(徳居町)廣禅寺さんで黄色い風車…

2021-06-21 12:30:52 | 神社仏閣など
廣禅寺】(コウゼンジ・徳居町)

 手水舎の龍さん、お洒落で可愛い

ふと、立ち寄らせていただき(6/18のこと)境内の様子に

  
黄色いかざぐるま、三角形に並んでいたのですが、
見る方向によって一直線だったり…悩みながら撮ってました

幸せの黄色いハンカチ、ならぬ「かざぐるま」
なんか、シアワセな気持ちいっぱいでした…

追記
昨日(6/21)、廣禅寺さんのblogを読んでいて
「6月のご朱印」が欲しくなって、再び訪れた今日(6/22)
「幸せの黄色い風車」が増えてました(笑)、勝手命名なのであしからず…
 どうだっ、三角形に見えるかな??

 近くに住んでいながら「初物」です、
こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、直筆は嬉しいのですよ、はい。
本堂の中も説明していただき、見学もさせていただきました(2日にかけて)。

感謝・合掌

追記2
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊賀之忍者衆:羅威堂公演【伊賀に吹く風】 by 青山ホール/8/22(日)

2021-06-20 11:55:08 | つれづれ思うまま
むらいさんちで出会った彼女、
実は息子の同級生でなかなか頑張り屋で美形で、
ずっと昔、阿修羅でも修行し、演劇修行
(書けば長くなるので古い記事をリンクしました、お読みください
んなわけで、何かと気になる存在だし、応援もしたくなる。

ということで 
 チラシ表

 チラシ裏
高齢者には若干読みヅライかもしれない、ので(笑)、
メモ書きを添えます~~

羅威堂】(ライドウ)って?(公式Twitterより
≪『威』風『堂』々と「忍び」を国内外へ発信する、
伊賀忍者特殊軍団『阿修羅』で修行し、技・殺陣・話術を後世に伝承して参ります≫とのこと。

令和3年8月22日(日)
①10:30開場 11:00開演
②16:30開場 17:00開演
舞台【伊賀に吹く風】
第一部 奏手候ライブ
第二部 紅桜剣舞会パフォーマンス
第三部 伊賀に吹く風
  三部構成です。

収容定員400名の青山ホールですが50%の200名収容で開催致します。
【入場料】
前売 1500円
当日 2000円

チケット販売開始は6月27日~ 

【プレイガイド】
伊賀市文化会館 0595-24-7015
青山ホール 0595-52-1109
あやま文化センター 0595-43-1125
ぶんとwebチケットサービス http://bunto.com

 

(写真は若干明るめに補正し、ポスターは連張りです(笑))、
ではまた
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川上ダム管理棟に最新式「避雷針」、雷を落とさない!

2021-06-19 11:00:14 | ダム(おもに川上ダム)
水資源機構:川上ダムのTwitter を見て、
完成品を見たくなった…
好奇心で走るワタシ(2021/6/17)

  穏やかに工事は進んでる感じ
天端といっても長いので素人撮影では一つになりません
なので、単純につなげただけですが…(googleさんのパノラマ作成に期待!)
 時々、ここを歩く夢を見る

川上ダムHP:☟カレンダーより完成予想図

向こうに見える階段、さて何段?
約20個くらいのブロックがあって、そこに各11段くらいの階段かなぁ??
現在進行中なので最終的には何段になるのか楽しみに待ちます……
(一般人が使う階段ではないと思いますが、怖いもの見たさ もある(笑)。)

   管理棟を見ると確かに円型の何かが

twitter動画から拝借すると
  この「最新型避雷針」は、

 
従来は「雷を落として守る」「雷を落とさない」(落雷そのものを抑制する)
=「建物を雷から守るという最新型だそうです!

難しいことはわかりませんが、雷は怖い!ということはわかる、
ので、技術革新もドンドン進んでるみたい

帰り道は、比土~上林~市部辺りを通り
 垂園森を遠くに見て

そうそう、久々に??森林公園をグルっと歩いて
  踊るキンシバイとコテージとシンボルツリー

 細い葉っぱの先っちょにとまるハッチョウトンボに面会

 菩薩池、映った青空が綺麗だった…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西田原「弥勒寺」の紫陽花満開!

2021-06-18 11:01:55 | 花や風景など
前回訪問は6月2日
今日(6/15)、上ノ庄ナフコに買い物に行き、
そうだ、も一度会いたい!と思い立つ(笑)。

あれから2週間、咲き誇る紫陽花たちデス。
見頃時期なので「管理料として200円」を入り口でチャリンと投入。
 (撮影2018/6/15のもの)
これは「鑑賞者のお礼の気持ち」でもあります。
 お出迎えのかかし人形(笑)

丁度、ご住職さんかな?紫陽花の手入れをされており、
「2週間前にお邪魔しましたけど、綺麗に咲き揃いましたねぇ」
「紫陽花も雨が欲しいと言うてますわ、
やっぱりこの花はね、雨が似合うんですよ」
「そうですね、お花のためには雨降ってほしいですね、
水やりのお世話も大変やわぁ」とかなんとか…
 花桶に

 すごくまぶしそうな小さな紫陽花

   山肌を順に登って行く感じです

  紫陽花、陰と陽…

  色のバリエーションは豊富です

 紫陽花と一緒に…

満足まんぞく、もう少し雨を望みます、紫陽花のために
(大雨ハイランヨ シトシト雨ガ イイナ
ではまた


追記
 (中日新聞2021/6/22付)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山田真泥の紫陽花ロード その2 &「十念寺・与四郎地蔵」

2021-06-17 00:27:30 | 花や風景など
前回では、
話が「googleへの要望」へ脱線しましたが、お話相手のオジサンも
「わざわざ紫陽花を見に来てくれたのか?」と…
「何度か通ってていつ咲き出すかと、とても気になってたんです、
草刈りもしていただいて嬉しいです…」
なんてお話をしておりました、畑にいっぱい花を育てておられる素敵なオジサンでした、
(ワタシガ オジサン トイウノモ ナンナンダケドね)
近くを通ることがあれば、是非一度どうぞ~
ピンク系はまだまだこれから咲くと思いますが…
  

 
丁度「麦秋刈取作業中」、最後の麦一筋と紫陽花です。

オジサンいわく、もひとつ困ったことは、
「せっかく大きく育った紫陽花やけど、この頃元気がないなぁと思って
土を掘ってみると、ミミズがいっぱいいて、それをモグラがどんどん食べるから
紫陽花の根っこ辺りは”穴だらけ”で、困ったもんなんやで」とのこと、
ミミズが多いことは土壌がいいはずなのに、、、
モグラが悪さをするから大変なんだぁ

ここでもやはり大なり小なりの獣害対策が必要なんですね、
「コラッ!モグラめ」ってワタシが怒ってもどうしようもないことやけど…

さて、
麦畑と田んぼの向こうに見える建物は「十念寺」(ジュウネンジ)というお寺です。
  
水路と生き生きしてる田んぼと紫陽花と「十念寺」&梅雨晴れの空

さぁ気になる「曹洞宗 上品山 十念寺
この紫陽花ロードから東へ少し進みます、
田園風景の中にあるので迷わず行けます。
  山門と本堂
境内に入り、左奥の方にお地蔵さん(顔が彫られていない なんで?)
 
調べますと「与四郎地蔵」と言い、ちょっと悲しいお話があるそう。
知人から「大山田村史」に載ってるよと教えられ…(あくまでも「民話」です)
『十念寺の境内西側、松の木の根本に「つんぽ与四郎地蔵」と呼ば れるお地蔵さんがある。
1607年頃、 真泥と広瀬の領地争いで耳の不自由な与四郎が命を奪われたという、
悲しい物語がある地蔵である。
またこの物語に関係した遺跡として、三谷 (広瀬)の集落の西端から
急斜面を登った竹やぶの中に、丈40センチほどの地蔵さんがある。』 そうな。

写メで送られてきた「与四郎地蔵」のお話を google さんがテキストにしてくれました、、、(トテモ ベンリ)


では、次回「西田原・弥勒寺の紫陽花part2」です、
見事満開!咲き誇る紫陽花を~~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「猪田神社(下郡)」から大山田「真泥の紫陽花ロード」へ、その1

2021-06-16 10:55:38 | 花や風景など
先日(6/10)、下郡「猪田神社」の紫陽花のご機嫌伺いに行きました…
もちろん、お参りもして、朱塗りの本殿もみて、
  

依那古史跡「さぎの杜」も立ち止まってスマホに納め(初めてジックリみたので(笑))、
   もみじタネコプター見えるかな?

『前方の杜は猪田神社社伝に言う「鷺の杜」である
「三国地誌」には「延暦三年 (七八四) 白鷺空中ヲ翔り
白羽ノ矢ヲクハヘテ松ノ樹上ニ止ル時二
其ノ矢光ヲ放チ 今ノ社地二止ル 其ノ矢ヲミレパ
住吉神ト銘ス 夫ヨリシテ 此地ニ此神ヲ祀り 古山、
沖、市部、依那具、 猪田、郡等ノ十七郷共二祭祀二預ル
其ノ鷺ノ止リタル所ヲ 鷺ノ社トイウ 今 尚アリ」
として「鷺の杜」の縁起が書かれている
猪田神社に祀る住吉三神は 摂州の住吉大社より
勧請されたものだが その時の慶事が 住吉の神が
愛したとされる白鷺によって神秘に修飾されて
美しく 後世に伝えられたものである
 平成十九年十二月吉日
  延喜式内 諸田神社
  依那古地区住民自治協議会
  依那古老人クラブ 白寿会 』

そして、「猪田神社」横の石段辺りに「紫陽花」咲く
   
梅雨の中休みが長いおかげで紫陽花の姿、愛でられました(笑)。
ちょっと、雨が欲しいと言ってる気もしますけど…

そして、
ちょっと所用(ササユリの里下見(笑)、投稿済み)もあったので
下郡~比自岐~喰代~出後~広瀬ルートの伊賀コリドールで行きました。
その帰り道、
記憶の中に微かに思い起こすことがあって、広瀬からそのまま
南側の山沿いの道を走り、気づけばそこは「真泥(ミドロ)地区」。
ここら辺り google map の更新がされていないこともあって、
2012年撮影当時の姿を見ることが出来ます、
 こちら2012年12月
古いままの風景であることは地元の方も知っておられ、
途中出会った野良仕事中のオジサンが、
「あれは古過ぎる!」と笑っておられたので、
「昔と今じゃ風景変わってるから、も一度撮影しに来てほしいですよねぇ」とワタシ、
心の中で google さんに要望!!
いつもお世話になってる google さんも世界中更新するのは大変だわね
 こちら2021年6月、麦刈り取り、最後の一筋
現地にて原風景確認済みなので、こうやって比較するのも面白い、
10年ほどの間に、紫陽花ロードになりましたよ…

では、長くなりそうなので一旦ここで終了。

2021/6/23 追記
知人FBより「猪田神社・下郡」の花手水
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山田「ササユリの里」、楚々と咲く…

2021-06-15 14:54:53 | 花や風景など
 楚々と一輪

何気に見ていた6/10付けの朝刊記事で大山田広瀬地区にて
「ササユリの群生」が見られるとのこと。
多分そうだったんではないかと思う子どもの頃の記憶では、
父の田舎へ行くたびに、そこここの山の麓で見たような…
それが普通のヤマユリだったのかササユリだったかは、今となってはわかりません

さて、その記事を読んで地区の方々の苦労の賜物にエールを送りたく、
見に行こうと…
 (中日新聞伊賀版より)
但し、「広瀬」まで行きながら道がわからなくて一度目(6/10)は断念
 
広瀬の入り口辺りの小公園前の案内板とパノラマプラン(ちょっと古いかな
 廣徳(禅)寺
お昼時だったので、外にいる人もおらず、このままではずっと行けずに後悔してしまいそう…
思い直して昨日(6/14)、
ササユリの管理は地元「自治協」とのことで、「布引地区市民センター」へ出向き尋ねることに、
センターでは「地図」も用意してあり、とても親切に経路を説明していただき、
「ササユリの里」の案内板も各所にあるとのこと、これはとても心強い
普通車なら通れるし、近くまで乗り入れできるので気を付けて~と送り出していただきました(笑)。

オレンジ色のが案内板)

さぁ、ワタシが変わってご案内いたしましょう~~ナンチャッテ エラソウニネ
布引地区市民センターから戻ること数分「広瀬バス停」(但し行政🚌デス、三重交通は通っていないとのこと)
 左折、狭い!
でも普通車OKです。ともかく生活道路なので要注意
あとは順に案内板、ここで悩みそう!というところにあるので助かります(笑)
  いかにも急坂です
山に向かっていく感じ
 車の中から最後の案内板、左折
奥まで乗り付けても車のターンはできるので大丈夫です。
さぁ、着きましたよ、見上げます、すぐに「獣害対策用の柵」です!
「柵」ではなく、【ササユリ】が「檻」に守られているように見えたワタシです。
シカさんは、ユリの根っこ(ユリ根)が大好きなので、保護のために致し方のない「策」ですね。
    手作りの階段を上ります
足元注意デス。
歩きやすいように、溝などに落っこちないように最善を尽くしてもらってます。有難い。
そして、見つけた冒頭の「ササユリ」、ほんとに一番最初に見つけたのです。
いっぱい咲いている!ということではなく、チラホラ あちこちで 数輪ずつ みたいな感じです。
  檻の中のササユリ、
写真は撮りにくいので、ワタシの下手な写真より現地で是非!とおススメしたいところですが、
初めての方は「勇気」がいるかも、デス。

   
チラホラ見えたササユリですが、ほんとに大切にされているし、
人間の手を入れてあげないと、いずれ絶滅しちゃうんじゃないかと。
ささやかに見せていただくことで、地元の人の「大変やけど頑張って残そう」という気力に
つながっているかもしれません。その証拠に、ここへ来る道すがら
   
綺麗な花菖蒲が迎えてくれ、
そして豊かな田園風景に見送られます
 

【ササユリの里】
『ようこそササユリの里へ この付近のささゆりは
地域のササユリ会の皆さんが長い間丹精込めて
手入れをしつづけてきたものです。 花が咲くのに
7年と大変月日がかかります。 昔は山に上がれば
沢山見かけられたのですが、今では大変貴重な花
となっています。
どうか採ったり、 持ち帰ったりしないでください。
伊賀市の指定の花 ササユリをゆっくりご覧下さい。
      布引住民自治協議会 環境保全部会』

以上
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊賀の「自然災害伝承碑」その3、小田:平井神社「避水徒民碑」(ヒスイシミンノヒ)へ

2021-06-14 00:39:33 | 伊賀自然災害伝承地
   
「平井天神宮」と「平井神社」二つの鳥居、
そしてお出迎えのサツキ(珍しい八重っぽいのも咲いています)。
その鳥居と鳥居の間に可愛い花がいっぱいの嬉しい「花手水」
  心洗われる手水舎です

(今回は寄るところが多く🚙で行きましたので、
駐車場は平井神社の裏手、「ひかり保育園」横の駐車場に止めさせていただく、
そこから、ちょこちょこッと歩くと神社の横に出ます、
神社の案内もありますので、ぜひどうぞ…)

一旦、表に回って鳥居から進んで上の写真、
そして、石段を上るその途中左側に
 【避水徒民の碑】(ヒスイシミンノヒ)はあります。

彫られた文字は読めないので、この碑の横に解説碑がたっています、
そちらを読むと、水に悩まされ続けた人々の歴史が刻まれています…


『わが小田地区は、伊賀の北西部で長田川と柘植 服部川が
合流する位置にある
ため、古くから水による被害に
悩まされ続けてきた。
 安政地震により地盤沈下してからは、さらに河川の氾濫
による水害が度重なり
、ついに明治三年(一八七〇)の
午年の水害で多くの田畑が流失、水死者五人、潰家八五戸
という大被害を受けた。
 この時 居住地をそっくり高台に移す計画がなされ
移居世話係となった村田順造氏の卓越した指導のもと
地区民は一致協力して同六年四月より工事をはじめ、
同十年十月に完了した。
 この遊水移居(ヒスイイキョ)事業を成し遂げることに努力した人々の
功績を後世に残すため、同十二年二月にこの碑が建てられた。』 表碑

『明治十二年二月馬苦労町※地内に建立
 大正十年五月 平井神社境内に移築
 平成十年十二月現在地に修復移築
          小田町自治会
      施工 株式会社石の中原』 裏側

※馬苦労町(バクロウチョウ)=現在の鍵屋の辻辺りといわれる
参考資料(リンクしています)

その「鍵屋の辻」にある浸水の記録 
 撮ってきました…
昭和時代の記録ですが、地震による地盤沈下を起こした所に、
度重なる浸水、、、
現在は「遊水池」もでき、来年度には「川上ダム」もできます、
二度と怖い目に合わないことを願うばかりです

「芭蕉野分して 盥に雨を 聞く夜かな」  芭蕉
※台風の風が激しく庭の芭蕉の葉を吹き荒らしている夜、雨が打ちつけている。
家の中では雨漏りがしていて盥(たらい)に落ちる雨の音を聞く、そんな夜であるなあ※

芭蕉は風流を詠んでいますが、
伊賀では野分(=台風)はとても恐ろしいものです、
それを忘れないための「自然災害伝承碑」かもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊賀の「自然災害伝承碑」その2、島ケ原:正月堂・野間:慶明寺(ノマケイミョウジ)へ

2021-06-13 09:41:09 | 伊賀自然災害伝承地
せっかく登録された国土地理院の「自然災害伝承碑(伊賀版)」なので、
6/12の午後、確認のため走りました(笑)🚙

島ケ原・正月堂前【山津波災害記念碑】(ヤマツナミサイガイキネンヒ)
 正月堂正面にサツキと共に

 
伊勢湾台風より6年も前(昭和28年/1953年/8/14)に起きた大豪雨により
山崩れや土石流が各所で発生し、土砂が濁流のごとく奔流し、
一瞬にして多数の人命を奪った…
その記憶を残すための「災害伝承碑」です。

 
観菩提寺正月堂の山門と本堂(国重文)、
ここにおられる『観菩提寺正月堂御本尊「木造十一面観音立像」』は、
33年に一度御開帳されています。
次は、多分2048年だと思います。
(前回の御開帳時から換算すると…)
 ぶんと通信より

 広報いがしより

島ケ原から西山※に抜け、JR関西線を跨いで北上。
旧上野市西山地区の土石流について
≪三重県上野市では、1953年8 月15日午前0 時を過ぎた頃から激しい豪雨となり、
1 時間最大雨量81mm、総雨量287mm に達した(上野市史・自然編,2004)。
この豪雨により,木津川断層帯の急斜面地帯である上野市西山で土石流が頻発し、
死者・行方不明14名の被害を被った、
島ヶ原村史(1983)によれば、15名の死者を出している。≫とのことです。
まさに、その一帯を通りましたが、ワタシが生まれる前の事で(ハハのお腹の中にはいたけれど)、
こうやって話を聞いたり、記録を読むことでしか知ることのできない
災害の歴史がそこここにある…

さて、次なる「自然災害伝承碑」を訪ねたのは、
野間・慶明寺【安政伊賀上野地震供養塔】(アンセイイガウエノジシンクヨウトウ)
慶明寺さんの駐車場に車を止め、
  慶明寺と六地蔵様

はて?石碑はどこにあるものかとgoogleさんの航空写真で探す…
(新聞記事ではたしか「墓地」にあるとのこと)
google navi の仰せの通り歩いて進むと、、、
 説明版がありました…


googleさんのテキストコピーによると…

『市指定有形文化財(歴史資料)
安政伊賀上野地震供養塔 (伊賀市野間)
 この塔は、嘉永七(一八五四)年六月十四日に発生した伊賀上野地震
における野間村の横死者を埋葬した場所に、安政七(一八六〇)年三月
に七回忌追善法要として建てられた供養塔です。
 当時野間村には浄土宗の空照山慶明寺と、天台真盛宗の平楽山西雲
寺の二か寺があり、慶明寺の檀徒二十六人と西雲寺の檀徒九人が横死
し、合わせて三十五人がこの地に埋葬されました。
 二段積みの花崗岩製の基礎石(高さ五十二㎝)の上に、三層の台石(計
六十四㎝)を重ねていて、三層のうち、下二層は四角柱の石材を組み合
わせていますが、最上層は一石積みとなっています。その上に高さ八十
一cmの石碑を載せていて、総高は百九十七㎝です。
 石碑の正面には「南無阿弥陀仏」と陰刻され、他の三面には横死者三
十五人の戒名が陰刻されています。三層の台石のうち、最上段のものに
は、三面にわたって建碑の由緒が刻まれています。
 安政伊賀上野地震の供養塔
として「法華経塔」(服部町)が ありますが、
本供養塔も地震による災害を今に伝える貴重 な資料です。』

『建碑の由緒
(南面) 嘉永七寅 六月十四日の夜
大地震に家潰れ 当色に死者三十五人
此処にこれを葬
(西面) ことし七回忌に当れば 横死菩提の
為にこれを建て 追善を営むもの也
(北面) 安政七庚申三月発起 善三郎
世話人 周吉 住僧 戴誉
(平成二十四年三月二十八日指定) 伊賀市教育委員会』

 
≪供養塔そのものは、江戸末期/1860年(安政7)に造られ、
2段積みの花崗岩製の基礎石の上に、3層の台石(計64㎝)を重ねている。
下2層は四角柱の石材を組み合わせている≫(文化遺産オンラインHPより)

※安政伊賀上野地震:参考資料として
「blog:三重県伊賀地域の情景」
をリンクさせていただきます

では、「避水徒民碑」(小田・平井神社)へつづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊賀の「自然災害伝承碑」その1、「法華経塔」(服部町:ホケキョウトウ)

2021-06-12 12:17:27 | 伊賀自然災害伝承地
2021/6/7の朝刊の記事から

三重版でも伊賀版でもないところに掲載されていたので(何のページだったかは忘れた )、
江戸時代からちゃんと記録って残してあるもんだぁ~と感心して読んでいたのです。

しかも、今回は「国土地理院の自然災害伝承碑」に登録されたとか…


 (中日新聞2021/6/12付)
身近で見ていたのですが、意外とスッと通り過ぎていた自分、反省。
過去の写真から思い出せるものを引っ張ってみました。

法華経塔】(くれは水辺公園・春の広場付近)
 

  
矢谷川という小さな川の両岸が水辺公園になっており、
「春の広場」東屋があるその傍に供養塔はあります。
昔は「服部川河川敷にあった」と家人は記憶しているらしい…
それがここに移設されたそうな。

  
「法華経塔」表と裏、追悼記念碑など

またいずれ、他の記念碑も訪れることにします。

追記(you tube CBCTV)
【災とSeeing3 伊賀上野城(三重県伊賀市)】

『忍者の里として知られる三重県伊賀市。
中心部の高台に立つ伊賀上野城は、白く美しい三層の天守閣から「白鳳城」とも呼ばれる。
築城の名手として知られる藤堂高虎が本丸西に築いた「高石垣」が有名で、
大阪城と日本一、二を競う高さ約30mを誇る。
「実はこの城内や城下町は、1854年に起きた『伊賀上野地震』で大きな被害を受けたんです」。
今回案内役を務めてくれた名古屋大減災連携研究センター特任准教授の菅沼淳さん(54)が教えてくれた。』

今度から公園へお散歩に行ったら、石垣をよく見てみよう~~っと、
江戸時代初期なのか幕末なのか…わかるかも、です。

再追記(2021/6/18)
いろいろ探してたら
 服部川河原(にあった)法華経塔の写真
出てきました、どこやろねぇ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする