この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ザ・シューター/極大射程。

2007-06-01 23:59:07 | 新作映画
 マーク・ウォルバーグ主演、アントワン・フークア監督、『ザ・シューター/極大射程』、Tジョイ久留米にて鑑賞。


 二〇〇七年六月の怒涛の映画攻勢、その第一弾が『ザ・シューター/極大射程』。

 新潮文庫から刊行されている原作はスナイパーを主人公にした冒険小説として、最高峰といっていい。まさに巻置くを能わずという言葉が相応しい傑作である。
 その映画化を第一報を、そして主人公ボブ・リー・スワガー役にキアヌ・リーヴス(!)が予定されていると目にしたとき、文字通り目を疑ったものだ。
 原作のボブ・リー・スワガーは一言で表すならばストイック、である。優男の感のあるキアヌではイメージが違い過ぎるのも甚だしい。
 では誰がボブ・リー役に相応しいか、個人的なイメージではチャック・ノリスかチャールズ・ブロンソンといったところだろうか、、、まぁブロンソンは死んでしまったし、ノリスはどこにいったか知らないが、ともかくボブ・リーはストイックだし、さらに言えばオッサンである。何しろ相棒であるニックを坊や扱いするのだから。
 時を経て、冒険小説の傑作は映画化され、無事公開と相成った。
 主人公役は幸いにしてキアヌではない、が、ノリスでもなく、ましてやブロンソンでもない、ウォルバーグである。
 ウォルバーグといって思い出すのは『ミニミニ大作戦』だ。
 話は横道にずれるが『ミニミニ大作戦』といえばその邦題のダサさに定評がある。ケチをつけるのは勝手だが、であれば代案を提示するべきだろうと思う。『ミニミニ大作戦』っていう邦題は悪くないと思うけどな。少なくとも原題の『The Italian Job』の方がおかしいだろう。物語の舞台は後半イタリアではないんだから。
 話を戻す。
 で、ウォルバーグからストイックさを感じるかどうかはまぁ人それぞれだとは思うが、オッサンという感じは誰も受けないだろう。
 というわけで、このキャストが決定した時点で同時に原作と映画はまったくの別物だということも決まったも同然だと思う、、、思うがやはりどうしても二つを比べてしまうのが原作ファンの悲しい性(さが)である。
 映画は決して悪い出来ではない。というか、こと銃器描写、狙撃シーンに関して言えばこれ以上望むべきもないだろう。
 しかし、原作が超一級の娯楽小説の傑作だったのに比べると映画はどうしても不満を覚えた。
 まず、映画を観ていて個人的に嫌だな、と思ったのはボブのかつての相棒であるドニーの未亡人、サラ(原作ではジュリー)に人を殺めさせている点だ。それも二人も。原作ではそういったシーンはない。あえて彼女に手を汚させる必然性があったのか、、、その点で原作を改変する必要はないように思う。
 二つ目。原作で秀逸だったのは、それまで散々人を殺しに殺しまくっていたボブがその幕引きにあえて裁判を利用する、展開の意外さだ。原作が単なるよく出来た冒険小説ではなく、年度を代表する最高傑作という評価を得るに到ったのは、その静と動のコントラストの見事さによる。
 残念ながら映画にはそれがない。
 似たようなシーンはあるが、映画では結局司法の手の及ばない悪をボブが個人的な制裁を加える形で終わっている。これでは残念ながら原作で得られたようなカタルシスは望めない。

 といった感じで原作に比べるとどうしても二、三、不満点はあるものの、単純に一本のアクション映画として観た場合、『ザ・シューター/極大射程』は及第点は十分与えられる出来だと思う。
 まずは六月攻勢、上々の出だしといってよいと思う。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする