「家康危機一髪の『加太越え』?」、体験してきました。後編

2024-06-17 00:57:43 | つれづれ思うまま
2024/6/2、14:50、大杣湖到着。柘植地区市民センターを出発して約2時間。
やっと着いた大杣湖。
講師谷先生の実地検分した結果、この山の中に「古道」や「関所跡」ではないかという発見があり、
今からその「古道その2」を一緒に歩きましょう、と。
お世話係川村さんから山道のぼりの諸注意を受け、
三河からの参加者の「無事に三河まで帰るぞ!エイエイオー」の掛け声で出発。
 

では、順次「大杣湖畔」から写真でご報告です。
とても静かな湖面を眺めつつ、14:55発。
足元には「大杣湖の主と思われる鯉」さんお出迎え。
なんだか元気が出ますねぇ…
   

昔はリゾート地というか別荘地だった、その名残の建物を横目に
   
お地蔵様絵があったり、可愛い花コアジサイ、楚々と咲く。
 
足元の木を見れば、苔が「ハート」に見えたり、
呑気なことを書くのもここまで。
本格的に道なき道の山登り風ですが、
この道を何度も歩いてこられた谷さん・川村さんたちのおかげで、
木製階段急ごしらえであったり、笹などを刈ってもらってあったりで、
至れり尽くせり?の「逃避行」体験道です。
   

  
急な道にはロープもあり、少し高い所で説明を受けます。
下を覗けば「ここを落ちるわけにはいかないな💦」と、気を引き締める。
  

予定では、ここで終了のようでしたが、もう少し先まで行くと「分水嶺」とのこと。
伊賀側の水は当然大阪湾へ、分水嶺を越えたらこの沢の水は伊勢湾へ流れます。
伊賀と加太(亀山市)の境を越えるところまで行きますか?と。
ここまで来たら全員が「行きま~す、行きた~い」との返事でもう少し進むことに。
   
この谷底にある「巨石」、昔の「関所跡」だったかもしれない、、、あくまでも推測ですが、とのこと。
その「沢」を渡り、また上る…
  

 
おそらくこの辺りが「分水嶺」かと。15:25くらい着。
見上げれば朴の木」(ホオノキ)の花が咲いていました、
珍しい花を見かけて、ご褒美を戴いた気分です。
みなさん、疲れも吹っ飛ぶ緑の癒しにどっぷり。

では、下山開始15:30過ぎ。

ひたすら同じ道の往復、急峻な山道の上り下りには変わりありません💦当たり前ですが。

   

帰り道、粛々と歩き、無事に全員が戻りました。15:53着。
気配り心配りと共に案内してくださった谷さん、川村さんに感謝です。
こんなワタシでも険しい山道の往復が無事にできたこと、
足を引っ張らずに済んだこと、ほんと良かったです。
ワクワクドキドキのおさまらない「神君と同じ気持ちで加太峠を逃避行」体験記でした。
次は、白子の浜まで行きましょうツアーがあるかもしれない…とか。
これはまだ未知数の話ですが。
16:00、ほぼ時間通りに大杣湖出発、
柘植地区市民センターに戻って解散。
神君命がけの逃避行、ちょっぴり味わえた気分、生きてて良かった家康さま。
天正伊賀の乱で殲滅された伊賀、見事復活できたのは、
家康公が無事に三河までたどり着いてくれたおかげです。
(ワタシは勝手にそう思っています、個人の見解ですあしからず)

 2024/6/5付毎日新聞

 2024/6/6付中日新聞

お付き合いありがとうございました。
ではまた。

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2 コメント

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唯一の例外 (moni5187)
2024-06-17 20:52:57
とにかくお疲れさまです。このようなイベントには、実際に行って見て撮って楽しまないと、と常々感じる次第です。
今回の記事に関連して、大杣湖界隈の国土地理院の地形図を見ていますと、道路の加太越えは大杣湖の北側の国道25号の一ツ家の309の標高点あたりかと思われました。そして付近の伊賀市都市計画図には、大岡寺川(加太川の支流)の源流らしきが描かれているのに気付きました。伊賀市内の河川の全てが大阪湾に注いでいるとされる唯一の例外、を大発見(^^;)と思いましたら。Wikiの鈴鹿川の項目には、一ツ家はかつては旧鈴鹿郡関町で、1956年に分水界を越えて旧阿山郡伊賀町に編入されて、鈴鹿川の支流の加太川は伊賀市も流れている。と書かれていました。
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地図の (kuro&hana)
2024-06-17 22:35:21
読み力、さすがですね。
そこまで細かい地図は見たことがないのですが、たまたまこれを見ていてhttps://www.bunka.pref.mie.lg.jp/kaidou/walking/pdf/yamato_all.pdf
「大和街道/(3)加太8亀山市加太板屋~加太北在家)(4)一ツ家(伊賀市一ツ屋~柘植町岡鼻)」のページに「大岡寺川」など書かれているのを見つけました。
よくわかりませんが、この辺の山中の杉の葉を踏みしめ歩いていたのかと💦

しかし、昔の人って地図などはなく、道なき道は地元民に案内されない限り峠越えなんて絶対できないよねと感じたのも事実。
ロマンを感じつつ楽しめたので良かったです。
しばらく日にちが経ってからが大変でしたけど💦💦

moni5187様、「一ツ家」の複雑な歴史を垣間見ました、ありがとうございます。
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