今年の2月「修二会松明調進」の講座を聞きに行った折、
「笠間峠」ってどんなとこ?ととても気になりました。
講座の終了後、友に連れて行ってもらえることになり、
凄い山道(ほぼ極道並み)、それでもその道は山から来る人にとっての生活道路で、
車の通行量はそれなりに多かった記憶。
その山道を越えた先の開けた風景(室生深野地区)に感動し、
ここはぜひ「田植えの頃にもう一度」と思っていました。
念願かなって行ってきたわけです。
丁度「ササユリ」の時期と重なっており、何もかもが「今でしょ!」と…
「奈良の景観資産」「にほんの里100選」「ユネスコ未来遺産」でもあります。
地域の方々の頑張りのおかげかと、ほんとに素晴らしいところです。
深野の勧請縄を抜けたら、
「室生火山群」の山々の凸凹感、たまりません。
見比べのため、「冬」の風景の振り返り写真から
※冬の深野の棚田。
※深野の峠の勧請縄①、峠の勧請縄②
※ササユリ保護地区/冬
ここは「ササユリ保護地区」でもあり、しっかり管理されています。
道端から下を覗きました…
見えます、可憐に咲いてる「ササユリ」。
上からは「そこに咲いているのに」、なかなか遠くて💦撮るのは難しいです。
ヘアピンカーブ道をぐるり下りると、
なんと鑑賞用にベンチまで設置されている憩いの場があります。
人間はネットの外から見学です、鹿などに荒らされぬためです。
よく見ると、葉っぱと同じ色した「イトトンボ」?
根笹(ネザサ)という笹の種類と「ササユリ」の葉、
ササユリは「日本特産で日本を代表するユリであり」(Wikipedia)、
「葉っぱが笹に似ている」からそう呼ばれるのです。
比べて見ていかがでしょ?
余談ですが、とても大事なこと。
この地区には「獣害対策犬」がいるのです。
出会っても「無視」ですよ! 彼らはお仕事をしているのですから。
深野の棚田の間を抜けると、近くに「神明神社」があります。
神社の横には「棚田用の水路」でしょうか、順に流れ落つる水は勢いよく、
紫陽花の間から棚田と室生の山々。
当日2024/6/16の順路としては、
「月ヶ瀬梅林の現在/みおろし茶屋」から「月ヶ瀬橋」を渡って五月川の水位の低さに驚き、
梅雨前だからか、昔の「橋」まで見えるほど。
そこから名張川沿い、川が分かれ「笠間川」沿いに、
その先「山添毛原/国史跡/毛原廃寺」、「室生下笠間/阿弥陀摩崖仏」を過ぎ、
いよいよ笠間の県道の峠道へという行程です。
過去ログにも掲載させていただいた「深野と周辺地域の歴史と文化」(再掲)です。
では、次回は月ヶ瀬からの前編です、あれ?
「笠間峠」ってどんなとこ?ととても気になりました。
講座の終了後、友に連れて行ってもらえることになり、
凄い山道(ほぼ極道並み)、それでもその道は山から来る人にとっての生活道路で、
車の通行量はそれなりに多かった記憶。
その山道を越えた先の開けた風景(室生深野地区)に感動し、
ここはぜひ「田植えの頃にもう一度」と思っていました。
念願かなって行ってきたわけです。
丁度「ササユリ」の時期と重なっており、何もかもが「今でしょ!」と…
「奈良の景観資産」「にほんの里100選」「ユネスコ未来遺産」でもあります。
地域の方々の頑張りのおかげかと、ほんとに素晴らしいところです。
深野の勧請縄を抜けたら、
「室生火山群」の山々の凸凹感、たまりません。
見比べのため、「冬」の風景の振り返り写真から
※冬の深野の棚田。
※深野の峠の勧請縄①、峠の勧請縄②
※ササユリ保護地区/冬
ここは「ササユリ保護地区」でもあり、しっかり管理されています。
道端から下を覗きました…
見えます、可憐に咲いてる「ササユリ」。
上からは「そこに咲いているのに」、なかなか遠くて💦撮るのは難しいです。
ヘアピンカーブ道をぐるり下りると、
なんと鑑賞用にベンチまで設置されている憩いの場があります。
人間はネットの外から見学です、鹿などに荒らされぬためです。
よく見ると、葉っぱと同じ色した「イトトンボ」?
根笹(ネザサ)という笹の種類と「ササユリ」の葉、
ササユリは「日本特産で日本を代表するユリであり」(Wikipedia)、
「葉っぱが笹に似ている」からそう呼ばれるのです。
比べて見ていかがでしょ?
余談ですが、とても大事なこと。
この地区には「獣害対策犬」がいるのです。
出会っても「無視」ですよ! 彼らはお仕事をしているのですから。
深野の棚田の間を抜けると、近くに「神明神社」があります。
神社の横には「棚田用の水路」でしょうか、順に流れ落つる水は勢いよく、
紫陽花の間から棚田と室生の山々。
当日2024/6/16の順路としては、
「月ヶ瀬梅林の現在/みおろし茶屋」から「月ヶ瀬橋」を渡って五月川の水位の低さに驚き、
梅雨前だからか、昔の「橋」まで見えるほど。
そこから名張川沿い、川が分かれ「笠間川」沿いに、
その先「山添毛原/国史跡/毛原廃寺」、「室生下笠間/阿弥陀摩崖仏」を過ぎ、
いよいよ笠間の県道の峠道へという行程です。
過去ログにも掲載させていただいた「深野と周辺地域の歴史と文化」(再掲)です。
では、次回は月ヶ瀬からの前編です、あれ?
その後の調べで、当方が走りに行った笠間峠は、昭和の初めには整備されていた新道で、もう一つ古道の笠間峠があって、奈良県側には数軒の民家が建っていて、案内板には旅籠があって大いに賑わったと書かれている事が分かりました。
戦後の歴代の空中写真を見ても、新笠間峠には建物らしきは写っておらず、旧笠間峠の民家が茶屋をされていた可能性が高まってきました。ということは、新道ができる前の相当昔の話で、茶屋の存在を教えてくれた名張の方が、誰かから伝え聞いたのだと思います。具体的に「〇〇お●さんの茶屋」だったと聞きましたから、有名だったのは間違いないと思います。
〇〇は伏せではなく思い出せないのです。その昔、165号沿いに「榛名(はるな)」という榛原と名張に肖った店名の食事処があったのですが、検索しても峠の茶屋と同様に見つけられずで、ネットのAI技術は過去は苦手のようです。
しかも口伝え的なところがあったりして、羽根が生えたり大きくなったりいろいろあることでしょう。
だから昔の話には「諸説」がある、ということでしょうか。
伊賀上野城下町の古地図を見る(読み込みではなくあくまでも眺める程度)のが精いっぱいで
とても室生や県境名張のことまではさっぱりですので、moni5187さんのお話だけが頼りです(笑)。
moni5187様、コメントありがとうございます。