月ヶ瀬・毛原・下笠間経由で室生深野へ。実質前編①…

2024-06-21 00:32:43 | 花や風景など
室生深野の棚田6月の風景が先になってしまいました。

ここへ行きつくまでに寄り道したところ数か所、
紫陽花を追い、睡蓮も見て、早春の梅の頃賑わっていた月ヶ瀬の今は??のドライブ紀行です。

先ずスタートは「大山田真泥の紫陽花ロード」、
これから色彩々に賑やかになっていくことと思われます、まさに梅雨の花。
真泥の「十念寺」を背景に入れたくなります、そしてその向こうは「風車」です。
  

紫陽花を見ていると、その後ろに可愛い赤い花がいっぱい咲き誇る…
初めて見たのでこれは何かいな?と撮って、googleさんにお尋ね、
  
フェイジョア」と。
≪※果実だけではなく花も食べることができます。
 白い花びらは肉厚で、苦みやえぐみなどのクセがほとんどなく、ほんのり甘くやさしい味がします。
 フェイジョアは花も実も楽しめる果樹として家庭で栽培する人も多い>そうですよ。

大山田の紫陽花はほんのプロローグで、雨をいただくとより元気に咲くような気がします。
では、白樫経由で県境を越え奈良市月ヶ瀬へ。
毎年、何の因果か車でちょちょっと行けるせいかよく伺います。
梅の咲く頃のにぎわいは十分に承知しているのですが、さて今の時期は??
梅の木々を見れば「梅の実たわわ」で、
「梅の実は採らないように!」と一本ずつ札がかけられています。
ここは「みおろし茶屋」。
梅の実はもうすぐ完熟でしょうか…
梅林を持つ農家さんは「梅の実」と格闘中と思われます。
 

ここで、ふと気がつきました、五月川の水・・・少なし💦
田んぼに水が必要な時期とはいえ、ここら辺に田んぼはなく、
梅雨前の水量調節なのかどうか、そういうことには疎いので、
ここはもう少し先に進んで「月ヶ瀬橋」辺りで様子を覗うことに。
通る車も少なかったので、橋の真ん中辺りで
  
新しく「キャンプ場」が出来ているのか、人多し。水はやはり少なし。
こちらは上流側、
  
ここで、またまた見えましたね、昔の(何代目の月ヶ瀬橋かはちょっとわかりませんが)橋の名残りか?
橋台というのかどうか、
水位が低いので昔の橋が掛けられた跡が見えているわけです…

ここまで書き起こして、ふと思い出しましたね、
moni5187さまに、教えていただいた
月ケ瀬ダム竣工50周年記念 昔の月ケ瀬写真パネル展より」の写真を。
そのページから「月ヶ瀬橋」の初代から4代目までの写真です。
 初代月瀬橋/明治29年

  二代目月瀬橋/大正時代中頃

  三代目月瀬橋/昭和11年~昭和43年

 四代目月瀬橋/昭和40年代前半

さて、どの時代の「月ヶ瀬橋」の橋台が見えたのでしょうか?

国の名勝指定第一号(Wikipediaより/月ヶ瀬梅林)
「1922年3月8日 - 史蹟名勝天然紀念物保存法により指定。内務省告示第49号。
日本政府が初めて指定した名勝の一つ」。

今回の行程の中の初めで話は脱線してしまいました💦
続きは、また改めて…


そうそう、追加写真ですが、今年の3月に月ヶ瀬梅林「みおろし茶屋」からの風景
「五月川」水量たっぷり・・・
  

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2 コメント

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二代目でしょうか (moni5187)
2024-06-21 21:19:02
空中写真で調べますと、三代目は現在の四代目の少し上流にあった事が分かりました。
三代目の橋台を撮られた方がいらして、四代目の下の五月橋側に残っているそうです。【2】、【3】の続編あり。
穴と橋とあれやらこれやら>月ヶ瀬橋クロニクル【1】(奈良市月ヶ瀬嵩~月ヶ瀬長引)
https://ameblo.jp/quicknick/entry-12721422785.html

明治の古地図※ には月ヶ瀬橋は、現在の四代目の少し下流の高山ダム側に描かれていました。
ということは、初代もしくは二代目の可能性が高いと思います。鉄道唱歌で「天下一つの梅林と」と歌われるだけあって、月ヶ瀬の絵葉書は豊富に残っていて、公共施設のライブラリーに保存されていたり、オークションサイトに出品されていたり、アンティークショップで販売されているようです。
アンテーク絵葉書専門店ポケットブックスさんで「月瀬橋」「月ヶ瀬」で、商品検索させていただきますと、沢山出てきました。もちろん絵葉書画像の転載は不可とのこと。リンクについては、特に記載されておらず以下としました。

奈良 月瀬 月瀬橋
https://www.pocketbooks-japan.com/index.php/products/detail/14049
初代のようです。

奈良 月瀬風景 月瀬橋附近の景 *傷み有り
https://www.pocketbooks-japan.com/index.php/products/detail/488206
二代目のようです。わらぶき屋根の建物から架橋位置は初代と同じのように見えて、橋脚も初代と同じのように見えます。

奈良 月ヶ瀬 橋 *傷み有り
https://www.pocketbooks-japan.com/index.php/products/detail/545243
※古地図上の元祖月ヶ瀬橋でしょうか、橋脚は写っておらず大きなアーチ橋のように見えます。

明治25年測図、明治33年発行の上野町5万分の1地図
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=001910942
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初代の橋が (kuro&hana)
2024-06-21 22:50:05
掛けられたころは、川幅もそんなに広くなかったのでしょうね、今とは多分比べ物にならないくらいかわいい橋だったのかと、
しかし当時を思うと「橋を架けることは悲願」だったと思われ、相当なお金と労力をかけて造られたものであることは想像できます。
その悲願の橋が何代か受け継がれ、やがて(ダムのおかげで)川底に沈んだかと思うと一抹の寂しさもありつつ、生活の利便性のためには致し方のないことかと思ったり、なかなか複雑な「月ヶ瀬橋」哀史のような絵を見せていただきました。

それにしても世の中には(紹介していただいたような)タカラモノがいっぱい潜んでいるものなんですね。
moni5187様の興味のあり処のおかげで知ることができて良かったです。ありがとうございます。
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