(再掲)
これは桃香野散策の帰り道ですが、もう少し季節が進むと
ここ全体がほのかに梅の香り漂い、山肌は薄桃色に染まるのだろうなぁと、
想像力が膨らみます、待ち遠しいです。
少し余談ですが、
半世紀前、母校では冬の行事として「月ケ瀬マラソン」がありました。
月ケ瀬のどこがゴールだったのか記憶に残っていないけれど 、
学校 → (仮定)現・月ケ瀬小中学校界隈まで走ったとして(当時で)約15㎞くらい?
女子もその途中まで走っていたか徒歩だったかと(ワタシはずっと歩いてた記憶)、
みんなよく頑張るなぁ …と感心していたものです。
男子は、女子の横を走り過ぎるときだけ異常に頑張っていた…と、
そんな昔話を時々聞きます 。
S47卒とS44卒のアルバムから
まるで他人事のように書きましたが、何せ運動なるもの苦手だった💦 ので
記憶から削除はされていますが、記録はこうやって残ってる…
ゴールはどこだったの?
女子は歩いてたん? 走ってたん?
こんな風に「旧月ケ瀬村」は、上野の近くで「隣村で校区内」みたいなもんで、
あくまでも「月ケ瀬!」。
買い物も上野へ来る方がうんと近いよね。
今、住所表記は「奈良市」です、なんかピンとこないのです…
では気を取り直して、【八幡神社】(奈良市月ケ瀬桃香野)
山に沿って登る、その途中に赤い鳥居が見えるので、すぐわかりました。
石段を上がるまでに子どもの遊び場のようなところに案内板。
「社叢(シャソウ)」は県の天然記念物になっており、
『標高約180~210mの急傾斜地に、社殿を囲むように発達しており、
大変保存のよい照葉樹林』とのこと。
地区の皆様のお世話の賜物、自然のたからもの。
手水舎の龍さん
「常夜燈」がなかなか立派。
拝殿でお参りして、奥に廻ります…
拝殿横から失礼します、
本殿建物は残念ながら見えなくて、その後方に「磐座」か?
巨岩磐座の下に
「石の祠」。
村と山を守る「神様」が鎮座していらっしゃるのでしょうか?
広くて綺麗な境内、「蔵」もあるので神事に使われる何かが収納されていると思われます。
鳥居傍に石碑の由緒書きがありますが、
読めないので詳しいことはわかりません、スミマセン。
おそらく「弘仁元年(810年)、嵯峨天皇」にご縁がありそう。
隣は「公民館」、その駐車場から「八幡神社」の全景。
眺めはとても素晴らしい、ここまでなら迷うことなく行けました。
一応印刷した地図を持参していたのですが、
どこまで行ったら「二つの橋」が見えるんだろうと、
そればかり気になって、地図は大して役には立たなかったのは事実。
本当は「千体摩崖仏」に会いに行きたかったのですが、
「あっ、お寺見っけ」みたいな感じで呑気に坂道を上っていきます…
ではつづく
これは桃香野散策の帰り道ですが、もう少し季節が進むと
ここ全体がほのかに梅の香り漂い、山肌は薄桃色に染まるのだろうなぁと、
想像力が膨らみます、待ち遠しいです。
少し余談ですが、
半世紀前、母校では冬の行事として「月ケ瀬マラソン」がありました。
月ケ瀬のどこがゴールだったのか記憶に残っていないけれど 、
学校 → (仮定)現・月ケ瀬小中学校界隈まで走ったとして(当時で)約15㎞くらい?
女子もその途中まで走っていたか徒歩だったかと(ワタシはずっと歩いてた記憶)、
みんなよく頑張るなぁ …と感心していたものです。
男子は、女子の横を走り過ぎるときだけ異常に頑張っていた…と、
そんな昔話を時々聞きます 。
S47卒とS44卒のアルバムから
まるで他人事のように書きましたが、何せ運動なるもの苦手だった💦 ので
記憶から削除はされていますが、記録はこうやって残ってる…
ゴールはどこだったの?
女子は歩いてたん? 走ってたん?
こんな風に「旧月ケ瀬村」は、上野の近くで「隣村で校区内」みたいなもんで、
あくまでも「月ケ瀬!」。
買い物も上野へ来る方がうんと近いよね。
今、住所表記は「奈良市」です、なんかピンとこないのです…
では気を取り直して、【八幡神社】(奈良市月ケ瀬桃香野)
山に沿って登る、その途中に赤い鳥居が見えるので、すぐわかりました。
石段を上がるまでに子どもの遊び場のようなところに案内板。
「社叢(シャソウ)」は県の天然記念物になっており、
『標高約180~210mの急傾斜地に、社殿を囲むように発達しており、
大変保存のよい照葉樹林』とのこと。
地区の皆様のお世話の賜物、自然のたからもの。
手水舎の龍さん
「常夜燈」がなかなか立派。
拝殿でお参りして、奥に廻ります…
拝殿横から失礼します、
本殿建物は残念ながら見えなくて、その後方に「磐座」か?
巨岩磐座の下に
「石の祠」。
村と山を守る「神様」が鎮座していらっしゃるのでしょうか?
広くて綺麗な境内、「蔵」もあるので神事に使われる何かが収納されていると思われます。
鳥居傍に石碑の由緒書きがありますが、
読めないので詳しいことはわかりません、スミマセン。
おそらく「弘仁元年(810年)、嵯峨天皇」にご縁がありそう。
隣は「公民館」、その駐車場から「八幡神社」の全景。
眺めはとても素晴らしい、ここまでなら迷うことなく行けました。
一応印刷した地図を持参していたのですが、
どこまで行ったら「二つの橋」が見えるんだろうと、
そればかり気になって、地図は大して役には立たなかったのは事実。
本当は「千体摩崖仏」に会いに行きたかったのですが、
「あっ、お寺見っけ」みたいな感じで呑気に坂道を上っていきます…
ではつづく
今は又、復活してるんですよね?月ヶ瀬マラソン。
でも、コロナでどうなんでしょうね。
若い子たちは、いろんな行事が中止になってかわいそうですね。小、中、高と、そのときにしか体験できないことも多いですから。
思わず半世紀前を思い起こしてました。
2学年同時出発で走ってたと同級生に言われ、
当時の学生数からいえばかなり大掛かりなマラソン大会だったと思います。
2連覇を目指す生徒もいたりして、「伝統行事」として地域内外で認知されていた「大会」だったんだろうと思います。
ほんと、こういう伝統行事は好き嫌いに関わらず、また世情に左右されず、
残っていてほしいと思いますが、どうだろうか?