝えを思い出したのか…≫

近くには☟コレ、
 旧大山田のマンホール「ササユリ」
現「伊賀市の花」ですね。

川沿いには遊歩道があって、

地元の人たちのお世話に寄る桜並木」があり、
梅雨時期には「紫陽花」が楽しめます。
 

では、ぶらり紫陽花
  

川の流れと、桜の古木と紫陽花。
  

橋の袂から300mほど南に行くと「広瀬のふれあい公園」(「古民家カフェ365nichi」※①のある辺り)で、
(ちょっと古いが)パノラママップを見て

「井堰山(イセキヤマ)」※って、、、どれや?と振り返ると、形の良い山が見えたので

これかな?と、低い方の山には「井堰城跡」もあるらしいので…(今日現在、未確認ですあしからず)

※①経営母体㈱七転八倒」、そのHPより
 ”わら”ネタリウムのチラシ

※②資料(読売新聞社編「街道いまむかし/誇りは遺跡の宝庫」(平成元年編集による))



さて、広瀬の里を出て、東に向かい「大山田資料館/大山田観光協会」(新大仏寺の近く)へ、
目的は「大山田地区」のパンフレットなどを頂くつもりで。
そしたら池の中に黄色い睡蓮風の黄色い花発見!
  
上手くは撮れなかったのですが、google lensにお世話になると、
「アサザ」とのこと。(追記※2023/6/16記事より
珍しい花(私的には初めて)を見たので嬉しい締めくくりとなりました(笑)。

※③「アサザ」(環境省のレッドリストでは準絶滅危惧種に指定)。

では、今日は「ササユリの里」見学、
咲いているといいなぁ…
ではまた

追記2023/6/29「水面彩るアサザ」Yahoo!ニュースより

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