大野木の「中世城館」で歴史を感じる…②木津氏館、直居氏館

2022-07-13 23:28:08 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
6/4に現地研修に行ってから随分日も経ち、このままでは危ういままの記憶になりそう…
なので、自らを叱咤激励しつつ、気力を奮い立たせて、
(そんなオーバーな表現をしなくても…と思われそうですが、
 それくらい今の蒸し暑さに気力がついていけないのです

現地訪問し、「土塁」等の撮影もさせていただきました。
が、実際にはご子孫の方がお住まいなので、前もってきちんとお話をし、
立ち会っていただいての見学となっています。

いかんせん想像力が豊かでないので、自分なりの整理のために、各種参考文献を探し、
余湖くんのお城のページ」を見つけたので、当日の説明資料とともに
掲載させて頂きつつ、復習しようかと思った次第です。
 参考:『竹島氏館・木津館・直居館

「大野木の中世城館①」で訪れた『竹島氏館と『木津氏館』の真ん中から両館を望みます。
 『竹島氏館』

中間地点から『木津氏館』
  

畦道を進み…「土塀」、「堀跡と石垣」。
  

分かりづらいですが、ここは「薬研堀(ヤゲンボリ)」だったのではないかとのこと。
 

木津氏館
 ≪大野木地区の木津川西岸段丘に築かれている。
 東出地区の水田の中に屋敷林で囲まれた旧家が木津氏館。
 周囲を土塁と堀が廻らされた単郭方形の典型的な豪族居館
 敷地の西側を除く三方に土塁が残り、特に東側の土塁が旧状を良く留めている。
 また、現在は水田となっている堀は、発掘調査の結果、幅6m・深さ1.5mの薬師堀※であったとか。 
 木津氏館は、築城年代は定かでないが木津氏によって築かれた。
 木津氏は、伝承に拠れば山城国木津より移住したとされている。≫
薬研(ヤゲン)とは…
 Wikipediaより
 ≪堀の形状の一つで、薬研(=漢方で薬を細かくし煎じて飲むために、
 鉄製の細長い舟形で中が断面V字形)のごとく断面がV字形になっているもの≫

館をお暇するときに見上げた「」、近くからでは全体が撮れないほどデカい。
屋敷から出るときに「石橋」があり、その傍に立っており、
大野木の歴史を見ていた「大木」かもしれない、と思う。
  両手を広げてる風に見える…
」って、
 ≪「」の右側は「(キョ)」という漢字です。「手を挙げる」の「挙」の旧字で、
 「両手を揃えて頭上に持ち上げる」という意味があります。
 「きへん」+「擧」で、両手をいっぱいに広く突き上げたような形に枝が伸びる木をあらわし、
 欅の木の姿を見事に表現した漢字となっています。≫とのこと、なるほどね…
 「木津氏館」西側。

参考文献→「藤堂藩伊賀者と新発見木津家文書」要旨

次に、同じく木津川西岸の自然段丘に築かれている、
直居氏館
 ≪大野木清水地区の中心部にある直居氏宅を取り囲むように土塁※①堀の一部※②が残っている。
 土塁の西端は隣家と接しているが、高さ約3m程のある分厚い土塁※③がある。
 直居氏館は、築城年代は定かでないが直居氏によって築かれた。
 直居氏は、天正9年の伊賀天正の乱では他の豪族と共に比自山城に籠城した。≫

  ※①土塁(屋敷周り)

 ※②「堀跡」?

  
※③「土塁」
土塁の上から西側を見ると「比自山」は、すぐそこ!
 
「天正伊賀の乱」激戦の地、、、

ではまた

2022/9/1 追記
下記ブログをリンクいたします。
伊賀へいらっしゃい/伊賀市大野木地区
NHK大河「鎌倉殿・・・」に、いよいよ「伊賀の方(のえ)」登場です。(2022/9/4~)

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