昨年6月あたりから本格的に「伊賀忍者回廊巡り」(ご朱印収集目的もあり(笑))を始め、
満願達成し、伊賀だけでなく甲賀も回り出しましたが、
ここのところご無沙汰気味でした。
忍者絡みでいえば「大鳥神社」「油日神社」「広徳寺」
中世城館絡みでは「和田公方屋敷跡」「滝川城跡」などを訪問。
ワタシの訪問記は歴史に重きはなく、歩いてみたいな…という気持ち優先なのであしからず。
しかし、信長の挑戦(というべきかどうか)には考えること多々ありました、
纏めたくても纏まらない伊賀之国って、
なんかね、今も昔も変わらないんじゃねぇ…とか思いますけど (アクマデモ個人的見解デスガ)
さて、久しぶりの「日本遺産 忍びの里甲賀伊賀」の中の『甲賀流忍者修練の場』第2弾の旅。(第1弾は『庚申山・広徳寺』(投稿済み))
(2021/6/28訪問)
忍者の看板と共に「岩尾山周辺案内図」を見、「賽の河原」を通り、
ここからこの山の中腹にあるらしいお寺に向かいます、が
かなり急な上り坂、ヘアピンカーブなど一気にクネクネとユックリ走ります。
ココで完全行止り=駐車スペースあり
先客1台止まっています、はて??
「曼荼羅岩」と「黒門」とその奥、ここですでに「奇岩」と出会う
「黒門」をくぐりましたがその先、進む勇気はなく断念。
それより、この石段を上らないとお寺には着かない…
ドン突きに立派な石段
「手水舎」「境内の池」「息障寺全景」「焔魔堂」ココでご朱印をいただけます。
ではここで少しGoogleさんの力を借りて、ご説明を~~
(再掲)
≪甲賀流忍者の修行場 岩尾山息障寺 いわおさんそくしょうじ
比叡山延暦寺に属する天台宗の古刹で、滋賀県と三重県にまたがる標高471.1メートルの岩尾山の中腹に開かれた山岳寺院です。
山中の随所に奇岩巨岩がそびえ立ち、中でも奥の院となる巨石には像高5メートルにおよぶ室町時代作の不動明王像 (甲賀市指定文化財)が
彫られ、岩尾の不動さんと呼ばれています。
寺院が開かれた経緯は不明ですが、寺に伝わる由緒では「伝教大師最澄が比叡山を開く前に用材をこの山に求められたところ、
大蛇が棲み木こりの道を妨げたため、大師は禁竜の法で大蛇を倒し、ようやく木を伐り出すことができた。
大師は材木を琵琶湖に流し、これにより比叡山の根本中堂が完成、その報恩のために霊岳に伽藍を造営し、
池原(いけがはら)延暦寺と称することになった」と伝わり「比叡山試みの寺」(ヒエイザンココロミノテラ)とも言われています。
この周辺には伝教大師最澄にちなむ伝説が色濃く残り、岩尾の一本杉は大師が食事の時に刺した箸が
杉の大木になったと伝わり、岩尾の不動さんは大師自ら刻んだ像とされています。
山中にある巨石は、山伏たちが山岳修行に励んだ行場とみられ、境内に役行者の石造を祀るなど、
修験の文化が息づいています。甲賀流忍術もこうした修験の影響を受けて成立した ものでしょう。≫
(本日の目的は「岩尾山周辺散策」だったのですが、今思うに
どうもワタシは先に「奥の院」へ向かったようで…(ヤハリ オッチョコチョイデアル))
一旦、お寺の境内を後にし、「釣鐘堂」が見え、その先の階段を上るルートを進むことに
「行者岩」
正面から見ることができず、祠も落ちており、少し残念
「釣鐘堂」から「本堂」を見る
こんな苔生す石段を何段上ったか?
最初は数えていたんですが、段々記憶力が怪しくなってきて数えることは断念しました、
40+60+60+ ・ + ・ + ・怪しげな数字です
ここで一旦休憩、
巨岩奇岩? さすが「磐座信仰(イワクラシンコウ)」・「山岳宗教」の聖地らしいですが、
ワタシはどこまで迫れるのか、だんだん不安になってきます、
でもまだ続きます…
満願達成し、伊賀だけでなく甲賀も回り出しましたが、
ここのところご無沙汰気味でした。
忍者絡みでいえば「大鳥神社」「油日神社」「広徳寺」
中世城館絡みでは「和田公方屋敷跡」「滝川城跡」などを訪問。
ワタシの訪問記は歴史に重きはなく、歩いてみたいな…という気持ち優先なのであしからず。
しかし、信長の挑戦(というべきかどうか)には考えること多々ありました、
纏めたくても纏まらない伊賀之国って、
なんかね、今も昔も変わらないんじゃねぇ…とか思いますけど (アクマデモ個人的見解デスガ)
さて、久しぶりの「日本遺産 忍びの里甲賀伊賀」の中の『甲賀流忍者修練の場』第2弾の旅。(第1弾は『庚申山・広徳寺』(投稿済み))
(2021/6/28訪問)
忍者の看板と共に「岩尾山周辺案内図」を見、「賽の河原」を通り、
ここからこの山の中腹にあるらしいお寺に向かいます、が
かなり急な上り坂、ヘアピンカーブなど一気にクネクネとユックリ走ります。
ココで完全行止り=駐車スペースあり
先客1台止まっています、はて??
「曼荼羅岩」と「黒門」とその奥、ここですでに「奇岩」と出会う
「黒門」をくぐりましたがその先、進む勇気はなく断念。
それより、この石段を上らないとお寺には着かない…
ドン突きに立派な石段
「手水舎」「境内の池」「息障寺全景」「焔魔堂」ココでご朱印をいただけます。
ではここで少しGoogleさんの力を借りて、ご説明を~~
(再掲)
≪甲賀流忍者の修行場 岩尾山息障寺 いわおさんそくしょうじ
比叡山延暦寺に属する天台宗の古刹で、滋賀県と三重県にまたがる標高471.1メートルの岩尾山の中腹に開かれた山岳寺院です。
山中の随所に奇岩巨岩がそびえ立ち、中でも奥の院となる巨石には像高5メートルにおよぶ室町時代作の不動明王像 (甲賀市指定文化財)が
彫られ、岩尾の不動さんと呼ばれています。
寺院が開かれた経緯は不明ですが、寺に伝わる由緒では「伝教大師最澄が比叡山を開く前に用材をこの山に求められたところ、
大蛇が棲み木こりの道を妨げたため、大師は禁竜の法で大蛇を倒し、ようやく木を伐り出すことができた。
大師は材木を琵琶湖に流し、これにより比叡山の根本中堂が完成、その報恩のために霊岳に伽藍を造営し、
池原(いけがはら)延暦寺と称することになった」と伝わり「比叡山試みの寺」(ヒエイザンココロミノテラ)とも言われています。
この周辺には伝教大師最澄にちなむ伝説が色濃く残り、岩尾の一本杉は大師が食事の時に刺した箸が
杉の大木になったと伝わり、岩尾の不動さんは大師自ら刻んだ像とされています。
山中にある巨石は、山伏たちが山岳修行に励んだ行場とみられ、境内に役行者の石造を祀るなど、
修験の文化が息づいています。甲賀流忍術もこうした修験の影響を受けて成立した ものでしょう。≫
(本日の目的は「岩尾山周辺散策」だったのですが、今思うに
どうもワタシは先に「奥の院」へ向かったようで…(ヤハリ オッチョコチョイデアル))
一旦、お寺の境内を後にし、「釣鐘堂」が見え、その先の階段を上るルートを進むことに
「行者岩」
正面から見ることができず、祠も落ちており、少し残念
「釣鐘堂」から「本堂」を見る
こんな苔生す石段を何段上ったか?
最初は数えていたんですが、段々記憶力が怪しくなってきて数えることは断念しました、
40+60+60+ ・ + ・ + ・怪しげな数字です
ここで一旦休憩、
巨岩奇岩? さすが「磐座信仰(イワクラシンコウ)」・「山岳宗教」の聖地らしいですが、
ワタシはどこまで迫れるのか、だんだん不安になってきます、
でもまだ続きます…
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