都会から帰省の同級生と、
「晴れたね、今日しかないね、梅見に行こう!」と誘った、のはワタシ。
だって、「一度も行ったことがない」と言うんだもの(笑)。
今年4回行って最高のお天気だった、冬の寒さではなく陽射しポカポカ、
誘われて来る人々多し!
では、
梅の資料館前の「長引のしだれ梅」(勝手に命名です、ゴメン)
「天神風の道公園」(月瀬展望台)から
「白梅」がおしゃべりしてる風で、満開感たっぷり。
月瀬地区を急降下、龍王梅林辺りで
「龍王の滝」入口の常夜灯、苔生す自然石の姿に凄いねぇ…
湖畔から五月川にかかる「八幡橋」
少し先に行って「桃香野地区の雲景山梅林」を少し登る
梅のトンネル風の坂道を下る
「八幡橋」を渡って「ロマントピア月ヶ瀬」辺りで🚙を止め
「梅林公園」(品種園)の遠景、ほんわかピンクに染まっている…
歩いて「真福寺」でお参り、お堂が解放されていました、
最後に真福寺裏から「みおろし茶屋」へ、
月ヶ瀬観梅道の中では最高位置ではないかと思いますが…
五月川を背景の水仙、撮ってみたかったんです(笑)。
「白梅笑い 空に舞う」姿に春を見た!
ご機嫌だった二人連れ観梅、良かったねぇ、心がけも…花も。
一日多い2月ですが、多い分なぜかしら気忙しい💦
ちょっと花だよりを挟んでみました、ではまた
想い出追記(2024/3/1)
「雲景山梅林」のある桃香野地区を訪問した時(2022/2/12)、
山の上から「橋が二つ見える場所がある」と知り、
どんどん上へ上った記憶、その時の様子です。
手前が「八幡橋」(瀬戸大橋の実験橋ともいわれる)
奥が「月ヶ瀬橋」(アーチ式)
そうそう、一緒に行った友人が家族に写真を送ったら…
「秘境感満載やね」と言われたとか、
そうなんです、この大和高原に位置する五月川(名張川とも)渓谷にある観梅道
そして、この川がいずれ木津川と合流、やがて淀川となり大阪湾へ流れていきます。
その自然の営みの醍醐味をこの場所から垣間見ることができる、いい場所なんですよ。
ぜひ・・・
「晴れたね、今日しかないね、梅見に行こう!」と誘った、のはワタシ。
だって、「一度も行ったことがない」と言うんだもの(笑)。
今年4回行って最高のお天気だった、冬の寒さではなく陽射しポカポカ、
誘われて来る人々多し!
では、
梅の資料館前の「長引のしだれ梅」(勝手に命名です、ゴメン)
「天神風の道公園」(月瀬展望台)から
「白梅」がおしゃべりしてる風で、満開感たっぷり。
月瀬地区を急降下、龍王梅林辺りで
「龍王の滝」入口の常夜灯、苔生す自然石の姿に凄いねぇ…
湖畔から五月川にかかる「八幡橋」
少し先に行って「桃香野地区の雲景山梅林」を少し登る
梅のトンネル風の坂道を下る
「八幡橋」を渡って「ロマントピア月ヶ瀬」辺りで🚙を止め
「梅林公園」(品種園)の遠景、ほんわかピンクに染まっている…
歩いて「真福寺」でお参り、お堂が解放されていました、
最後に真福寺裏から「みおろし茶屋」へ、
月ヶ瀬観梅道の中では最高位置ではないかと思いますが…
五月川を背景の水仙、撮ってみたかったんです(笑)。
「白梅笑い 空に舞う」姿に春を見た!
ご機嫌だった二人連れ観梅、良かったねぇ、心がけも…花も。
一日多い2月ですが、多い分なぜかしら気忙しい💦
ちょっと花だよりを挟んでみました、ではまた
想い出追記(2024/3/1)
「雲景山梅林」のある桃香野地区を訪問した時(2022/2/12)、
山の上から「橋が二つ見える場所がある」と知り、
どんどん上へ上った記憶、その時の様子です。
手前が「八幡橋」(瀬戸大橋の実験橋ともいわれる)
奥が「月ヶ瀬橋」(アーチ式)
そうそう、一緒に行った友人が家族に写真を送ったら…
「秘境感満載やね」と言われたとか、
そうなんです、この大和高原に位置する五月川(名張川とも)渓谷にある観梅道
そして、この川がいずれ木津川と合流、やがて淀川となり大阪湾へ流れていきます。
その自然の営みの醍醐味をこの場所から垣間見ることができる、いい場所なんですよ。
ぜひ・・・
このあたり一帯を秘境として売り出すのもありかと思います。夢絃峡といういかにも秘境らしい地名もありますし。
秘境となれば、交通が不便なのはやむなしですが、月ヶ瀬中心部までは自家用車で来るにしても、その車で山の上まで行くのはほぼ無理だと考えられるので、月ヶ瀬観光協会のほうで、タイのトゥクトゥクのような三輪自動車を乗合としてそこまで走らせてもらえないでしょうかねえ。
去年、その時の事を母親が教えてくれて、月ヶ瀬行きバスは満員で膝(ひざ)の上に座らせて座って行って、
「ぼくオレンジジュース」「かあちゃんピーチジュース」と言って、2人でジュースを飲んだらしいのです。
おそらく昭和30年代末で、バスはツーマン、ジュースは瓶、名阪は工事中、ダム湖が出来る前になります。
以下、奈良県の公式サイトの昭和30年代の光景を見たはずです。まさか写っては無いと思いますが(^^;)。
斜面の舞台は「観梅床」と呼ばれ、多い日には観光バスが150台(50人乗りとして7500人)来たそうです。
奈良県立図書情報館 ITサポーターズ>奈良の今昔写真WEB
>月ケ瀬ダム竣工50周年記念 昔の月ケ瀬写真パネル展より
https://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/tukigasekannkoukyoukai.html
桃香野や月瀬地区など一本道を間違えてしんどい思いをしたことを思い出しますし、歩くのにもあの急坂を思うと、ここで生活をしていいる方々のたくましさに脱帽してしまいます。
草刈りで急斜面を刈っておられる姿を見た時、恐怖を覚えた記憶も蘇りました💦
慣れたこととはいえ常人の技ではない、と感心したものです。
dawnさん、いつもありがとうございます。
自分も幼かったころ、両親に連れられ行った光景がこの中にある気がします。
自分に子どもが出来て連れて行った光景も蘇ります。
そして、いま、この目で確かかめてみて、
やっぱり素晴らしいところだなぁと、思うと共に大変な苦労があったことも偲ばれます。
今日、同級生との集いがあって、高校生の頃、男子が月ヶ瀬(多分今でいう行政センター辺り)までマラソンをしていたことも思い出し、苦労話に話を咲かせてきたところです。
moni5187様、お宝映像感謝いたします。
永久保存版にしました✋
調べてみると、奈良県内では名張川を五月川とも呼ぶらしいです。京都府内に入ると、また名張川に戻るようなので、月ヶ瀬が伊賀色を消していきたいという意思表示に感じられ、少し残念な思いがしました。
上野高校の月ヶ瀬マラソンもなくなりましたし、伊賀城和定住自立圏に月ヶ瀬は入っていませんし、同一圏域という意識は徐々に変わってきているようです。行政から離れると、買い物には月ヶ瀬から伊賀市へ来てもらっているようですが。
田中善助さんの功績も、伊賀側と月ヶ瀬側とでは、その評価に温度差があるのでしょうね。
人間同士の付き合いとしては何ら変わりがないと思っていますがどうなんでしょうねぇ。
家人が生まれ育った花垣地区では月ヶ瀬界隈に親戚は多いとのこと、親戚づきあいも「今は昔」かもしれませんが、人情は昔のままと思いたいですね。
dawnさま、ありがとうございます。