「岩根の摩崖仏」(伊賀市大内字岩根)。伊賀の花崗岩はスゴイよ…

2022-07-12 23:46:44 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
かなり大きな摩崖仏であることは噂で聞き及んでいました。
実際には個人的と、勉強会で伺ったので二度お目にかかることができました。
初めての時はもちろんドキドキでしたが、さほど遠い道ではなく、
現・成和西小学校(旧・花之木小学校)の近くを通る『旧月ケ瀬街道』沿いにありました。

では、順路として小学校の駐車場を抜ける感じで…
案内板は親切に掲示されていました。
 
平日に行くと、児童が傍らで何やらお勉強をしている様子でしたが、
不審者に思われることもなく行けました(笑)。

  
1回目は「タケノコ ノコノコ」の季節(5/6)に訪問、
なのでこんな感じ…
その竹林を進むと「説明版」と大きな岩が見えます。
  
鬱蒼としたところではなく、大岩の辺りが意外と開けているので、
陽光が差し込み明るいのです、せっかくの「摩崖仏」さまですがうまく撮れません
そのことを学習したので6/4に勉強会で訪問した時は、光を入れないように挑戦。
こんな感じで、、、
 

左端には「五輪塔」も彫られています、が
  
まぶしくてよくわからない…

では、少し詳しくご紹介。
岩根の磨崖仏(いわねのまがいぶつ)】三重県有形文化財(彫刻)
指定・登録日 1979(S54)年3月23日
所在地 伊賀市大内字岩根
所有者 菅原大辺神社(過去ログより紹介)
年 代 鎌倉時代(1185年頃 - 1333年)(後期)

≪『岩根の磨崖仏』は花之木小学校(現・成和西小学校)の校門前の小道を西方向に歩くと旧街道があり、
花崗岩の巨石(幅約9m・高さ約3m、奥行約6m)の正面を、
巾2.1m、高さ1.52m、深さ15.2cmに龕(ガン)状に彫りくぼめ、
(正面に向かって)左から地蔵、阿弥陀、釈迦の立像を高肉彫し、
その間に半肉彫の蓮花を生けた花瓶を供養花として配す。
地蔵の下方左右には高さ21.2cmの合掌する侍者坐像2躯ずつを彫る。
龕(ガン)部に向かって左端に「徳治元年(1306)」の銘がある。
三尊が刻まれる龕(ガン=仏像・仏具を納めるために設けたくぼみ)の左には、
格狭間(コウザマ=壇の羽目や台・露盤などの側面に彫り込んだ 刳形(クリカタ) の装飾)を
台座とした五輪塔が刻まれている。
巨岩の上部には溝があり、正面の数カ所には方形の枘穴(ホゾアナ)が見られる。
元は庇(ヒサシ)状の建造物が着いていたと考えられる。
三尊とも量感、迫力に富む。鎌倉時代後期の紀年銘があることからも、
本像は当地域の基準資料として貴重である。≫

※ご参考まで「伊賀市の文化財」冊子より


また、『伊賀の花崗岩』のことも教えていただきました…
 ≪大ざっぱにいうとマグマが噴火しないで地中深くゆっくり固まったもので
 伊賀地区の地下はこの花崗岩で出来ているといっても良いくらい。
 岩倉峡、荒木石は花崗岩で、上野台地も花崗岩で出来ています。
 地下が岩盤なので雨水が地下深くまで浸透出来ず地中浅くに地下水帯があり
 上野公園、上野市街地でも井戸水がすぐに湧きます。
 この花崗岩の成分、雲母、長石、石英の内、雲母、長石が土に溶け込むと粘土に成ります。
 古琵琶湖がこの作用をし、伊賀焼き、信楽焼の土が出来ました
 石英は固くて溶けずに白砂になります。≫

美味しいお米、旨い酒、果物・野菜もおいしい、
みんな伊賀の花崗岩のなせる業
おそるべし!花崗岩。

ではまた

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