再掲「極楽寺仁王門」、表から
「仁王門」境内側から、蝋梅を添えて、大山田の冬の田園を。
この景色を見ているだけで、目が になってきます…「春よ来い!」。
東京在住大山田出身の同級生に、何か資料があったら教えて…と
伊賀市合併後にも拘らず、「大山田LOVE(愛)」炸裂の冊子が編纂されており、
その一部を送ってもらいました。
『大山田百選』より【極楽寺・大日殿】
≪古くから甲野の大日さんと呼ばれ、牛畜安穏で伊賀伊勢にまで名の聞こえた名刹、
極楽寺の本尊金胎両部大日如来は秘仏で60年毎に開帳される。朱塗りの仁王門がある。
門の両脇には、密迹(ミッシャク)金剛・那羅延(ナラエン)金剛の仁王が祀られ
内側に四天王がある。 村内に残る木造建築の最古の一つである。
この寺については、縁起によると後醍醐天皇の建武年間 (1334~ 36)
当国の武将平康綱が建てた。天正の乱 (1579) で伽藍(がらん) が消失した。
仏像は無事で約100年後に再興された。
現本堂は再興時のものであるが、昭和44年銅板葺に改修した。
千木(ちぎ)がのっており、神仏習合の珍しい形式。
本尊は青い牛に乗って降りて来たという。
本堂や本尊、さらに鐘と山門の四天像は旧村指定文化財。≫
これは宝物です、見たいです、でも格子の中なのです…
「展望台」もさることながら、貴重な古の仏像の数々…
新しい仁王門におられる「仁王さん」(金剛力士像)です。
(左)密迹金剛像、(右)那羅延金剛像。
※正面は硝子張りなので写真は撮り辛い、横の格子の隙間から失礼しました。
≪金剛力士像は寺院内に仏敵が侵入することを防ぐと言われ、仏教の男性の神様。
金剛杵(コンゴウシャク)を手に持ち、上半身が裸で、筋骨隆々のたくましい姿。
那羅延金剛は怒りの表情をしており、
密迹金剛は怒りを内面に秘めた表情をしています。≫
お寺を守るガードマンです、カッコイイです
同級生曰く、幼いころ悪さをしたり親の言うことを聞かなかったら、
『だいにっつぁんに電話して、仁王さんに来てもらうで』と、言われたとか…
わかりますよ、そう言いたくなる親の気持ち(笑)…
言われてもへっちゃらな子もいただろうねぇ。
では、裏に廻って「四天王立像」です。
※表と同じく正面は硝子張り。
ジ・ゾウ・コウ・タの順に…
名前が貼ってあります
「那羅延金剛」の裏側
「持国天」さん、「増長天」さん
「密迹金剛」の裏側
「広目天」さん、「多聞天」さん
足元に「邪鬼」が踏まれていますが…
≪邪鬼は、元々仏法に敵対する悪の存在でしたが、
釈迦の教えに帰依して仏法を守る守護神となった存在です。
四天王の配下とされているのですが、四天王像ではこれらを踏みつけ、
悪を成敗する迫力を感じさせる部分となっています。
ちなみに、この邪気はもう悪い存在ではありませんので、
中には踏まれて不適に笑っているように見える邪鬼もあります。
四天王像を見るときはぜひ足元にも注目してみてください。≫とのこと。
※「四天王とは」から
かなり高いところにいらっしゃるし、隙間は細い、
よって全体像はなかなか見にくいものです。
(ご興味のある方は)ご自身で実際に拝まれるのが、
いいかもしれません、是非
さて、もう一つ「伊賀の文化財」である「梵鐘」があります、
最後にもう一度「本堂」です
地域の宝物、
すなわち、伊賀のたからものだと思います。
帰り際、少し離れた所から見てみると
山の麓でこうやっていつも見守ってくれている存在なのですね。
「大山田百選後記」(同級生提供による)
言葉を借りて…
「大山田地区の人々より、それぞれの地区のこだわりの(歴史と自然)の
個所や物や行事等の投稿を基礎にして綴りました。(中略)
それぞれの地区の伝承も多く、歴史資料の裏付けられない項目もありますが、
歴史は闇の部分も多いので、それはそれとして
地区の伝説として語りつがれるべきだと思います。(中略)
大山田地区の人々の郷土愛着の証しであり、
後世に 語り継ぐ物語りの本であってほしいと願っていますが、
何よりもこの冊子が大山田地区の観光情報を発信する媒体として、
地区外の人々に一人でも多く読まれることを祈ります。」
大山田へいらっしゃ~い、ですね。
ではまた、明日から「玉城町田丸城本丸跡」に戻ります。
「仁王門」境内側から、蝋梅を添えて、大山田の冬の田園を。
この景色を見ているだけで、目が になってきます…「春よ来い!」。
東京在住大山田出身の同級生に、何か資料があったら教えて…と
伊賀市合併後にも拘らず、「大山田LOVE(愛)」炸裂の冊子が編纂されており、
その一部を送ってもらいました。
『大山田百選』より【極楽寺・大日殿】
≪古くから甲野の大日さんと呼ばれ、牛畜安穏で伊賀伊勢にまで名の聞こえた名刹、
極楽寺の本尊金胎両部大日如来は秘仏で60年毎に開帳される。朱塗りの仁王門がある。
門の両脇には、密迹(ミッシャク)金剛・那羅延(ナラエン)金剛の仁王が祀られ
内側に四天王がある。 村内に残る木造建築の最古の一つである。
この寺については、縁起によると後醍醐天皇の建武年間 (1334~ 36)
当国の武将平康綱が建てた。天正の乱 (1579) で伽藍(がらん) が消失した。
仏像は無事で約100年後に再興された。
現本堂は再興時のものであるが、昭和44年銅板葺に改修した。
千木(ちぎ)がのっており、神仏習合の珍しい形式。
本尊は青い牛に乗って降りて来たという。
本堂や本尊、さらに鐘と山門の四天像は旧村指定文化財。≫
これは宝物です、見たいです、でも格子の中なのです…
「展望台」もさることながら、貴重な古の仏像の数々…
新しい仁王門におられる「仁王さん」(金剛力士像)です。
(左)密迹金剛像、(右)那羅延金剛像。
※正面は硝子張りなので写真は撮り辛い、横の格子の隙間から失礼しました。
≪金剛力士像は寺院内に仏敵が侵入することを防ぐと言われ、仏教の男性の神様。
金剛杵(コンゴウシャク)を手に持ち、上半身が裸で、筋骨隆々のたくましい姿。
那羅延金剛は怒りの表情をしており、
密迹金剛は怒りを内面に秘めた表情をしています。≫
お寺を守るガードマンです、カッコイイです
同級生曰く、幼いころ悪さをしたり親の言うことを聞かなかったら、
『だいにっつぁんに電話して、仁王さんに来てもらうで』と、言われたとか…
わかりますよ、そう言いたくなる親の気持ち(笑)…
言われてもへっちゃらな子もいただろうねぇ。
では、裏に廻って「四天王立像」です。
※表と同じく正面は硝子張り。
ジ・ゾウ・コウ・タの順に…
名前が貼ってあります
「那羅延金剛」の裏側
「持国天」さん、「増長天」さん
「密迹金剛」の裏側
「広目天」さん、「多聞天」さん
足元に「邪鬼」が踏まれていますが…
≪邪鬼は、元々仏法に敵対する悪の存在でしたが、
釈迦の教えに帰依して仏法を守る守護神となった存在です。
四天王の配下とされているのですが、四天王像ではこれらを踏みつけ、
悪を成敗する迫力を感じさせる部分となっています。
ちなみに、この邪気はもう悪い存在ではありませんので、
中には踏まれて不適に笑っているように見える邪鬼もあります。
四天王像を見るときはぜひ足元にも注目してみてください。≫とのこと。
※「四天王とは」から
かなり高いところにいらっしゃるし、隙間は細い、
よって全体像はなかなか見にくいものです。
(ご興味のある方は)ご自身で実際に拝まれるのが、
いいかもしれません、是非
さて、もう一つ「伊賀の文化財」である「梵鐘」があります、
最後にもう一度「本堂」です
地域の宝物、
すなわち、伊賀のたからものだと思います。
帰り際、少し離れた所から見てみると
山の麓でこうやっていつも見守ってくれている存在なのですね。
「大山田百選後記」(同級生提供による)
言葉を借りて…
「大山田地区の人々より、それぞれの地区のこだわりの(歴史と自然)の
個所や物や行事等の投稿を基礎にして綴りました。(中略)
それぞれの地区の伝承も多く、歴史資料の裏付けられない項目もありますが、
歴史は闇の部分も多いので、それはそれとして
地区の伝説として語りつがれるべきだと思います。(中略)
大山田地区の人々の郷土愛着の証しであり、
後世に 語り継ぐ物語りの本であってほしいと願っていますが、
何よりもこの冊子が大山田地区の観光情報を発信する媒体として、
地区外の人々に一人でも多く読まれることを祈ります。」
大山田へいらっしゃ~い、ですね。
ではまた、明日から「玉城町田丸城本丸跡」に戻ります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます