午後(2023/2/25)に「阿波地区市民センター」で説明会が開催されるので、
その前に「新大仏寺」前の『大山田観光協会/郷土資料館」へ予習に。
そこで、パンフレットなどを仕入れ、センターへ向かいます。
センターのあるところは「旧大山田東小学校」跡地。
校舎や石碑など当時のままでしょうか残っています。
大山田でも、とくに阿波地区には「中世城館」が多そうですが…
講師の寺山光三先生は「伊賀中世城郭研究会」で長く伊賀の中世城館を発掘調査等されています。
現地へ出向き地を這うように調べられているので、お話に惹きつけられます。
講話を聞いてから近くの城跡・館跡など3か所を伺いますが、
現地研修で一番大事なこと!
お約束です
お話を聞いていたお部屋は通風はあったものの、まだましだった…
外に出ると途端に冷たい北風にさらされ、まさかの雪も飛ぶ。
目指せ城跡!
先生のお話は楽し(方向音痴なワタシは山の中に入るとさっぱり💦)、
迷わず一人にならずに着いていくのがワタシの鉄則。
さすが伊賀のはずれ、山の上のこんな建物が近くに見えます…
そして『重瀬氏城跡』へ。
獣害対策等の扉の開閉もキッチリ確かめ、最後の日とは閉める!
そして山に分け入る、ここは以前「牧場」だったとか、牧草地もあったらしい。
その名残の井戸などを横目に小高い山を登ります。
みんなと一緒だから励まし合いつつ、降りる時の方が怖そうだね…とかなんとか(笑)。
上ること10数分、着きましたよ~~
【重瀬氏城跡】(ジュウセシと読みます)(大山田猿野マシノ)
ここはいかにも「城跡」らしく、しっかりと遺構など残っていると
素人ながらにも感じました。
寺岡先生のお話に納得しながらも、(ワタシニ)細かな説明などできないので、
いかにも「中世城館跡」らしいという雰囲気を見てください~~
ここは標高325mか、
「土塁」「虎口」などしっかり残っています。
「主郭」と呼ばれる部分や土塁に上って見てみたり、
天正伊賀の乱で戦ったであろう土豪や農民たちに思いを馳せます。
*強大な領主のいない伊賀では「土豪」が集落を結束し(=惣国一揆)、
織田信長に対抗するため俄か作りの山城を築きはしたが時代の流れには逆らえず、
山河は灰燼(カイジン)と化しました。
*「阿波地区」は『伊勢』からの入り口になるところ。*(当日配布資料より)
※参考:山城遺跡名称図
「街道いまむかし」(読売新聞社平成元年版)より
*「知略 郷士、農民も奮戦」第一次天正伊賀の乱
*「信長が指揮 再び侵攻」第二次天正伊賀の乱
寺岡先生のお話の中で
「中世城跡イコール忍者ではないですからね」と。
楽しいお話ありがとうございました、
関係者の皆様にも道案内などお世話になりました。
今日(2/26)もどこかの山城跡へ・・・
ではまた
2023/3/3追記
中日記事より
その前に「新大仏寺」前の『大山田観光協会/郷土資料館」へ予習に。
そこで、パンフレットなどを仕入れ、センターへ向かいます。
センターのあるところは「旧大山田東小学校」跡地。
校舎や石碑など当時のままでしょうか残っています。
大山田でも、とくに阿波地区には「中世城館」が多そうですが…
講師の寺山光三先生は「伊賀中世城郭研究会」で長く伊賀の中世城館を発掘調査等されています。
現地へ出向き地を這うように調べられているので、お話に惹きつけられます。
講話を聞いてから近くの城跡・館跡など3か所を伺いますが、
現地研修で一番大事なこと!
お約束です
お話を聞いていたお部屋は通風はあったものの、まだましだった…
外に出ると途端に冷たい北風にさらされ、まさかの雪も飛ぶ。
目指せ城跡!
先生のお話は楽し(方向音痴なワタシは山の中に入るとさっぱり💦)、
迷わず一人にならずに着いていくのがワタシの鉄則。
さすが伊賀のはずれ、山の上のこんな建物が近くに見えます…
そして『重瀬氏城跡』へ。
獣害対策等の扉の開閉もキッチリ確かめ、最後の日とは閉める!
そして山に分け入る、ここは以前「牧場」だったとか、牧草地もあったらしい。
その名残の井戸などを横目に小高い山を登ります。
みんなと一緒だから励まし合いつつ、降りる時の方が怖そうだね…とかなんとか(笑)。
上ること10数分、着きましたよ~~
【重瀬氏城跡】(ジュウセシと読みます)(大山田猿野マシノ)
ここはいかにも「城跡」らしく、しっかりと遺構など残っていると
素人ながらにも感じました。
寺岡先生のお話に納得しながらも、(ワタシニ)細かな説明などできないので、
いかにも「中世城館跡」らしいという雰囲気を見てください~~
ここは標高325mか、
「土塁」「虎口」などしっかり残っています。
「主郭」と呼ばれる部分や土塁に上って見てみたり、
天正伊賀の乱で戦ったであろう土豪や農民たちに思いを馳せます。
*強大な領主のいない伊賀では「土豪」が集落を結束し(=惣国一揆)、
織田信長に対抗するため俄か作りの山城を築きはしたが時代の流れには逆らえず、
山河は灰燼(カイジン)と化しました。
*「阿波地区」は『伊勢』からの入り口になるところ。*(当日配布資料より)
※参考:山城遺跡名称図
「街道いまむかし」(読売新聞社平成元年版)より
*「知略 郷士、農民も奮戦」第一次天正伊賀の乱
*「信長が指揮 再び侵攻」第二次天正伊賀の乱
寺岡先生のお話の中で
「中世城跡イコール忍者ではないですからね」と。
楽しいお話ありがとうございました、
関係者の皆様にも道案内などお世話になりました。
今日(2/26)もどこかの山城跡へ・・・
ではまた
2023/3/3追記
中日記事より
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