「田丸城跡」(玉城町)、三重の城郭巡り番外編③ いよいよ「本丸跡」へ

2022-02-06 17:13:57 | 三重の城郭めぐり
本丸虎口」から登城です。
 (再掲)
ライトアップ用(仮想)「天守閣」ですが、
何百年前もきっとこんな感じだったのかと、
想像力をフル回転させるのは楽しいことです。
いろんな方角から見てみました…
  
山茶花と天守、冬の青空に映える天守、いい感じです(笑)。
(ライトアップ期間が終わったので、ボチボチ解体準備に入っているかもしれませんが…)

ここで「田丸城史」をパンフレットから抜粋、


1336 延元 1 北畠親房顕信 玉丸山に南朝義軍たてこもる
(中略)
1616 元和 2 藤堂高虎代官支配 ( →伊賀とのご縁も感じます)
1619 元和 5 久野丹波守宗成 紀州藩領となり家老久野氏城主
1649 慶庵 2 久野氏二代宗晴 正月13日雨風で天守崩落
1833 天保 4 / 2月 城内鉄砲場始
1843 天保14 /9月 火薬製法始
1869 明治 2 / 6月 田丸城は紀州藩に返上
1953 昭和28 三重県史跡に指定
1336年・延元元年に北畠氏が築城して685年』(2021年時)という「幟」があちこちに立っており、
中世の古城」と言われる由縁かなと思います。

現場写真に戻りまして、
先客がおられたので、皆さんが下りられたあとゆっくりと
東西南北の景色を独り占め!
天守跡」はここから上ります。


この「田丸城跡」史跡の中では一番高いところ、見晴らしはこんなん
  
東方面玉城中学校の遥か彼方に伊勢湾

  
西方面の山並み(山の名前は後で…)、手前△に見えるのは石垣の隅石!
足元近くにあって、そこから撮ってます。
滅茶苦茶高いわけではないので比較的安心して見ることが出来ます(笑)、
やっぱり伊賀上野城の「高石垣」を見慣れているので、ここは大丈夫です…
 
ほぼ南方面二の丸跡」の「村山龍平歌碑
どこを見ても見晴らしは抜群!
やっぱりこういう高台にお城は造るもの、敵は丸見え状態ということでしょうか。
進入されても「桝形虎口」で上から攻撃!

さて、「天守跡」を下り「本丸跡」説明版
見晴らしポイント/北西方面
  

見晴らしポイント/南西方面
  

南側の「櫓跡」から、下の遊歩道は桜並木です、
春が楽しみなところですが…
遥か彼方の山並みは伊賀のそれより厳しいかもしれませんね。
 

「天守」は南向き、北側は「北の丸跡」の木々で覆われ遠くは見えませんが、
訪問した日(2022/1/31)の「本丸跡」の景色がコレ
   
桜が待ち遠しいけど、晩冬のハモクレン蕾と青空と天守、
ハクモクレンの花が咲くとまた雰囲気が変わって見えることでしょう

次回は「二の丸跡」の風景と「外堀」を歩きます、
ではまた

付録:
伊賀市某所から輝く夕日 を見ました(2/4のこと)。
これはきっと玉城町からも見えたのではないかと…??

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